ヘルプ

<< 加藤久仁彦 のページ検索結果にもどる

このページでは http://www.jpma-jazz.or.jp/feature/vol_06.htmlのキャッシュを表示しています。

キャッシュとは、提携する検索エンジンが、検索結果表示用の索引を作る際に各ページの内容を保存したものです。
→ キャッシュとは?
元のページは変更されている可能性があります。現在のページ内容はこちらから確認できます。

※HTMLバージョンとして表示する際、レイアウトが崩れたり、文字が読めなくなる場合があります。ご了承ください。

Yahoo! JAPANはページ内のコンテンツとの関連はありません。

vol_06 | 一般社団法人日本ポピュラー音楽協会

 

インタビュー Vol.06
チャレンジ精神をモットーに ラテン音楽に挑戦!
加藤久仁彦


 
●1977年、「あずさ2号」で兄弟デュオ・ユニットとしてデビューされいきなり、第19回日本レコード大賞「優秀新人賞」受賞。紅白歌合戦に出場。と華々しいデビューを飾り、そして今年デビューされて36年になりますが、今その当時を振り返られていかがですか?
デビューしてからの3年くらいはトントン拍子で、若かったせいもあり何も考えていなくて勢いで、ただひたすら仕事をこなしてたという感じですね〜

 
●お兄さんの久仁彦さんは当時20才、弟さんの高道さんは17才だったと思いますが、そもそもデビューのきっかけはどのような経緯だったのでしょうか?
僕らは愛知県の岡崎市の生まれで、歌手になるなら、東京にいかなきゃダメだと、僕が先に高校中退して、東京に来てアルバイトをしながら歌のチャンスを待っていたのですが、3つ年下の弟は中学を卒業して、東京に出てきて、お互いにソロ歌手志望だったのですが。

 
●ソロ歌手志望だったのですか〜
そうですよ〜最初から二人で唄うなんで思ってなかったですよ〜そうじゃなきゃ今ソロで唄ってませんよ〜(笑)色々とオーディションを受けたりして、レッスンを受けてた先生からのアドバイスで二人でやったらと、それでちょっとハモってみたら意外とすんなりハモれたんで、お互いのソロと二人のデュオの感じで行こうと、それでレコード会社のオーディションはデュエットで受けたんです、そのディレクターがデュオに興味があったので、それでその当時のヒットしている歌謡曲のカラオケを出されて、5曲くらい、それを即興で上も下も僕がハモったの、習った訳ではないですが、それは5曲ともデュオの曲じゃなかったけど、音を聴いたらすぐにハモれるんですよ。それがピンクレディとかを育てた作曲家の都倉俊一さんがそのデモテープを聴いて、「これは誰だ」ということになり、ちょっと会いたい、みたいな感じで、それからトントン拍子でいきました。最初は加藤兄弟っていう感じで・・

 
●狩人さんの芸名は?
獲物を狙うハンターであれという願いが込められて、いつもハンティング精神を持って進めということで、見た目とは全然違うんですけど(笑)

 
●30年ご一緒で、ご兄弟でおやりになって、良いという部分と、人知れずご苦労なさった部分もあったと思いますが・・お互いがライバルですよね?
そう、価値観は残念ながら全然違うんですよ〜でもお互いにないものを持っているので、声質も違うし、性格も、歌の好みやジャンルも違う、でも二人で唄う時はどちらかが妥協して意見を合わせなきゃいけないところがあって何十年もやっているとフラストレーションも溜まるし、衝突することもありますよ〜元々はソロ歌手志望でしたから。この曲は自分がソロを取りたいとか、この曲は歌いたくないとか、でも合わせなきゃいけないし〜だから少し冷却期間をおかないと、と思いました。

 
●その頃の同期にはどのようなかたがいらしたのでしょうか?
清水健太郎さんや高田みづえさん、でもみんな消えちゃったけどね〜この3組は新人賞を狙っていた、当時ビッグ3と言われていたんですが。

 
●あの頃はアイドル全盛の時代だったのでしょうか?
アイドル全盛はその後じゃないかな〜たのきんトリオとか川崎麻世がひとりで頑張っていた時代だったな〜

 
●いきなりスターダムにのし上がってしまって、芸能の世界を生き延びるには普通の精神では大変ですよね。
僕は普通過ぎちゃって、もっと要領良く図太くいってればもっと上にいけたと思う。

 
●狩人さんは同じ年代のアーティストと比べてクールで大人な雰囲気が漂っていましたが。
僕らはアイドルという意識はなかったですが、雑誌の明星や平凡に出てたので、女子高生とか中学生のファンが沢山いましたが、弟はどうか分かりませんが、僕はアイドルというよりも、アーティストとしての活動がしたかったほうです。そのへんのギャップもありますね〜自分のやりこととスタッフやまわりがやらせたいと思うことと実際に違うので、それが、短命に終わってしまった理由じゃないでしょうか〜

 
●加藤さんのユニークなのは、子供の頃なりたかったのは歌手とボクサーで、加藤さんは42才から空手道場に通われ、2008年52才でボクサーとして試合に臨み、3回戦をフルに戦いきるという強靱な肉体と精神力には脱帽です。でも、格闘技をやるイメージが全然ないのですが・・・
そうでしょう〜キレイな顔立ちだしね〜(笑)
それはハングリー精神ですね〜男気のあこがれかな〜ツベコベ言わずにリングに上がってハッキリと勝敗がつく格闘技は好きです。芸能界は難しいです。運とか周りの力とかに左右されるけど、格闘技は自分だけの力だから分かりやすいんですね〜僕は自分でやってみていいなぁ〜と

 
●岡崎市の頃から格闘技はやっていらしたのですか?
田舎だからそんなのないですよ〜うちは5人兄弟の下二人が僕らなんですが、僕より10才年上の2番目の兄が歌手を目指していて、それで小学校4年生位の時にギターとか教えてもらったり、兄が唄ってる当時の歌謡曲を小さいながら聴いていたのでその影響はあると思います。

 
●夢を実現に変えていらっしゃるのは凄いですね。
現状に甘んじていることが凄くイヤなんです。常にチャレンジ精神をもっていたい。

 
●どうしてそこまでストイックになれるのでしょうか?
その時はとても辛いけど、僕の本業は歌手なんだから、何でこんなことをやんなきゃいけないんだろう・・・って思いますよ〜この心の葛藤はありますよ〜朝起きた時とか、リングで練習して殴り合いをやるわけじゃないですか同じ練習生で相手を殴るのに躊躇しちゃうんですが、、相手を本気で殴れなかったんですよ〜

 
●いつも負けてあげてたんですか〜
そんなことはないですよ〜(笑)いつも本気で闘ってますよ〜

 
●今の体脂肪は何パーセントですか?
12〜13%ですね。(ちなみに57才です)ボクシングやってる時は8%くらでしたが。歌手には何の役にも立たないですよ(笑)裸で唄う訳じゃないので(笑)でも、今でもリングに上がる自信はありますよ〜

 
●その精神力の強さが、格闘技をやって役立っているのではないでしょうか?
それは分かんないですね〜 僕は2008年にミュージカル「スーザンを探せ」に出演させていただいたことがいちばんためになりましたね〜ボクシングは歌には何のためにはなりませんよ、脳の血管は切れるし、試合に出るような練習、スパーリングっていうんですが、脳に後遺症も残るんで〜あ!でも僕は大丈夫ですよ〜(笑)あれは30代までですね〜でも僕は体力に自信があるので、何かやりたくて、子供の頃に夢みてたボクシングに挑戦するしかないな、と思って始めたんですが。でも、ミュージカルをやって、2ヶ月連続75公演をやって、歌やステージング、身体のケアとか、ミュージカルの俳優さんは凄いな〜って、僕なんかボイストレーニングとか受けたことがないし、でもミュージカルの俳優さんはストレッチとか発声とか、何でそんなに一生懸命にやるのかな〜って、でもチームでやってるんで、みんなと一緒につきあって、あれは無駄ではないな〜って、歌手生活の10年分に匹敵するほどボクシングより辛かったし勉強になりました。

 
●共演者はどなたでしたか?
元宝塚の真琴つばささん、香寿たつきさん、杜けあきさんや劇団四季の看板女優だった保坂知尋さんは退団して2作目の出演でしたね〜みんな凄いひとで舞台経験のあるひとばかりで、僕は初めてだったので、自分でも一皮剥けたかな〜と思っています。

 
●加藤さんの奥様はダンサーさんでいらっしゃったのですよね。奥様はダンサーさんで、ビックリしたのはお子さん3人ともクラシックバレエをやっていらして次男の三希央(みきお)くんは、中学生で全日本バレエコンクールで総合1位に輝いて。ご長男、大和(やまと)くん、お嬢さんの清羅(せいら)ちゃんもプロのバレエダンサーを目指していらっしゃるとか・・
そうなんですよ。三希央はスカラシップ(3年間の奨学金で)で今モナコに留学中です。ヨーロッパの色んなバレエスクールから声がかかって、三希央が選んだのは王立モナコグレース・バレエ・スクールで2年目ですが。怪我さえなく、順調にいってくれればいいな〜と。

 
●格闘技にはいかなかったのですね
今の子は精神が弱いから、それにバレエで良い賞をとってますからね〜そんな痛いことはやらないですよ〜(笑)



 
●そして、加藤さんは1970年代を代表するヒット曲「青春時代」の森田公一とトップギャランのオリジナルメンバーが、加藤久仁彦さんをボーカルとして迎え、約30年の時を経て再結成をされたわけですが・・
リードボーカルを探していて僕に声がかかったのですが・・

 
●最近のヒット曲は100万枚200万枚売れても一部のジェネレーションにしか受け入れられず、1970年代前後のヒット曲は父母、おじいちゃんおばあちゃんまで、年齢関係なく、みんなが口ずさめる歌が多かったですが、大ヒット曲でも昔のように時代と共に生き続けていかないように思われますが、どう思われますか。
そうですね〜流行歌と言われた時代ですね。だから逆に昭和の歌、シンプルな歌が見直されてきているような感じですね。詩も綺麗な比喩表現を使っているし、今のは詩がストレート過ぎちゃってね。

 
●一昨年3月11日の東日本大震災があったことをきっかけに、2007年12月に解散して以来、5年ぶりに狩人が再結成し、狩人復活になったわけですが、どんな思いでしょうか?
常にチャレンジしたいのに、テレビに出れば「あずさ2号」を唄ってくれって言われるから、古い歌だけ唄うのは本当はイヤなんですよ。

 
●曲覚えは早いほうですか?
早いほうですね。

 
●今後の活動はいかがですか
狩人も並行して、ソロ活動でやるべきことをやっていきたいですね。格闘技はやるだけやりましたが。今回のラテンもそうですが、新しい楽曲に出会えることも自分をアピールできることはワクワクしてます〜今スペイン語も勉強してますよ。歌謡曲の歌手が馬鹿にされるのもイヤですし、お声をかけていただき、与えていただいたお仕事は誠意を持って唄わせていただきたいです。自分が若い頃は割りとアバウトだったので、今、後悔してますよ。もう遊んでいる時間がないんです。常にチャレンジしていきたいです。
常にスポーツで鍛えながら、地道に努力され、素敵な年の重ねかたをされていらっしゃる加藤久仁彦さんにお目にかかれて光栄です。3月16日開催のポピュラーミュージック・コレクションでは、初めて加藤さんをご覧になられるかた、そして長年応援してくださっているファンの皆様にも新たな加藤久仁彦さんを見ていただきたいと思います。

 
インタビュアー:佐藤美枝子
カメラマン:常見登志夫

2013年3月16日(土)「ポピュラー・ミュージック・コレクション」パンフレット掲載
 
許可なく転載・引用することを堅くお断りします。