二つ取り上げる。 一つは、満州史及びモンゴル史の権威である東京外国語大学名誉教授岡田英弘の論文である。 余り知られていないが、清帝国280年を通じて第一公用語は満州語で第二第三がモンゴル語、漢語であった。清朝は、元々シナの外で成立した王朝であり決して、中華帝国ではない。漢人は、科挙に合格すれば行政に参加できるが、それ以外の帝国の統治については参加出来なかった。 それは、満州人やモンゴル人の役割であった。 つまり、シナは植民地であった。...
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二つ取り上げる。
一つは、満州史及びモンゴル史の権威である東京外国語大学名誉教授岡田英弘の論文である。
余り知られていないが、清帝国280年を通じて第一公用語は満州語で第二第三がモンゴル語、漢語であった。清朝は、元々シナの外で成立した王朝であり決して、中華帝国ではない。漢人は、科挙に合格すれば行政に参加できるが、それ以外の帝国の統治については参加出来なかった。
それは、満州人やモンゴル人の役割であった。
つまり、シナは植民地であった。
そして、日清・日露戦争のそもそもの原因は朝鮮であった。
李氏朝鮮の祖、李成桂は満州人であったが小中華という朝鮮人の悪しき幻想に捕われていた。
日清戦争とは、李氏朝鮮の末期の勢力争いに日本軍と軍閥漢人の李鴻章が対峙したものであった。清は、国民国家ではなかった。
そして、日清戦争の講和に南下政策を採るロシアが干渉してきた。
一方、朝鮮は日本が三国干渉に屈したのをみて、日本を見限りロシアに靡いた。
日本は、朝鮮独立の日清戦争を戦い、終にロシアとも戦わざるを得なくなった。
だが、日露開戦直前に李氏朝鮮から国号を大韓帝国と改めて初代皇帝となった高宗は、どちら側にも立たず無責任にも自国を守ろうとしなかった。
日本は、かろうじて勝利し列強の支援を得た上で1905年保護国とした。
高宗は、列国に密使を送り日本を非難し外交権回復を訴えたがどこからも相手にされなかった。
現代の「告げ口外交」とそっくりである。
怒った伊藤博文は、内政権を取り上げ1910年の日韓併合に至った。
日本にとって朝鮮半島国家は厄災以外の何ものでもなかったし、その状況は今日とそっくりである。
二つめは、筑波大学教授古田博司の論文である。
古田教授は、朝鮮半島は廊下でありそもそも立国条件を欠いているというのである。
これに気づくのに40年かかったそうである。
民衆は異民族が押し寄せて来ると、諦めるか逃げ出す。だから、周辺国は移民だらけとなる。
支配層は、国を守ることが出来ないので無責任ではあるが民衆には高圧的に臨む。つまり、半島にはこの二種類の人々がいる。対日外交で傲慢な態度を示すのが後者である。
中国は、なぜ自領としないのか。その理由は弱点を抱え込むよりバッファーとした方が得という理屈である。つまり、朝鮮を犠牲にするという方策である。なので、南北統一は絶対に支持しない。
立国条件を欠くということは、「正しいという歴史」という正しくない歴史を捏造する必要がある。
その結果、挑戦半島では、擬制(根拠捏造のまやかし)と虚構(根拠を諦めた偽造遊戯)が延々と続いている。
韓国・北朝鮮にとって、自立性の擬制を維持するため「反日」が必要・不可欠である。そして、本気で自立するとすれば国家の存立自体が危ぶまれるというジレンマから逃れられない。
以上、日本にとって厄災という所以であるがこの増刊9月号は、内容が熟され整理され他にも興味深い論文が揃っている。
何よりも論理的なのが良い。