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2012年に観るとどことなく切ない「耳をすませば」 | 一本気新聞 家紋、アニメ、ビートルズ
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2012年に観るとどことなく切ない「耳をすませば

8 5 月 2012 8 Comments

1995年公開のジブリ作品「耳をすませば」を観た。

原作は柊あおいの少女マンガ。監督は近藤喜文。宮崎駿は脚本・絵コンテ・制作プロデューサーとして関わっている。
内容は、一言で言ってしまえば、東京近郊の多摩地区を舞台にした受験を控えた中学三年生の少女の恋と成長の物語である。
特に、少女が、自分の心の中に生まれたある種の感情の正体を段々と恋だと認識していくその過程とか、恋というのものが素晴らしいことと同時に他人を傷つけるものでもあるという両面性に気付くその瞬間とかが、リアルに描かれていて、”現役”の人が観れば顔から火でも吹きたくなるかもしれない。

坂道のアポロン」もそうであったが、この作品も登場人物の仕草やセリフの一つ一つが繊細で、愛おしい。しかも、音楽も素晴らしい。ジブリ作品の中でも最高傑作の一つであることは間違いないと思う。

おそらく、時代は90年代前半であろう。都営アパートらしき集合住宅(2DK位か?)に暮らす月島一家の家族構成は、両親と姉妹。
冒頭で、コンビニで牛乳を買ってきた主人公の雫の母親の「また、ビニール袋?牛乳一本なのに。」というセリフだけで、彼女が環境問題に意識が高い女性であることがそれとなくわかる。しかも、その母親は、40歳を過ぎているだろうに、大学院の修士課程に通っていて、中学生の娘に「あなた、好きで勉強してるんでしょ。」などと言われている。
さらに、姉の「生協で買い物」というちょっとしたフレーズを重ね合わせると、この家族は多摩地区あたりにありがちな、中の下流の知的「市民」家族であろうことが想像できる。
一方で、彼女の友人の夕子の家は、裕福そうな一軒家に住み、父親は家に帰ると野球を見ている。そして、母親は子犬を抱いている。想像逞しくするならば、おそらく、父親は民間の一流企業のサラリーマンなのだろう。あの頃、バブルの恩恵を受けていない地方公務員の現業はつつましやかなのに対して、民間は金回りが良かった。しかし、その二つの層の間には何のわだかまりも上下意識も無い。だから、夜、遅くだとしても、雫は夕子の家にあがりこんで普通に時間を過ごすのだ。勿論、公務員がうらやましいなどという価値観は無く、一億層中流が無意識に共有されていた...

上記はほんの一部に過ぎないが、このアニメでは、こうした丁寧なディテイルが全編にちりばめられていて、あの時代の普通の人々の息遣いが、まさに聴こえてくるかのようだ。
もっとも、このような、耳をすませば聴こえてくるようなディテイルも、多分に時代性を帯びていて、現在から見返してみると、若干のノスタルジーとして聴こえてくるし、もしかしたら、最近の若い人にはピンと来ないかもしれない。しかし、年寄りくささも気にせずに、その調に身を任せるのもまた、心地よいではないか。

また、アニメの中で何度も流される「カントリーロード」の音楽と、その背景に映し出される高台から見下ろされた東京都下の風景は、自動車が激しく往来する道路と狭い空間に密接して建てられた民家やビルなどによって構成されており、それは、「カントリーロード」の元歌で歌われているウェストバージニアの田園風景などとは、おそらく似ても似つかないが、しかし、「カントリーロード」を「コンクリートロード」と替えて笑いながら歌う少女達の笑顔や、イタリアへ職人修行に行こうとする少年の「お前のあの歌(「コンクリートロード」)を歌って頑張るからな!」というセリフには、ニヒリズムを明確に超えた「ここが我が故郷なのだ」という、ささやかな誇りとしたたかな希望を感じさせてくれる。
あるいは、こうも言えるかもしれない。いい悪いは別にして、僕らの民謡は、いつの間にか、西洋のカントリーミュージックになっている。これは戦後日本の文化、社会があまりにも自然にアメリカ化した結果であると。

しかし、このアニメで描かれている純朴な誇りと希望を、2012年の僕らが共有しているのかどうかと言えば、それはいささか躊躇が必要かもしれない。そこが、このアニメを現在に観ることの、どことない切なさと繋がっているように思われる。

物語は、坂の上にあるある西洋アンティークショップ(地球屋)に置いてあった一体のウサギの人形(バロン)が、戦争をはさんで、恋人と出会えなかった悲恋の物語と、同時に、この人形の持ち主であるお爺さんの悲しい青春の記憶の物語、そして、その人形をネタに雫が書き上げたファンタジー小説、さらに、その雫と、このお爺さんの孫である天沢聖司との恋愛の行方。この四つの恋の物語が絡みながら進行して行く。

その途中にさりげなく挿入される雫からバロンへの「あなたことは先から知っていたような気がするの。」という独り言や、お爺さんが、かつての恋人(ルイーズ)が帰ってくる夢を見て目を覚ました瞬間に雫が現れるというタイミングを勘案すると、露骨な想像力で力任せに「戦争で亡くなったルイーズの生まれ変わりとして雫が現れた」などという妄言も口に出してみたくもなるが、この作品の”現実を超えた何か”の寸前で止まる上品な倫理性の前では、これ以上、妄想を語ることは、極めて野暮な気もしてくる。

ただ、ここに登場してくるブタ猫のムーンについてだけは、敢えて語っておきたい。
というのも、僕が観たアニメの中には、しばしば、夢の世界へ案内したり、恋人達を遭わせたりといった場面にこのブタ猫が登場するのが気になっていたからである。例えば、「借り暮らしのアリエッティ」(2010年)におけるニーヤは、最初はアリエッティに対して危ない存在として登場するのだが、アリエッティと少年・翔を引き合わせるのもこの猫なのである。また、「老人Z」(1991年)におけるブタ猫・小春も、最後に、高沢老人に会いに来る妻・ハルが乗り移ったグロテスクな合体機械のための部品(コアプロセッサ)を運ぶという大事な役割をする。
そして、この「耳をすませば」のブタ猫・ムーンも、電車で雫の隣に乗ったかと思えば、都市空間の中の迷路のような場所を通って、彼女を恋人・翔とお爺さんが居る地球屋へと導く。それは、まるで、「迷宮物語」(1989年)の中の「ラビリンス*ラビリントス」でかくれんぼをしながら、少女(サチ)と一緒に幻想世界へ迷い込むブタ猫のチチロネを思い出させる。さらにいえば、「となりのトトロ」における猫バスもブタ猫と言えなくもない。そして、ご存知の通り、この猫バスは、現実界とあの世とを運行する。

左から小春「老人Z」、ムーン「耳すま」、猫バス「トトロ」、ニーヤ「アリエッティ」、チチロネ「迷宮物語」

かつて猫の妖怪といえば、人間の怨念が乗り移った化け猫と相場が決まっていたものだが、ここ二十年位の間で、縁結び、霊界先導としての猫という観念も生まれてきているということであろうか。昨今は、ネコ型人間という言葉もあるらしく、組織に縛られない自由な生き方として注目され始めているとも聞く。先日のエントリー(「デスノート」 名前が書かれると死ぬというあまりにも日本的な設定)との関連で言うならば、その名前がムーンだったり、オタマだったり、ムタだったりと相手と場所によって、名前を特定させないこのブタ猫は、まさに、自由の象徴なのではないだろうか。

しかし、その一方で、名前を知られるということが、相手に支配されることであるならば、最初から一方的に名前を知っていた天沢聖司は、その時点で、月島雫を支配していたいたとうことであり、図書カードで自分の名前を意識させるという高等戦術によって、逆に雫が彼に恋をするように仕向けたと言えなくもない。中学生にしては、見事な戦術である。

最後に、この物語が興味深いのは、大団円。丘の上で朝日を見ながら、結婚の約束をした翔と雫ではあるが、いざとなったら、あのブタ猫が戦闘機によって邪魔をしに来るかもしれない、そんな愉快な夢想の余地を残しているところである。
それにしても、2012年の現在、あの翔と雫は、幸せなゴールインを迎えることが出来たのだろうか。それは、もしかしたら、残酷な問いかもしれない。

まさむね

8 Comments »

  • 高澤 said:

    大好きな作品です。

    ホントかウソか解りませんが、この作品はテレビ放映されると直後に自殺者が増えるという話で有名ですね。
    人の心底にある傷だらけの純情に触れてしまう作品なのでしょう。
    この作品には私が既に失ってしまったもの、この歳で失っていなければならないのに持ち続けてしまっているもの。この作品は、その両方に共鳴してしまいます。

    それにしても見れば見るほど近藤喜文監督の早すぎる他界が悔やまれますね。
    宮崎駿さんは『耳をすませば』制作時の妥協無き軋轢が近藤さんを死に至らしめたと本気で思っているようですね。
    テレビでそのことに自ら触れ、「終わりを渡してしまった」と本当に苦しそうに大きな溜息をついて語っていました。

    作った側も観る側も深い苦しみを感じながら、しかも惹き付けられて止まない作品。他にこんな作品はありません。

    この物語には隠れた過去がたくさんあり、そして想像する未来もたくさんあります。
    月島家は、家族4人がかなり自立心のある家庭のようです。4人の教養レベルも恐らく高いと思えます。
    長女汐の一人暮らしに反対らしい反対をしない月島家の家風が雫も育てているんでしょうね。
    アニメでは雫は地味な外見で描かれてはいるけど、聖司や杉村にかなり早い段階から惚れられていたことを思うと、本当はかなり目立つ存在なのでしょう。頭も外見も悪くない、積極的で感性も豊かな少女です。
    一方の聖司もかなりの教養高い家庭に育ったと思われます。聖司自身も簡単に海外にでてゆきますが、こんな家庭はそうはありません。

    そして描かれる主題は「大切な人に大切な一言を言える人生」と私は感じました。
    描かれる雫も聖司も、羨ましいことに大切な一言を言える人なのでした。
    私は果たして「大切な一言」を言える人生だっただろうかと振り返ると、そうではなかったと云わざるを得ません。
    きっとこの作品を観て自殺したくなるという人も同じなのでしょう。

    聖司の祖父西司朗老人は、留学中に出会ったルイーゼと別れてしまった時に人生をかけて守り抜く唯一の宝をなくしてしまった人なのだろうと思います。
    戦争という時代の大波があったとはいえルイーゼの手を離してしまった西司朗は、心を癒してくれる夢でさえ、暖炉の中で折れる薪の音で消されてしまいます。
    彼は、きっとずっとあの夢の中に棲み続けたいに違いありません。

    再会できなかったルイーゼは幸せな人生を歩んだのでしょうか…。
    西司朗はおそらく一日としてルイーゼの人生を思わない日はなかっただろうと思います。
    私には確信できます。
    店に飾ってある猫の人形「男爵」の目の輝きを教えてくれたのはきっとルイーゼなのでしょう。
    西司朗は、その半生の喪失感の上に立って、物語全体を俯瞰しているように思います。

    この作者はまず私達に手を伸ばせ、欲しいものは何なのかを言ってみろと問いかけます。
    でも、その次には原石を探し回った末に手にした宝石がヒナの死骸になってしまうように、決して夢は結実するとは限らないのだとも教えてくれます。
    雫が書き上げた小説も、聖司が作り上げたバイオリンも、おそらく西司朗から見れば「温かく見守る程度」でしかなかったのかもしれません。しかし、西司朗の眼差しはどこまでも温かいですね。きっと宮崎駿氏は自分が西司朗のようになれなかった苦しみをずっと抱えているのでしょう。

    「カントリーロード」、でも故郷へは帰らないと唄うあの歌は、悔いを残すな、言い残すな、それがあなたの最善かと何度も何度も観る者を励ましているようにも感じます。
    しかし、頑張れなかった過去を持つオヤジ達には心底辛い問いかけでもあります。
    聖司は云います、「おまえを乗せてこの坂を上るって決めたんだ」と。
    西司朗や視聴者がおそらく云えなかったであろう言葉も、現代の高校生である聖司はいとも簡単に言ってしまうのです。

    西司朗も孫の聖司に負けないくらい彼なりに精一杯生きたのでしょう。
    西司朗にも孫がいると云うことは、妻もいたはずです。それでも西司朗の心を占拠し続けるのは妻ではないのでした。
    そして聖司と西司朗の結末は、雫の存在を抜きに考えても恐らく正反対になるのだろうと思います。
    「時」は残酷です。その「時」の残酷さをあらためて味わうのがこのアニメなのでしょう。

    この作品に流れる街の空気、夜明けの空気は本当にタイムマシンのようですね。

  • masamune (author) said:

    高澤先生へ

    一本気新聞へお越しいただきありがとうございます。
    また、コメントありがとうございます。
    興味深く読ませていただきました。

    このアニメはディテイルの描写(例えば、雫の家の中とか)がリアルなだけに、よけい聖司と雫の生き方が、周囲の生かせ方も含めて、視聴者の現実との落差を感じさせ、それが視聴者に絶望を感じさせる要因ではないかと想像します。あの押井守はこの作品に対して、以下のように言っているそうです。

    耳をすませば」に出てくるような健康的な一家を観て、はたしてアニメーションを必要としている現代(いま)の若い子達が勇気付けられることがあるのだろうか。
    僕は無いと思う。
    耳をすませば」を観て生きる希望を沸いてきたり、勇気付けられる子供はもともとアニメーションなんか必要としていないんだと。
    アニメでも映画でも小説でもなんでもいいが、フィクションを人並み以上に求めている子供達にはああいう形で理想や情熱を語られてもむしろプレッシャーにしか感じないはずだ。

    ただ、僕は今の若い人達が、この作品を現代の物語としては、もう観ていないのではないかと思って、エントリーを書きました。なんだかんだと言って、17年前の作品ですからね。昔の話として感じるのではないでしょうか。
    なので、この話を観て、ストレートに自殺をしようと考える時代は終わったように思います。ただ、最近、就活失敗で自殺増みたいな記事もありましたので、死んでしまう人は死んでしまうのでしょうが。

    西司郎から見た「耳をすませば」という視点は興味深いですね。確かにこの西司郎の視線は暖かいですね。そして、その暖かさの背景に苦い体験を感じさせますね。そのあたりの描写は秀逸ですね。

    聖司の「おまえを乗せてこの坂を上るって決めたんだ」という台詞など、普通はちょっと言えないですね。でもそれに対して、雫は結局はお荷物になりたくないと自転車を押します。あのシーンは、宮崎アニメの少女の特徴を引き継いでいますね。

    ただ、男爵のバロンと西という名字に引きずられて、僕はバロン西のことを思い出してしまいます、予断ですがww。

    この作品に関しては、語ってみたいことはまだまだ山のようにあります。2時間弱の作品としては信じられない濃さだと思います。

    いつか機会がありましたら、お相手してください。

  • えびすこ said:

    スタジオジブリによると「SFファンタジー路線は当面やらない」と宣言していますが、次回作はどういう人物が主人公になるんでしょうかね?
    「若い男性」が主人公になる作品は案外少ないですね。

  • masamune (author) said:

    えびすこさんへ

    おはようございます。
    コメントありがとうございました。
    確かに、ジブリでは「若い男性」が主役の作品は少ないですね。「もののけ姫」のアシタカが思いつきます。
    一説によると宮崎監督の少女趣味の反映という話もありますが、闊達な娘がよく登場しますね。「トトロ」のサツキとか「魔女宅」のキキとか。
    そういえば、あまりに闊達すぎて、リアリティが無いという事を直接、宮崎さんに言ったら、激怒されたと社会学者の宮台真司さんが言っていました。

  • えびすこ said:

    ご回答ありがとうございます。
    「少女・若い女性が主人公になる事」が多いのは、映画を見る人の年齢に合わせたのかもしれないですね。今夜の「となりのトトロ」でも主人公は小学生の姉・幼稚園児相当の年齢の妹ですね。「SFファンタジー路線」なら小学生でも内容を理解できる単純明快さがスタジオジブリの売りですね。
    しかし、1995年の「耳をすませば」や昨年の「コクリコ坂から」は、30代以上でないとメッセージを理解できないのではないかと思います。1995年当時は中学生でしたが「耳をすませば」があまり面白いとは思いませんでした。主題歌は耳に残ってますが。当時の映画評論家の意見はどんな感じだったんでしょうかね?

    先週の「千と千尋の神隠し」は高視聴率でしたね。民放局のドラマより視聴率が高かったので驚きの声も出たとか。反対に言うと昨今のテレビドラマでは視聴者の共感を掴みにくいと言えますね。ある意味、視聴者の世代が主要出演俳優の世代よりも上か下だと共感しにくいと思います。今年は朝ドラ以外のテレビドラマの視聴率低迷が例年より鮮明です。
    「ドラマよりもアニメを見て感動する」と言う意見もあります。

  • masamune (author) said:

    えびすこさんへ

    一本気新聞へお越しいただきありがとうございました。
    また、コメントありがとうございます。

    耳をすませば」は多分、大人が見て、いろんなことを感じるアニメだと思いますね。同年代の人が観ると、羨ましいという感情が先にたつ作品かもしれません。

    「千と千尋」は何度観ても飽きない楽しさがあるみたいですね。今回で何度目の再放送かは知りませんが、いまだに高視聴率を稼ぐのは、見る側が安心して見られるからでしょうか。

    ドラマの視聴率の低下はひどいみたいですね。ウチでも朝ドラと大河は見ていますが、民放のドラマはもう見ていません。
    今年は、ヒット曲も見当たらないし、多くの日本人はそういった大衆向けのコンテンツで意識を共有して楽しむという文化がなくなってしまったかのようですね。

  • Air Max LTD Mens said:

    yor Bir de tabi

  • bor said:

    ストーカー行為をはたらくお前が 宮崎アニメ語るだと? ふざけんな

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