武蔵

水島武蔵さんは、大人気となった漫画・キャプテン翼!のモデルとなった人物です。

小学1年生でサッカー修行でブラジルに渡りました。事の発端は、彼が東京から静岡にサッカー留学をしていた時にブラジルのサッカーの王様ペレ氏が日本でのサッカークリニックに招かれた時に、ペレ氏が彼のプレーを見てブラジルでサッカーをと勧めた事がきっかけと聞いています。

そんな水島武蔵氏と久しぶりに年末の新横浜駅周辺のレストランで会い楽しい会食をしながらの懐かしい思い出話に華が咲きました。

「小学1年生で何も知らないブラジルに僕は行きましたが、一緒に一つ上の姉もついて来てくれたんですよ。」(武蔵)

「う~ん、それはお姉さんは大変だった!ね~」(私)

「最初、日系人の家族の方の家にお世話になったんですが、部屋が地下にあるんですよ、何か湿気もあり気持ち悪いな~と思って寝た最初の晩、翌日起きてみたら体中がかゆくて、蚤、シラミにかまれてたんですよ(笑い)」(武蔵)

「最初からスゴイ!体験だったね~、武蔵はいいけどお姉さんは大丈夫だった?」(私)

「何にも知らない別世界に入り込んだんで何が何だか分からない、こんなもんなんだな~と思いましたよ、洗濯も自分でしましたが途中で断水になったしてそのまま干したり、サンパウロFCの練習に行くのにバスを3つ乗り継いで毎日通ってたんですけどね、それが当たり前なんだ~と何にも苦にならなかったですね~」(武蔵)

小学1年生からブラジルに渡り、最初の6年間は日本に戻らなかった彼は段々とブラジルの言葉を覚え、サッカー仲間とも仲良くなり成長して行きました。念願のブラジルサッカープロデビューを1984年にサンパウロFCで果たし、1988年までブラジルでプレー、1989年から日本に戻り、日立製作所サッカー部、ASフリューゲルスで、1992年までプレーをし、その後は指導者とサッカービジネスへと進路を変えて現在もサッカー普及の為に頑張っています。

昔と変わらない謙虚な態度と話し方は彼が苦労を苦労と思わなかったブラジルでの体験が生きていると感じる所です。この日は気分の良いお酒のせいもあったのでしょうか?水島武蔵のなかなか聞けないブラジルでの思い出話がたくさん聞けて改めて彼の人間性の素晴らしさを理解した夜でした。

弟の水島武蔵をブラジル留学で支えた一つ上のお姉さんは現在カナダで生活をしているとの事でした。またの再会を約束して冷たい浜風の吹く新横浜での宴を後にしました。