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庵野秀明bot
@anno_bot
「エヴァンゲリオン」の庵野秀明監督の迷言をつぶやくBOTです。1日3ポストで少なめです。 庵野秀明監督ご本人のTwitterではありませんよ。非公式のBOTですよ。
第3新東京市Joined November 2011

庵野秀明bot’s posts

宮崎さんについてはとてもきびしい怖い方だと聞いていましたが、そんなことはなかったです。僕が入った頃はすでに“非常事態宣言”が出ていまして、宮崎さんは朝10時から夜中の1時ごろまでずっと机に向かっていて、やっぱりすごい人だなあと思いました。
アジアやアメリカやヨーロッパでウケるような、媚びたもの作ったら逆に嫌われる。ヨーロッパ育ちの日本人がむこうで映画を作るなら分かるんですけど、変えるなら本気でそういうつもりで土着でいかないとダメだと思う。文化は土着ですからね。日本人は日本の文化しか作れないです。
友人と話してたら、日本映画を支えていくのは岩井俊二と樋口真嗣だろうって話が出て、僕もそんな感じだろうと。監督の名前だけでとりあえず作品を見てみようと思う、今の日本映画では数少ない監督だと思います。
最初の宮崎さんとの打ち合わせの時はもう完全にあがってしまい、ただ「ハイッ」と言うほか何も言えませんでした。
僕、「逆襲のシャア」って凄く好きなんですよ。スタッフとして参加していたんですけど、コンテをある程度見ていたにも関わらず、最初に見たときには全然わからなかったんですよ。その後、富野さんと同じ監督という業種を経験して、ようやくわかったような気がしたんです。
いいですよね、キュゥべえ。口パクも排除し記号としてのキャラクターとして、徹底されていて気持ちいいですね。魔女の記号化とかも巧いですね。
ジブリじゃ育ちません。育つ環境じゃないですから。あそこは依存でできている会社ですから。まあ、宮崎さんがいなくなったらあそこはもう無力です。
『エヴァ』の面白いところって、あの作品を見た感想というのが、その人の本質的な部分なんですよ。その人が持っているいちばん強い部分が『エヴァ』の評価で出てくる。カッコよさだけが、って言う人は、自分がそういう人間だってことなんです。心理学的にその人の本質が見えてくる。
アニメの制作過程で監督っていうのは、何もしないで済ませられる。どこまでも手を抜くことができるんです。
ものすごく怖い考えに捕らわれたことが一回だけある。それが終わってからすごく鬱が激しくなった。死にたくなるなんてこともあって、愛を求める絶望的な叫びって言うんですか。そこまで行って、自分の孤独に耐えられなくなって、先がまったく見えなくなったんです。
僕らの世代は共通体験が同じじゃないですか。僕らの世代のヒーローは“とんねるず”なんです。“とんねるず”のやっていることは昔のパロディみたいなもんでしょう。パロディから出発して自分のものを乗せていく。
自分達が生き残るためにナウシカは血で汚れて、よかったです。忌み嫌っていた巨神兵の火で破滅しなければいけない業の深さ、これがいいんですよ。もう、いつわりのない宮崎駿のポリシーが出ていてとにかくあそこではパンツを脱いでいますから。
僕の中に破滅願望があるんで、永井豪さんが『ハレンチ学園』で世間に叩かれて、それから社会に対する不信感がずっと自分の中にあるって言ってますよね。あれは僕にもなんとなくあります。こういうものを作っていると相当非難がありますから。
『王立』『トップ』『ナディア』の時とかの過去に文句を言ってきた嫌味な連中というイメージがゼーレ委員会にはあった。そこで突き上げをくらう碇ゲンドウ。俺たちには時間がないとかってことでそこからスタートしたわけですけれどそういう狭い世間から外れていた。最後は人から外れてたってことですね
人間は孤独であることからは脱することはできない。孤独を忘れることしかできないわけです。その瞬間が幸せなんですから。
僕は監督兼プロデューサーという地位で、スタッフは僕に依存するしかない。それはシステムとしてしようがない。僕と同じ位置に身をおくことのできる人はいない。監督兼プロデューサーというのは独裁者でありしようがないんですけれど、それはそれで孤独ですよね。
『愛と幻想のファシズム』とか。あれのゼロが好きなんです。依存心の高い。村上龍も僕と同じで何もない人だと思う。すごく情けない人。
代表作は何って聞かれて、たいていの人が次回作だって言うけれど、それは仕方がない。そう言わないと作れないってことがあるから。