「体を殺しても、魂を殺すことのできない者たちを恐れてはならない。」(マタイによる福音書 10:28)

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。 」(ヨハネによる福音書 15:13)

 

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今年も、聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父の記念日である8月14日が近づきました。私たち日本のカトリック教徒にとって、特別に愛すべき存在である20世紀の聖人、聖コルベ神父を皆様はご存知ですか?ご存知の無い方は、下記をご参照下さい。

コルベ神父について
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=081401

聖マキシミリアノ・コルベ(Wikipedia)

私が18歳で、東京・高円寺教会において洗礼を受けた頃、初めて読んだ聖人伝は、中世イタリアの清貧の聖人、アシジの聖フランシスコについてのものでした。そして、聖フランシスコについての素晴らしい伝記映画「ブラザー・サン、シスター・ムーン」を見て、言葉で言い表せないほどにとても感動しました。ですから、私は自分の洗礼名にアシジの聖フランシスコをいただきました。

そして、次に出会った聖人伝が、コンベンツァル・フランシスコ会(OFM.Conv)の修道司祭であり、近代における聖フランシスコの弟子、聖母の騎士会を設立した聖コルベ神父についての著作でした。私は、コルベ神父様の聖母への愛と献身、長崎での宣教とアウシュビッツでの殉教の生涯を初めて知り、強い衝撃を受けました。そして、彼の聖母への燃える愛と人々の救霊への熱意を知り、また、カトリック信仰への強い確信が、世の支配と悪の勢力に対してどれほどの力強い勝利を収めるのかを知りました。

20代前半の頃、私はコルベ神父様の生涯について日本語で書かれた著作で手に入るものを全て購入し、読みふけった思い出があります。特に、聖母の騎士社から出版されている聖母文庫の「M・コルベ神父のことば集 無原罪の聖母」は、現在も繰り返し読んでいる私の愛読書です。この著作は、聖コルベ神父の死の後、1944年にポーランドのニエポカラヌフ(無原罪の聖母の園)で出版されたものの翻訳本です。聖コルベ神父様が生前に残されたことばが集められています。編著は、聖コルベ神父と一緒に日本で生活された故セルギウス・ペシェク修道士です。

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「無原罪の聖母、これが私たちの理想です。私たちが聖母に近づき、聖母に似た者となり、全く無制限に聖母の所有物になること、また聖母が私たちの心と全存在を支配し、私たちにおいて、私たちを通して生き、かつ働き、私たちの心を持って神を愛されること、これが私たちの理想です。

周囲の人々の為、汚れなき聖母の輝きとなり、聖母のために人々の魂を得、汚れなき聖母によって隣人の心も開かれ、人種、国、言語の区別なく、現在存在し、また世の終わりまで存在するであろう世のすべての人の心において、汚れなき聖母が女王たりたもうように努めることは、私たちの理想であります。聖母の命が私たちにおいて、毎日、毎時間、毎瞬間、そして限りなく深まっていくこと、これが私たちの理想です。

聖母のために自分の生命を捧げることは、聖母に対する私たちの愛の極みです。  」

                     聖コルベ神父の言葉 (聖母の騎士社 聖母文庫 「無原罪の聖母」より)

今も、私は毎年8月になると、このコルベ神父様のことば集「無原罪の聖母」を書棚から取り出して、黙想します。毎年8月14日の聖コルベ神父の記念日は、私にとって、聖母への愛と奉献の心を更新する大切な日なのです。これは、20年以上続いている私の夏の習慣です。

コルベ神父様は私に、聖母を愛すること、そして、どのように聖母を愛するかを教えてくれました。ですから、私が聖母を愛することを最初に教えられたのは、コルベ神父様の生涯と言葉によってなのです。

私は、その後、仕事の関係で世田谷区の駒沢で生活することとなり、フランシスコ会(OFM)ローマ管区のイタリア人司祭の指導する東京・三軒茶屋教会で在世フランシスコ会の活動に参加し、同じ聖フランシスコ会系列の仲間であるコンベンツァル・フランシスコ会(OFM.Conv)、すなわちコルベ神父様が日本にもたらしてくれた聖母の騎士の司祭、神学生たちとも交流を持ちました。毎月、聖母の騎士の関町修道院で集まりがあり、聖フランシスコの精神についての学びがありました。

私は24歳の時に、聖コルベ神父様の足跡をたどり、大浦天主堂や本河内の聖母の騎士修道院を訪問しました。聖母の騎士修道院では、聖コルベ神父様を身近に知っていたセルギウス修道士が案内してくれ、聖コルベ神父と一緒に長崎に来たゼノ修道士たちが建設したルルドの聖母の洞窟へ連れて行ってくれました。聖母の騎士のルルドは、不思議で清らかな静けさに満ちていて、とても印象深い場所でした。今もはっきりと覚えています。また、少年の時に聖コルベ神父と触れ合った体験を持つ中村修道士が、私たちにちゃんぽんをご馳走してくれました。本当に懐かしく、良い思い出です。

コルベ神父様は聖母の熱愛者として知られ、その生涯は、少年期に聖母を幻に見たことに特徴づけられるように、聖母に決定的に導かれ支配されたものであり、全てを無原罪の聖母の勝利と、聖母を通しての人類の霊魂の救済、聖母による全世界の霊魂の獲得のために捧げられたものでした。

そして、その単純と清貧の精神、聖母と霊魂の救済へのセラフィム(熾天使)的な燃える愛、そして騎士道精神は、フランシスカン・スピリットの近代におけるひとつの決定的な体現でもありました。

私たちは、聖コルベ神父の生涯の証しを知るとき、確信に満ちた信仰の美しい素晴らしさと、隣人と世界を愛することの崇高さと、真理と救霊に奉仕する戦いの気高さを、魂で感じることができます。

聖コルベ神父の生涯と死を、人道的なヒューマニズムの観点から世界中の様々な立場の人々が賞賛しますが、しかし、聖コルベ神父の生涯が真に示したのは、単なるヒューマニズムではなく、神と聖母への全面的な信頼と委託がもたらす勝利、信仰と希望と愛の勝利なのです。聖コルベ神父の生涯の歩みを真に理解するためには、カトリック信仰と聖母への崇高な信心がもたらした霊的行動原理を知らなければなりません。

悪に満ちた全体主義が全てを圧迫し、支配しようとしていた20世紀の暗黒の時、信仰と愛が死を乗り越えて勝利することを聖コルベ神父は命を賭けて証し、世界の罪の闇に無原罪の聖母が完全に勝利されることを預言的に示されました。

そして、私たち日本人は、特に聖コルベ神父様を身近に感じ、感謝しなければいけないと思います。大日本帝国による暗黒の闇が迫ろうとしていた時、聖母の騎士・聖コルベ神父様は、長崎に来てくれたのです。そして日本の救霊を願い、日本のために聖母の騎士の精神を伝えてくれました。聖母マリアは、どれほど日本を愛し、救いたいと願っておられたことでしょうか。

20世紀の暗黒に、無原罪の聖母の騎士・聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父は、信仰と愛の勝利を成し遂げられました。汚れなき聖母は、聖コルベ神父を通して、御自身が世界の罪と悪に最終的に勝利されることを示されたのです。

「信仰薄き者、なぜ心に疑いを抱くのか?いたるところで、マリアに向かって愛と確信を奮い起こせ。そうすればすぐ、もっとも頑固な罪人の目から涙が流れ、刑務所が空になり、熱心な労働者の階層が増え、家庭は徳で香り、平和と幸福が争いと苦しみを滅ぼしてしまいます。なぜなら、その時、新しい時代となるのですから。」
                            聖コルベ神父の言葉 (聖母の騎士社 聖母文庫 「無原罪の聖母」より)

 

聖コルベ神父様、あなたのように聖母を愛することができますように。

あなたのように、どんな時にも神と聖母への全面的な信頼と委託のうちに、
力強い確信に満ちた信仰を生きられますように。

あなたのように、全世界の救霊を願う燃える心を持つことができますように。

あなたのように、聖母への奉献を通して、信仰の勝利に入ることができますように。

今年の夏も、あなたを思い、あなたに学び、あなたの人生に心から感謝いたします。