昨年の西松事件のときのもので少し古いのですが、今回の陸山会の問題と同じですので、ニューヨーク市立大学の霍見教授の論文の一部を掲載します。日本のメディアには見当たらない貴重なご意見です。論文は『ニューリーダー』に掲載されたものです。

「国策冤罪天国の日本と民主党潰し」 霍見芳浩 

小沢騒動と日本の司法腐敗

日本の商業メディアは、また、検察庁の冤罪リークに踊らされて、小沢一郎民主党代表の「西松建設汚職」をあたかも真実のように噺し立てている。しかし、推定無罪(有罪が裁判で立証されるまでは、起訴されても被疑者は無罪の推定)の民主的法治国の精神が、国民の多くに浸透しているから、ニューヨーク・タイムズ紙も東京発記事で控え目に小沢一郎氏の秘書が政治献金規正法違反の疑いで逮捕された」と事実を報じただけである。しかも行間には、日本通でなくとも、「次の総選挙で敗色の濃い麻生自民党と司法官僚による国策冤罪捜査の臭いがある」と分かる警告がにじみ出ていた。しかし、日本のメディアは「小沢氏有罪」を煽っている。民主党議員の中にもメディアの尻馬に乗って、小沢批判をバラ捲く者もいる。

日米共に、政治献金規制法はザル法の典型でループホール(抜け道)だらけ。特に日本の政治献金規制法は、規制されたくない議員と国策捜査のサジ加減が欲しい司法官僚が国民の無知を良い事に作ったのだから、時の内閣と司法官僚(検察庁と裁判所)による政敵潰しに悪用される。日本の商業メディア人と違って、権力監視のジャーナリズム文化の担い手のニューヨーク・タイムズ紙の在京記者は、検察庁の「特種リーク戦術」に迷わされなかった。事実だけの第一報の後は、検察庁リークの情報操作に乗せられていない。小沢一郎民主党代表としては、「やましい事はしていない。汚職の証拠があるなら、私を堂々と起訴しろ」と麻生内閣と検察庁と対決すべきである。

特に、小沢氏の秘書の起訴に続いて、検察庁と麻生官邸筋が巷に流しているのが、「西松建設から長年にわたって小沢氏への献金がなされているが、西松建設としては、見返りを期待せずに、献金をしたとは考えられない」という下司の勘ぐりである、こんな無責任な推論で「小沢有罪」をデッチ上げるのは、語るに落ちた国策冤罪捜査の自白である。「長年にわたって」献金がなされていたのを知っていたのであれば、「何故今になって」と疑うと同時に、これまでに警告もせずに放置して来た検察庁の責任を問うべきである。今、急に献金を察知したとしても、下司の勘ぐりではない確かな汚職の証拠をつかんでの事であれば、「政治献金規制法の報告書の不備」などという事務手続上のミスの疑いで、担当の秘書を逮捕して、これを昼夜の拷問でせめて自白を強要する必要はない。国連人権委員会も日本の拷問取調べの中止を勧告している。

民主国家の条件の一つが、弁護士立会いの取調べ、そして裁判所、検察、時の内閣の三者癒着の無い「司法の公正」である。しかし、日本人の多くは、日本の裁判は戦前の三者癒着の「お白州裁判」に逆戻りしてから久しいのを知らない。小泉純一郎政権の日本の改悪の一つが、「司法改革」の美名の下に無知なメディア人を操っての、「司法改悪」だった。

日本に必要な司法改革とは法痴国を法治国にするために、(1)憲法で定められている裁判官の独立、(2)刑事裁判での推定無罪の徹底、そして(3)警官や検事の主観的作文の自白調書に代えて、確固たる物証や状況証拠固めでの立件と裁判審理の実施である。しかし、最高裁、検察、そして警察という司法官僚の言うがままに無力な「裁判員制」を司法改革にすり替えた。刑事裁判で最も重要なのが問題の証拠の取捨選択と吟味である。しかし、裁判員はこれには参加も、傍聴も許可されない。米国の司法人の訳知りの間で、日本の法痴国ぶりがジョークになるのも当然だろう。彼等は日本の「小沢騒動」とこれに嵌まる国民を冷ややかな目で見ている。麻生日本の品格がまた下がった。

(以上)