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師系燦燦 二         草深昌子  : 草深昌子のページ

草深昌子のページ

師系燦燦 二         草深昌子 

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「鶴」の系譜―――「魚座」の人々

 「鶴」は昭和十二年九月、石田波郷が石塚友二とともに創刊。波郷の応召中は代選を務めるなど、一貫して波郷と行動を共にした友二は、昭和四十四年波郷死後「鶴」を継承主宰した。
石塚友二死後は、星野麥丘人氏が主宰を継いでいる。

 昭和四十四年以来「鶴」に所属していた今井杏太郎氏は、平成九年一月に俳誌「魚座」を創刊し、主宰となった。
昭和六十一年の友二師の葬儀に際し、今井杏太郎氏は、「鶴」代表として弔辞を述べている。
―(前略)―船の中で先生は突然私にかう仰言いました。〈杏太郎君、ひとはどうしてねむるのだろうね〉先生のこの唐突とも思へる質問にどぎまぎしながら〈先生……海の上の眠りもいいものですよ〉とやっとの思いで答へたものでした。しばらくして先生は、ぽつんと〈ふしぎなことだねえ〉と、ひとり呟くやうに言はれたのでした。この〈ふしぎなことだねえ〉のひと言ほど胸に食ひこんだ言葉を未だかつて私は知りません。――(中略)――今生の……生のよろこびもかなしびも一切がこの「ふしぎさ」のゆゑなのでありませう。―(後略)

  子が病めば百千の虫や唖の虫 友二
  百方に借あるごとし秋の暮    友二


 石塚友二句集『光塵』(昭和二十九年刊行)は、初学時代よく諳んじた句が多い。当時は濃色かつ暗色のイメージをふくらませていたから、今井杏太郎氏の淡白で透明感のある句群とは対極にあるような気がしてならなかった。今回弔辞に触れる機会があって遅きに失したことではあるが、底流する精神の絆こそが師弟関係であったことを知り、胸をうたれたことであった。

            ☆

 今井杏太郎氏の『海の岬』(平成十七年八月刊行)は、
俳人協会賞受賞の『海鳴り星』につぐ第四句集。
 一巻は絵巻物をひもとくように緩急自在の呼吸に引き込まれてゆく。一句一句にたっぷりした時空があって立ちどまらされるのであるが、一方で次へ次へと吸い込まれていくような句集の読みの楽しさを堪能した。

 「海を見るのが好きであった」氏のモチーフは貴重である。水への関心は大らかさの中にも繊細な感覚が宿っていて、水の秀句は目白押しである。

  うすらひといふつかの間の水の色
  萍に水のやうなる雨の降る
  水の上の暑さが暮れてゐたりけり
  夏逝くか水のゆらぎも星に見ゆ
  涼しさやむかしは水に影ありぬ
  野ざらしの雨降る水鳥は水に
  凍滝に水の折れたるところあり

 
 どの水も十全にゆきわたって五感がゆさぶられる。水は純粋のものは無色、無味、無臭。常温では液状、摂氏零度で氷結する。そんな水の第一義を一句目ははからずも印象させられるが、思えばどの水の句も、あらためて水の意義を考えさせられものである。
 二句目、池であろうか、沼であろうか萍を湛えた水のありようが見えてくる。渾然と降りこむ雨は、憂きことも忍ばせて繊細な雨脚をひくのである。

  かたくりの風の揺るるを風といふ
  春風に吹かれて貨物船の来る
  すずかけの木蔭の風の涼しげに
  唐辛子畑にて風衰へし
  色変へぬ松あり風の吹きにけり
  北風はみなみの海へ吹いてゆく
  葛の葉のひるがへり風ひるがへり

 
 一句に風を通しただけでさーっと新鮮に見えてくるものがある。ごく自然に淡々と詠いあげて構えたところがまったく無い。その自然体がサマになるという洗練された文体は比類ない。
 たとえば葛の葉の翻る句はゴマンとあるかもしれない。だが杏太郎俳句はどこか別物だ。葛の葉は生きて意志あるもの、風もまた葛にうながされて息づく生き物のように思える。風景とはそういうものだといえばそれまでだが、読者は風景そのものよりも、その切り口を見定めている一人の心の景色に惹かれるのかもしれない。

 杏太郎俳句はなべて、水も、風も、今ここにあったものが次の瞬間にはもうなくなることを気づかせてくれる。次にやってきたとしてもさっきとはもうちがう形、ちがう手触りでしかない。二度と同じものは帰ってこない。何気ない日常のなかの、自然の一閃を一瞬にして掬い取ってことばに遺した。それは、永遠に掌中に握りしめたかたちなのだ。手のひらをひらけば、あの水、この風に出会える。俳人ってすごいなあ、とあらためて思う。俳人から享受した一閃の光に意味はない。その光のありかをどこまでも想像するそのひとときが読者にとっての安らぎなのである。

  てのひらを叩いてをれば日永かな
  けふであることを忘るる暑さかな
  いちにちがゆるやかに過ぎ草茂る

 
 芒洋としていながら、季語の本態見たりと思わせるところが妙である。

  てふてふのさびしさの雨やどりかな
  さびしさのつづきに見ゆる麦の秋
  梟はさびしくて木になりにけり
  颱風の南から来るさびしさよ

 
 ときとしてこの世の相は、どこか思惑からはずれたものを宿している。ものの存在への不思議さといとおしさ。さびしさはそれらへの愛惜であろう。 

  霧をゆく人あり水になりながら
 
 さびしさを肯定して生きる。今井杏太郎氏、まさにその人ではなかろうか。

 『海の岬』の掉尾は、〈石塚友二先生の墓に雪 杏太郎〉である。「ひとりの人間としてわが師と仰ぐべき人」と決意せしめた石塚友二先生には雪がもっともふさわしいのに違いない。雪が物語る声に耳をすましたい。

 石塚友二は小説家でもあったが、波郷同様、俳句は厳しく非散文的である。
  
  方寸に瞋恚息まざり秋の蚊帳 友二
  別れ路や虚実かたみに冬帽子 友二

 
 石塚友二句集『方寸虚実』に寄せて、友二の文学の師である横光利一は、「これを明澄とも高雅ともいえず、古撲ともいいがたければ閑雅ともいい難い。また寂寞というには幾らかの騒ぎがあり、清新というにはカスが溜まっている。しかしこのように俳句の持つべきはほとんど何ものもなくしてよく俳句となしえているゆえんは、偽りもなく本能的な生の悲しさがその精神の中に底流し、高雅明澄に対していささか自我を風解してここに飄逸な嘆きを加えている淡白さにあるかと思われる」と、さすがにこの作家の批評眼は冴えている。ここに見出した「淡白さ」の一語は、今にして肯かされる思いである。

  金餓鬼となりしか蚊帳につぶやける  友二 

 金我鬼とはなまなましいが、自己を徹底的に客観視したあげくの踏みとどまるべき諌めであった。下五に「つぶやける」と置いたとき、ふっとわれにかえった安堵に、森閑とした詩情が漂ったのではないだろうか。
 この「つぶやき」こそが、今井杏太郎氏の掲げる「呟けば俳句」のつぶやきではないだろうか。つぶやきは自分を持ち直してくれる。つぶやきを俳句に盛ったとき、十七音という小さい器ではあるが自分の生を支えてあまりあるものになってくれるのだ。
 つぶやくことは誰にでもできて、誰のものでもない。生きている私でしかない呟き。弔辞の中の「ふしぎだねえ」というつぶやきもしかり。つぶやきは吐息にも似て小声である。その実、人間の内面の思考してやまない大きな叫び、切実な叫びにもなるのである。
 「呟けば俳句」を、俳句に行き詰まったときの救いのように考えている限り、上質の俳句には恵まれないであろう。それは、写生を俳句に行き詰まったときの手段と考えるのと同じである。
 詠みたいことを思うように詠めばよいという「呟けば俳句」は、波郷の「俳句は文學ではない」の頓悟に迫るもののように思われる。

           ☆
 
 鴇田智哉氏の『こゑふたつ』(平成十七年八月)は、
氏の第一句集。「魚座」には創刊から所属。主宰の『海の岬』と時期を同じくして刊行された。

  梟のこゑのうつむきかけてをり
  黴のすぐ近くにこゑを漏らしけり
  春の蚊にこゑあり息のやうにあり
  こゑふたつ同じこゑなる竹の秋

 
 初々しくひそやかな声調は、読者をしんとさせる力をもっている。
 主宰は序で、「いろいろと胡乱のありそうな俳句ですが、黙って、静かに、この作者の息遣いを読んであげてください」と述べ、鴇田智哉氏が、あとがきで、「息が声になり、声がことばになるーーここから始めたい」と、一巻の気息がぴたりと重なっている。まさにソッタクの『こゑふたつ』である。

  干潟とは今を忘れてゆく模様
  湯冷めしてもとの形のありにけり
  畳から秋の草へとつづく家
  十薬にうつろな子供たちが来る

 
 たおやかな断定は、常に物思う人のたたずまいがもたらすものであろう。
四句目、うつろな子供たちの来る場所として、十薬をとらえた。その焦点の絞り方が詩情そのもの。星野立子の〈午後の日に十薬花を向けにけり〉が、救いのようにこの句に呼応してくれる。

  逃水をちひさな人がとほりけり
  障子から風の離るる音のあり
  夏いつか鰭のうすれてゆく魚
  とほくから子供が風邪をつれてきぬ
  ひえてきて日付の変はる時報かな

 
 距離をおいたもの、気配を感じるもの、来ては去りゆくもの、それら移ろいゆくものを微妙にとらえる感覚が出色である。

  くちもとの蜘蛛の糸とはゆるきもの
  目の窪みかけたる山の眠りかな
  虫の夜はひとみをあけて帰りけり
  水ほどにひらたくなりぬ夕焼けて


 鴇田氏は、自身の肉体を通して、詠いたいことを臆せず詠いたいように詠っている。傾倒する師を先ずは徹底的に追随して、その試練のなかから自分を乗り越えて行こうとする覚悟が坐っているのであろう。そのことがとりもなおさず、曰くいいがたく師のふしぎな句風に通ってゆくのであろう。
 よく、一流の芸術家は「盗んで」自分のものにするが、二流の芸術家は「借りてくる」だけであると言われる。

  炎天の少しとほくを見てゐたり
 
 鴇田氏には、〈てのひらがひらひら二つ日の盛り 杏太郎〉が見えている。
石塚友二が『俳句研究』に、「方寸虚実」八十句を発表して一躍俳壇の注目を浴びたのは、昭和十五年、友二が数え年三十五歳の時であった。
 鴇田氏は、平成十三年、俳句研究賞受賞。今年三十六歳である。

            ☆

 茅根知子氏の『眠るまで』(平成十六年五月刊行)は、
氏の第一句集。忘れがたい上質の句集であった。茅根氏は、平成十三年、俳壇賞受賞。

  夏の灯をともして人を迎へけり
  人に背を向けてマスクをはづしたる
  北窓を開くと人がとほりけり
  人の手がぶつかる金魚掬ひかな

 
 人ってなんだかおかしい。人の仕草は、人に関わって人らしくなるらしい。

  あたたかく伸びたる草の背丈かな
 
 草の丈、でなく草の背丈と言った、もうそれだけで嬉しくなる一句である。茅根氏の観察眼は、人へも自然へも等しく注がれて愛情にあふれている。

  いつか死ぬ人を愛する涼しさよ

 人って何だろうの究極の答えがここにはある。そうだ、そんな涼しさにこれからも生きていこうと思う。

  左手に梨のしづくを集めたる
  冷蔵庫開けてまばゆき夜になり
  歯が痛し十一月の終はるころ

 
 どの句も解釈のいらない実感がある。
 三句目、穏やかに叙して、インパクトがある。切れの余白に空気のつめたさが染み入るように流れている。

  眠るまで祭囃子の中にゐる
 
 子供の頃、寝床で眠れね興奮のなかで体いっぱいに祭を感じていたことがある。大人の興奮が子供に伝わってくる喜びが祭囃子の中にはあった。
喩えて言うなら、この世は祭囃子の中に生きているようなものではなかろうか。眠るまで、そう  永遠に目を瞑るまで、祭囃子を聞いているのである。今生きてあることのなんとなつかしいことであろう。この句を読んで以来、眠らないで起きていると何かよいことがあるようで目を瞑るのがもったいなくなった。そして、石塚友二の「人はどうして眠るのだろうね」を反芻して、いよいよ眠れない。

 (2006年1月1日発行、「ににん」第21号p58所収,文頭写真は石塚友二)