-------引用 ここから------
何かにつけて、低レベルの解釈をする人がいる。いわば何についても、「下種の勘ぐり」で解釈する人
だ。
たとえば、私がある人物を叱っているとする。私は、その人物に独り立ちしてほしいと思っているから、
厳しくあたっている。叱られているほうも、それを認識している。ところが、それを見ていた人が愚かだ
と、私を指して、「あの人、威張りたくて人を叱っている」などと解釈するわけだ。
芸術家も、お金のためだけに作品を創っているわけではない。もちろん、売れること、生活をすること
も大事だが、芸術家であれば、創造意欲、表現意欲がある。だから、お金にならないことでも必死に行う。
ところが、この種の人はそのようなことは無視する。そして、芸術家に対しても「お金がほしくて、こん
なものを創っているんだ」と決めつける。
誰かが社交ダンスなどのサークルに行くと、「女がほしいんだろう」と決めつけ、誰かがクラッシック
音楽の演奏会に行くと、「趣味がいいと思われたいんだ」などと評する。誰かがお見合いを自分から断る
と、「あの人、理想が高いんだ」などと言う。医者になりたいという人がいると、「尊敬されたいんだ」と
言い出す。このように、もっとも単純でわかりやすい、いかにも低俗な欲望に基づいた解釈を示す。
もちろん、そうした解釈が当たっている場合もある。人間というもの、下卑た動機で行動することもあ
る。みんながみんな高邁な思想をもっているわけではない。芸術的な行為の奥底にも、売れたい、目立ち
たい、有名になりたい、後世に名を残したいという意識があるだろう。モテたいという意識もあるだろう。
だが、人間はそれほど単純に解釈できないものでもある。人それぞれ、さまざまな事情がある。社交ダ
ンスをするにも、クラッシック音楽のコンサートに行くにも、お見合いを断るにも、様々な事情がある。
それを一律に解釈できない。そして、高邁な理想をもつ人間も多い。
そもそも人間は、そのような欲望のみで生きるものではない。もちろん、原初的には欲望が突き動かし
ている面があるが、それ以上に、理想や理念や人生観のようなものが存在する。それに基づいて、行動す
る面が多い。
それを、一律に単純に、しかも欲望レベルで解釈するということは、その解釈を口に出している人間の
思考のレベルを示してしまうのだ。
人の行動を見て、「お金がほしい」「売れたい」と解釈するということは、自分が「お金がほしい」「売
れたい」と常日頃から考えているということだ。言い換えれば、もっと深遠な動機がないということにな
る。しかも、それを周囲の人みんなの前で暴露していることになる。それは、決してスマートなことでは
ない。
とりわけ、女性はそういう見方を嫌がるものだ。はじめは、「おもしろい人」と思われることもあるか
もしれないが、つき合っていくうちに、底を見透かされる。
女性にとって、その種の男は女性がおしゃれして、デートに来れば、自分のためにおしゃれしてきたと
思い込む。その程度ならいいが、「今日、彼女はおれと○○したがっているに違いない」などと勝手に解
釈して行動しかねない。あるいは、女性が何かを見て、「こんなものがほしいな」などとつぶやいている
と、俺に買わせようとしているんだと解釈する。
すべてをお金と低レベルの欲望で解釈するのだ。そんな男に釣り合うような女性もいるだろう。そして、
それはそれでお似合いなのだろう。だが、ちょっと知的な女性には、すぐに見透かされてしまうものだ。
人間も世の中も、それほど単純にはできていない。その複雑さを理解できないということは、まさしく
愚かだということなのだ。
-----引用----
頭がいい人の話し方、悪い人の話し方(PHP 新書) 樋口裕一著