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肥後の石造アーチ橋・変遷略史 |
日本石橋を守る会総会(平成16年5月8日)での浦田勝美氏の講演資料です。熊本の石造めがね橋の変遷を簡潔に紹介されていますので、ここに紹介させていただきます。
熊本県の石造アーチ橋(めがね橋)は、以下の3期に大別出来るように思う。
架橋(西暦)石工年齢 | |
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洞口橋(1774)37 黒川橋(1782)45 仁平没(1790)53 豊岡橋(1802) 門前川橋(1808) 湯町川橋(1814) |
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雄亀滝橋(1818)25 聖橋(1832)39 浜町橋(1833)40 鹿児島行(1842~1849)49~56 新上橋(1845)52 西田橋(1846)53 高ろく橋(1847)54 武之橋(1848)55 (霊台橋も同年築) 玉江橋(1849)56 (同年帰郷) 三五朗没(享年58) 馬門橋(1827) (小莚二俣/1829) (二俣福良/1830) (三由橋/1830) (山崎橋/1831) |
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万世橋(1873)51 浅草橋(1874)52 (同年帰郷) 明八橋(1875)53 明十橋(1877)55 永山橋(1878)56 栗瀬橋(1881)59 高井川橋(1881)〃 釘ノ鼻橋(1881)〃 下鶴橋(1886)64 洗玉橋(1893)71 勘五朗没(1897)75 |
時代は変わり、1890年(明治23年)には八代にセメント会社が出来、橋材は石材からコンクリートへ、手造りの時代から機械化の時代へと変遷して行く・・・・。 |
浦田勝美さんの許可を得て、作成させていただきました。熊本のめがね橋の変遷を、3つの時代と3人の石工に焦点を当て、コンパクトにまとめておられます。浦田さんは、長年にわたりアーチ式石橋を調査・研究をされ、古文書や図面等をもとに、今では消えてしまった「めがね橋の復元図」も作成されています。復元図製作の秘話を交えながら、めがね橋をこよなく愛する気持ちが言葉の端々に!石橋への興味が更に深まるとともに、楽しい時を過ごすことができました。(右が日本石橋を守る会総会での浦田さんの講演スナップ) |