池田小事件後に学校で過ごした私 教訓生かしたい

子どもたちを守り切れなかった罪は死ぬまで許されない。

2001年、大阪教育大附属池田小で児童8人の命が奪われる惨事が起きました。副校長として事件に向き合った矢野克巳さんの、あまりにも重い言葉です。今日の記事によると、「これまで取材の申し入れはすべて断ってきた。今回、第二の付属池田小事件を起こさないために、体験を語って教員生活を終えようと思った」といいます。

包丁2本を持った宅間守・元死刑囚が校舎に侵入して、児童に次々と切りかかった恐ろしい事件。教職員はそのときできることを懸命にやっていました。しかし、想定外の事態を前にしては限界があります。事前の備えが足りなかったことが矢野さんの話からわかります。

当時私は5歳。まだ小学校に上がる前で、当時のことはほとんど記憶にありません。中学生のときに過去の凶悪犯罪を調べていて、この事件を知りました。子どもたちが味わった恐怖を思い、宅間元死刑囚への怒りに震えました。

小学校入学後に何度か防犯訓練がありました。自分のクラスだったかは定かでないですが、警官が刃物を持った男に扮し、教室に入ってくるという設定でした。刃物は偽物でしたが、本当に怖かったのをよく覚えています。授業中に「今いきなり不審者が入ってきて、先生や友だちを襲ったらどうしよう」と考えていたこともあります。

そういえば、学校には相手の動きを封じ込めるための武具「さすまた」が置いてありました。また、今ではどこの学校にも監視カメラやセンサーが設置されています。思い返すと危機管理の体制が強化された中で学校生活を送ってきたのですね。守られてきたのです。

事件や事故、災害の当事者しか語れない事実や思いがあります。言葉にするとき、つらい記憶も一緒に蘇るでしょう。それでも、あのときのことを話してくれた矢野さんに、感謝の気持ちを伝えたいです。

国内には、セキュリティの甘い施設がまだあるように思います。たとえば病院はどうでしょうか。機能上、不特定多数が昼夜問わず自由に出入りできます。警察庁の犯罪統計資料では、昨年1年間の病院荒らしの発生件数は718件でした。こんなに多いとは思いませんでした。外部からの犯行だけでなく、内部でも医薬品持ち出しや傷害・殺人事件が過去に起きています。

先日、医師の父とこのことを話していました。

筆者「やろうと思えば手術室だって入れるんじゃないの?」
父「そんなことしようと思う人いるのかな。でも、言われてみれば無防備かもしれない」

「まさか」が起こらない保証はない。この気持ちを常に持って、あらゆる局面に備えたいものです。明日から新年度です。大人も子どもも、それぞれの環境で健やかに、安心して毎日を生きることができるよう、祈っています。

参考記事:31日付 読売新聞朝刊(東京12版)11面「守れなかった悔い、一生続く(あの時 平成時代)」