Untitled
ストーンサークル
「きた
じょうもん ぶん か
「なぞ
さぐ
~北の縄文文化の謎を探ろう~
秋田県教育委員会
はじめに
だいしょう
なら
「ストーンサークル」は、大小の石が環のように並べられたもの、つまり「石の環」で、これ
えいご
ストーン サークル い
にほん
かんじょうれっせき
を英語ではStone Cicleと言います。 日本では「環状列石」と呼んでいます。
まんねん
つづ じょうもんじだい なか
1万年も続く縄文時代の中で、ストーンサークルの多くは、今から4000年から3000ぐ
まえじょうもん じだいごうき
つく
きた にほん
らい前(縄文時代後期にあたります) に作られるようになります。 北日本のストーンサーク
いし ちょっけい
おお
なら
きょだい
ちょっけい
ルは、たくさんの石を直径が50mを越えるほどの大きさに並べた巨大なものから、直径が
ちい
おお
ぜんたい かたち いし
なら
かた
4mほどの小さなものまで大きさはさまざまです。 また、全体の形や石の並べ方にも、いろい
ろなものがあります。
おおゆかんじょうれっせき
大湯環状列石
伊勢堂岱遺跡の
ストーンサークル
わしのきいせき
ノ木遺跡の
ストーンサークル
こまきのいせき
小牧野遺跡の
ストーンサークル
能代東IC
秋田南IC
秋田駅
樸手
ゆふねざわかんじょうれっせき
湯舟沢環状列石
S
酒田駅
酒田IC
IC
新庄駅
【鶴岡駅
新湯空港
▶湯雙山
IC
IC
八山形駅
ストーンサークル・ガイドマップ
新潟駅
月山IC
山形北IC
新潟中央
IC
仙台駅
2
ず
じっさい
けんがく
かんけい
このページの地図には、 実際に見学することができるストーンサークルやこれに関係の
いせき
いせき
むかし ひと
じゅうきょ
はか
こん せき
ちちゅう
のこ
ある遺跡(「遺跡」とは昔の人たちの住居やお墓などのさまざまな痕跡が地中に残っている
ばしょ
しめ
きた
場所のことです)などを示しました。みなさんもこの地図を見ながら、北のストーンサーク
たず
ルを訪ねてみませんか。
「おじょろかんじょうれっせき
【忍路環状列石
八雲
TC
江差駅
函館駅、
青森駅
青森IC
青森 IC
61 八戸駅
八戸IC
大館駅
盛岡IC駅
花巻IC 花巻駅
久慈駅
岩泉駅
宮古駅
北上駅 東和
盛駅
釜石駅
IG
一関
IC
一関駅
小牛 田
女川駅
ぼくはモンチャン
ねんまえ せかい
3000年前の世界から
やってきたんだ
稚内駅
ぼくといっしょに
ストーンサークルの
なぞ
さぐ
謎を探ろう
士別剣淵IC
深川西IC
淀川駅
小樽駅
旭川駅
小樽IC
網走駅
札幌駅
夕張駅
北見駅
夕張IC
足寄IC
【苫小牧駅
十勝滑水
a
IC
[本別IC
带仄駅
釧路駅
根室駅
たいしものいせさ
太師森遺跡の
ストージサークル
たていし いせき
館石野遺跡の
れつじょうはいせき
【列状配石
しみずやしき と いせき
清水屋敷Ⅱ遺跡の
ストーンサークル
3
かたち
ストーンサークルのさまざまな形
いま
まんすうせんねんまえ
せんすうひゃくねん
まえ
じだい
じょうもんだい
だい
ぶんか
今から1万数千年前から2千数百年ぐらい前までの時代を 「縄文時代」、 その時代の文化を
じょうもんぶんか
にほん れっとう
じだい ひょうき
お
よ
いま
さむ
「縄文文化」 と呼びます。 それは、日本列島が今よりももっと寒い時代(氷期と言います)が終
はじ
こめづく
やよい じだい
あいだ
おお
ひと
じめん
ほ
わって米作りが始まる弥生時代までの間です。このころ、 多くの人びとは、地面を掘り込ん
ゆか
いえたてあなじゅうきょ
す
か
もの
で床とした家 (竪穴住居と言います)に住み、狩りや木の実集めで食べ物を得て、それを自
もんよう
じょうもんどき
にた
た
かんが
の文様がある縄文土器で煮炊きして食べる暮らしをしていたと考えられています。
あきたけんかづのし
おおゆかんじょうれっせき
のなかどう しゃしん みぎがわ
まんざしゃしんひだりがわ
秋田県鹿角市にある大湯環状列石には、 野中堂(写真右側)と万座(写真左側)という2つの
ストーンサークルがあります。 野中堂のストーンサークルでは、外側の環の直径がおよそ
まんざ
のなかどう
いし
そとがわ
わ
わ
ちょっけい
み
44m、万座のストーンサークルでは、およそ52mもあります。 石の環は、 よく見るとすきま
いし かたまり
とくちょう
があって、いくつかの石の塊がつらなってできていることが特徴です。
しゃしん
この写真は
しばふ
ラ
芝生を植えたりして
こうえん
ようす
公園にした様子だよ
「ん」かんじょうれっせき
万座環状列石
おおゆかんじょうれっせき
N
4
のなかどうかんじょうれっせき
野中堂環状列石
N
こまきのいせき
さんじゅう
いし
ね
ちゅうおう
ね
青森市にある小牧野遺跡のストーンサークルは、 三重の石の環でできています。 中央の環
ちょっけい
ちゅうかん
ね
いちばんそとがわ
わ
ぜんたい かたち
は直径2.6mほど、 中間の環はおよそ30m、一番外側の環はおよそ35mあります。 全体の形は、
まる
せいほうけい
みぎろえ
いちれついし なら
丸みをおびた正方形のようになっています。 さらに、右上にはもう一列石が並べられていて、
よんじゅう
つく
四重のストーンサークルを作ろうとしていたのかもしれません。
うえ
にまきのいせき
真上から見た小牧野遺跡のストーンサークル
こまきのいせき
えが
小牧野遺跡のストーンサークルを描いた図
ストーンサークルには
まわ
ちい
周りには小さな
この
角みたいなのがついてるなあ
ストーンサークルみたい
なのもあるぞ
ほっかいどうもりまち
わしの き いせき
さんじゅう いし
とがわ
北海道森町にある鷲ノ木遺跡のストーンサークルは、 三重の石の環でできています。外側
わ
ちょっけい
まる
えん
の環の直径はおよそ37mで、きれいな丸い円になっています。
まる
こっちはきれいなまん丸だね
異から見た戦遺跡のストーンサークル
わしの
いせき
えが
こず
鷲ノ木遺跡のストーンサークルを描いた図
5
かたち
ストーンサークルのさまざまな形②
いわてばんはなまきし
しみずやしき 2 いせき
ちょっけい
ちい
うちがわ
岩手県花巻市の清水屋敷Ⅱ 遺跡は、直径7mの小さなストーンサークルです。 内側には2か
しょ
いしぐ
所に石組みがあります。
しみずやしき 2 いせき
N
しみずやしたいせき
清水屋敷Ⅱ遺跡の
ストーンサークル
3m
しみずやしき 2 いせき
えが
清水屋敷Ⅱ遺跡のストーンサークルを描いた図
ほくとう
はな
あひょう く いせき
ぜんぶ
やじるし 伝うごう
矢印の方向が
しゅんぶん しゅうぶん
春分や秋分の
で
ひ
日の出の白の
間なんだ
ちい
清水屋敷Ⅱ遺跡から北東に200mほど離れた安俵6区遺跡では、全部で8個もの小さなストー
ンサークルが見つかっています。大きなものでも直径が6mほど、小さいものでは4m足らず
の大きさです。いくつかには岩で囲った囲炉裏のようなものがあり、住居として使われた可
のうせい かんか
能性も考えられています。
ひょう くいせき
『えが
ず
安俵6区遺跡のストーンサークルを描いた図
5m
6
あひょういくせき
真上から見た安俵6区遺跡のストーンサークル
ちい
うわぁ、小さな
ストーンサークルが
いっぱいだ
いわてけん たきざわむら
ゆふねざわかんじょうれっせき
岩手県滝沢村にある湯舟沢環状列石では、長さ14mほどの弧状の石の列と長さ25m前後
の真っ直ぐな2本の右の列が組み合わさったものが見つかっています。 上から見るときれい
なが
こじょう
いん
れつ
なが
ぜん
かんじょうれっせき
わ
な環にはなりませんが、 これらをまとめてストーンサークル(環状列石)と呼ぶこともあり
ます。
(ゆふねざわかんじょうれっせき
湯舟沢環状列石
みち
これはまるで道みたいだね
ゆふねざわかんじょうれっせき えが
湯舟沢環状列石を描いた図
いわてけんりくぜんたかだし
もんぜんかいづか
かんじょう
うえ
み
やじるし ゆみや
岩手県陸前高田市にある門前貝塚では、環状ではなく、上から見るとまるで矢印か弓矢の
ように岩を並べています。
ふんぜんかいづか ゆみやじょうはいせき、
門前貝塚の弓矢状配石
ゆみや
う~ん、弓矢に似ているね
もんぜんかいづか
ゆみやじょうはいせき
えが
ず
門前貝塚の弓矢状配石を描いた図
なかま
かんが
しょうかい
もんぜんかいづか
ゆみや
ストーンサークルの仲間と考えられるものには、ここで紹介した門前貝塚の弓矢のよう
いがい
ちょくせんじょう いし なら
いし
かたち
なもの以外にも直線状に石を並べたものなどもあります。このころは、石をいろいろな形に
なら
りゅうこう
並べることが流行していたようです。
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