Wayne MADSEN
2015年8月17日 | 00:00
Strategic Culture Foundation

人々のホロコーストという点では、北アメリカと南アメリカのアメリカ先住民の何世紀もの虐殺は、人類史上、最大に位置付けられている。ワシントンDCモール地区にあるスミソニアンのアメリカ先住民博物館は、1492年に、クリストファー・コロンブスがアメリカに到着した時から、19世紀までの間に、欧米入植者達による虐殺行為で、6500万人のアメリカ先住民が亡くなったと明らかにしている。

北極圏から、ティエラ・デル・フエゴまで、アメリカ先住民達は人口を減らされたby病気や強制的飢餓、非在来種の疾病を意図的に持ち込んで流行や、強制移住や、戦争を引き起こした。自分達は“ホロコースト”や“虐殺・ジェノサイド”という言葉の使用に、ある種の著作権を持っていると考える一部の集団は、西半球先住民皆殺しを軽視してきた。例えば、ユダヤ人ホロコースト学者ギュンター・レヴィは、アメリカ先住民の虐殺を、人道に対する犯罪ではなく、単なる“悲劇”だと片付けた。

アメリカ合州国やカナダの様な国々と、いわゆる “インディアン・ネイション”との間で署名された国際条約で保障された、彼らの権利の為に闘い続けているアメリカ先住民にとって、そこの人々や暮らし方に起きたことは、レヴィ等、植民地主義や有色人種虐殺を擁護する連中が、人々に信じさせたがっている様な単なる“悲劇”ではない。もし、アメリカ先住民に対する犯罪が虐殺だと思うのであれば、パレスチナ人に対するイスラエルの犯罪も虐殺であると考えて当然だ。レヴィは、考え方が決して孤立しているわけではなく、世俗派の青年トルコ党によるアルメニア人虐殺、ナチスによるロマ人虐殺や、アメリカが支援したクメール・ルージュ政権によるカンボジア国民虐殺を軽視している。アメリカ先住民に対する犯罪を取り繕う為に歴史を書き換える連中は、本の出版、雑誌刊行、テレビや、ハリウッドでのフィクションや、ノンフィクション映画や、歴史ドキュメンタリー制作を巡る厳しい管理を行うことで、成功してきた。

アメリカ先住民に対してなされたホロコーストを理解していた人物の一人が故ウゴ・チャベス・ベネズエラ大統領だった。彼は、西半球全体でのクリストファー・コロンブス祝賀に反対した、先住民を祖先とする、益々増えつつある中南米指導者の一人だった。ベネズエラのボリバル革命や、ボリビアのエボ・モラレス大統領が提唱するアイマラ・インディアン運動を含む、新たに出現しつつある中南米のアメリカ先住民運動と対決しているのは、スペイン王に雇われていたイタリア人傭兵で、配下の重商主義盗賊連中が、西半球に600年間のホロコーストを生み出したコロンブスをたたえて、祝日を慶賀し続けているアメリカ合州国だ。

アメリカ合州国国民の中には、10月12日、コロンブス・デーを、少なくとも、虐殺者の偉業を慶賀したがる人々、そしてベネズエラで祝賀されている様に、アメリカ先住民のホロコーストを記憶していたい人々にとって“先住民抵抗の日”という二重の祝日として慶賀したがっているむきもある。アフリカ人にとっては、コロンブスが、ポルトガル君主制に雇われていた奴隷商人としても記憶されていることに留意するのも重要だ。

現在、アメリカ合州国は、スポーツ・チームに、“ワシントン・レッドスキンズ” (20ドル札に肖像が描かれているアンドリュー・ジャクソン大統領と彼の軍隊は、アメリカ先住民男性の下半身の皮を剥ぎ、彼らの皮からズボンを仕立てた、すなわち“レッドスキン・パンツ”だ) や“クリーブランド・インディアンズ”(出っ歯のアメリカ先住民という人種差別主義ロゴ)と名付けて、アメリカ先住民を“慶賀している”。アメリカ人は、アメリカ先住民虐殺に関する歴史修正主義に慣れっこなので、ワシントン・レッドスキンズと、クリーブランド・インディアンズのユダヤ人オーナーは、人種差別主義にどっぷり浸かったアメリカ先住民の図柄やテーマを常識外れに継続し、かなりの利益をあげている。

南アフリカの黒人用“バントゥースタン”の、アメリカ合州国版アパルトヘイトにすぎないアメリカ先住民保留地は、一部のアメリカ人にとって、ギャンブルのメッカだ。インディアンの賭博カジノの為のロビー活動で得る利益を最大化する為に思いつける、あらゆるあこぎな事業戦術を駆使し、有罪判決を受けた共和党ロビイストのジャック・アブラモフは、アメリカ先住民顧客のことを "猿" (チョクトー部族会議に対する彼の呼び方)、"穴居人" "能なし"や "野郎"と呼んでいた。ユダヤ人のアブラモフは、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相政権の強力な支援者で、違法なヨルダン川西岸入植者達が、パレスチナ人に対して使用する軍装備品を購入する為の資金まで集めていた。

2009年、チャベス大統領は、ニューヨークで、グアテマラに派兵される任務の、ベネズエラ軍将校として服務したことがあると記者団に語った。そこで彼は、アメリカ陸軍米州学校で訓練された、現地のグアテマラ特殊部隊カイビルの連中が、先住マヤ・インディアンを虐殺したことを自慢するのを目撃した。チャベスはそこで、"自分の仲間達" がグアテマラ軍によって殺害されていることを悟ったのだ。チャベスは、アメリカ先住民を、二度とそのような残虐行為にさらすことはしないと誓うと述べ、ベネズエラ大統領として、チャベスは、西半球の先住民に対して向けられた新帝国主義と戦う中南米指導者達や団体と提携した。コロンブスにちなんで、名付けられたアメリカで唯一の国が、麻薬-ファシストが運用する国、コロンビアで、ノーベル平和賞受賞者バラク・オバマの厚意により、7つのアメリカ軍事基地を受け入れているのも偶然ではない。

マヤ・インディアンを虐殺したグアテマラ特殊部隊が、イスラエルの諜報契約業者タディラン社が供給した監視コンピューターで支援されていたのも偶然ではない。1980年代中、ガテマラ人と、イスラエル人が“鎮定”と呼んだグアテマラ先住マヤ人虐殺の為に、軍用装備品や兵器が供給されていた。グアテマラに、虐殺の道具を提供していたもう一社は、イスラエル・ミリタリー・インダストリーズ(IMI)で、モサドとつながりのある元イスラエル落下傘兵が所有する同社は、戦闘機、装甲車、ヘリコプター、イーグル社の兵器や、デザート・イーグル自動拳銃を供給した。1980年代にも、イスラエルの死の商人も、ホンジュラスとエルサルバドルに進出し、軍装備品と訓練を、政府が率いる“暗殺部隊”に提供した。ホンジュラスでは、イスラエル企業のタハルが、“国家の敵”と見なされている多くの先住民を監視するのに使用された電子国境と道路障壁を設置した。中央アメリカで行われた虐殺の主な犠牲者は、この二国の先住民と、ニカラグア先住民だ。

アメリカ合州国は、アメリカ先住民部族ネイションの主権や条約上の権利を妨害するのに、“インディアン局BIA”として知られている植民地主義者の仕掛けに依存し続けている。カナダでは、スティーブン・ハーパー政権は、多国籍石油や採掘企業の利益の為に、先住民の土地の権利を縮小させようとして、“カナダ先住民族”に攻撃をしかけた。

ラコタ・スー族の指導者達や、他の人々を積極的に、投獄し、嫌がらせをしているアメリカ合州国は、1832年の最高裁判所ジョン・マーシャル首席判事による、ウースター対ジョージア州事件の裁定を軽蔑しているのだ。マーシャルは「インディアン・ネーションは、太古の昔から、その土地の疑点のない所有者としての原始の権利を持つ独自の独立の政治共同体として常に考えられてきた...ごく一般的にインディアンに適用されている“国家(ネーション)”という用語自体が“他とは異なる独自の人間集団”を意味する」と裁定した。

アメリカ合州国は、連邦が認めた562部族の主権を制限して、国際法を無視し続けている。実際はもっと多くの部族がいるのだが、ワシントンが、何が部族として認められ、何が部族として認められないか決めるのだ。1973年、連邦捜査局FBIと、連邦保安官局は、サウス・ダコタ州のオガララ・スー・ネイション所有のパイン・リッジ・インディアン居留地に違法に侵入した。アメリカ・インディアン運動指導者達は、連邦当局によって、違法に起訴されている。アメリカ先住民に対する、そのような攻撃は、アメリカ合州国とカナダ中で繰り返された。彼等にたいしてなされた何世紀ものホロコーストの後、人数こそ少なくなったものの、特にアメリカ合州国とカナダのアメリカ先住民は、ハーグの国際刑事裁判所で審理を受けるに値する。何世紀も、西半球の土地に対して思いやりのある世話役であった6500万の人々に対する恥ずべきホロコーストの歴史が、アメリカ先住民ホロコースト否定論者に、もはや抑え込まれるようなことがあってならない。

記事原文のurl:http://www.strategic-culture.org/news/2015/08/17/holocaust-native-americans-65-million-counting.html
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70年式典、猟奇的殺人、エンブレム問題、鉄道放火。ブタの喧嘩。戦争法案問題が一番小さい。中国の戦勝歴史歪曲は声高にいうが、自分の属国状態は知らんふりの大本営広報部。

西部征服後、更に西進し、ハワイ、フィリピン、そして日本。

トルコ海岸で幼い男児の遺体が見つかったことがヨーロッパでは大問題。これも、中東に勝手に内戦をしかけている欧米侵略の結果。侵略戦争を積極的にしかけているわけではないハンガリーが難民対策で矢面にたたされている不思議。

『コロンブスが来てから 先住民の歴史と未来』トーマス・R・バージャー著 藤永茂訳 朝日選書464 1992年12月25日刊の第6章が、まさにジョン・マーシャルとインディアン。あるいは、著者、原書を参考にしているのではと思われる。
引用されている部分が詳しく書かれている。それで、恐縮ながら判決文引用部分は、藤永訳を流用させて頂いた。(146-147ページ)

訳者あとがきに、トーマス・R・バージャーという人の経歴が書かれている。
1971年、30歳で、ブリティッシュコロンビア州最高裁判所判事に任官。しかし、果敢な主張活動ゆえに、1983年、辞表を出して去らざるを得なかった。1986年に弁護士開業をゆるされた。

319ページに、白人についての注がある。一部引用させていただこう。

自らの選択で南北アメリカの支配社会に参入して人生の成功を志向する人間は、日本人でもインド人でも、先住民にとっては「白人」なのである。カナダについていえば、日系カナダ人も、インド系カナダ人も、ウクライナ系カナダ人も、先住民も、みな少数民族グループである。しかし、先住民族グループと他の少数民族グループとの間には、決定的な相違がある。この相違をはっきり理解してかかることが、本書の読者には、ぜひ必要である。

「インディアン問題はインディアンをどう救うかという問題ではない。インディアン問題はわれわれの問題である。われわれどう救うかという問題である。」というのが藤永茂著『アメリカ・インディアン悲史』の結語。