平将門(903-940)といえば、日本史上の大反逆者。
 平安時代半ばに関東全域を制圧し、「新皇」を名乗って独立政権を作りかけたところで、従兄弟の平貞盛と、奥州藤原氏の源流でもある藤原秀郷に滅ぼされてしまいます。日本史の教科書では、武士の勃興を象徴する存在として位置づけられることが多いようです。

 将門が晩年に居館を構えていたのが、私の田舎。「将門煎餅」「将門蕎麦」「将門まつり」「将門マラソン」などなど、将門の名を冠したものもいくつもあり、「将門が頑張っていれば、ここが日本の首都になっていた」と言い出す学校の先生もいる始末。もちろん首都は冗談ですが、基本的に地元では英雄扱いされている人です。
 小学校の遠足で将門の史跡巡りコースを組まれたことがあるのですが、これが割と新しい石碑と小公園ばかりで、ちっとも面白くありませんでした。「うちの田舎は有名な人がいないから、無理に将門を持ち上げているのではなかろうか」と子ども心に思ったものです。
# NHK大河ドラマ「風と雲と虹と」の頃に、勢いで整備をしたのだろうと思います。

 だいぶ後になって、東京の神田明神の祭神が将門だったり、株取引で有名な兜町の由来のひとつが将門の兜塚だったりすることを知り、どうやらローカルヒーローの枠は越えた人らしいことを認識したのでした。

 神戸の平氏といえば、なんといっても平清盛。実は清盛、将門を破った平貞盛の子孫です。なので将門がもし、貞盛に勝っていれば、まわりまわって大輪田泊、ひいては後の神戸港も少し違った歴史をたどったかもしれません。ま、それは与太話。

 千葉の成田山新勝寺は将門の乱の平定祈願が起源なので、うちの田舎では今も成田山には行かない人がいるそうです。また将門の紋は桔梗だったので、胡瓜を輪切りにすると桔梗の模様に見えることから、それを避けて胡瓜は斜めに切るのだといいます。
 このあたり、子どもの頃に母に聞いたことなので、どこまで確かか分かりません。だいたい、うちでは胡瓜を普通に輪切りしていました。

 さて桔梗と胡瓜の話。件の言い伝えの中で、私は将門の紋が桔梗だと聞いていたのですが、これは間違いで、将門の紋として知られているのは九曜紋です。

 九曜紋は大きな円の周りを、8つの小円が囲んでいます。
 このいわれが、
  • 火星、水星、木星、金星、土星、太陽、月……の「七曜」(これは週の曜日でおなじみ)に、計都、羅ごうの2星を加えたもの
  • 妙見をあらわす北斗七星に輔星(アルゴル)、北極星を加えたもの
ということで、いずれにせよ星と深いつながりがあるようです。

 ということで、見慣れた九曜紋の由来を今さら知って、ちょっとびっくりしたのでした。