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【岩上安身のツイ録】「強兵」が復活しつつある日本~岩上安身の父が語った日本軍の異常な理不尽 | IWJ Independent Web Journal

【岩上安身のツイ録】「強兵」が復活しつつある日本~岩上安身の父が語った日本軍の異常な理不尽

記事公開日:2014.1.30 テキスト

※1月21~22日の岩上安身の連投ツイートを再掲します

 日本軍の兵隊は糧食をほとんど持たずに戦場へ行かされた。現地調達。つまり現地の住民から食べ物を奪うのが前提。現地で多大な迷惑をかけ、食べ物が尽きるとたちまち飢餓に。

【悲惨な戦場】「軍人・軍属二百三十万人の戦没者、半数以上が餓死者」http://bit.ly/18tomr1

 僕の父は、一番辛いのが飢え、二番目が軍隊内の内務班教育のリンチ、三番目が病いと話していました。RT @lyricisttom: 今は亡き祖父が密林地帯で作戦中に前線から引き返すことになり、三日三晩ほぼ寝ずに虫を食べたり雨水を飲みながら退散をしたとよくお酒を飲むと言っていました。

 父は軍隊内のリンチは、父は話は本当に辛かったようで、それでも何度も話してくれました。何でもビンタ、鉄拳制裁、連帯責任。最もおぞましかったのは便器の汚れを舐めてきれいにさせられるイジメ。RT @lyricisttom: 内務班教育のリンチというのも、祖父に聞いたことあります。

 そんな中で、何かの不始末を咎められ、ある上官に呼び出され、個室で「歯を食いしばれ!」と言われ、殴られると覚悟した時、その上官が両手に持っていたスリッパを顔の前で何度も打ち鳴らしたことがあった、と言っていました。

 つまり、パンパンと音だけをたて、部屋の外に聞こえるようにして、さも制裁を加えているように周囲には思わせて、実際には殴らなかったのだそうです。温情です。父は直立不動で涙が止まらなかったそうです。

 リンチが当たり前すぎて、殴らなかったその上官の温情がよほど嬉しかったのでしょう。父はその一回だけの体験を、宝物のように何度も繰り返し語っていました。軍隊は、戦争は、正気ではできない、みんな気が狂っていた、と辛そうに語っていました。

 戦後も、父は「丸」を定期購読し、軍艦や戦闘機のプラモデルを作り、軍歌を歌い、子どもの僕を戦争映画に連れて行き、戦争を美化した本を与え、他方で戦争のリアルの体験を語りました。矛盾してましたが、どちらも彼の真実でした。

 その通り。RT @DrawlingStone: @lyricisttom 水木しげるさんの戦記まんがにも軍隊内のリンチが必ず出てきますよね。あと、従軍慰安婦や現地人女性を拘束して性奴隷化する話まで出てくる。戦争体験者達があれだけはっきり書いているのに、まだなかったと言って

 美化された戦争のイメージを子供の時に刷り込まれたら一生消えない。自分が地獄の体験をしても消えない。「永遠の0」を観た井筒監督が映画を観た記憶を消したいと酷評したそうですが、でも記憶は消えない。

 勇ましい戦記ものの話が大好きなのに、自身の戦闘体験についてはなかなか話そうとしない父に、勇ましい話をしてくれ、とせがんだことがあります。何回目かに、実戦はあんな勇ましいものではない、塹壕の中から首も出せない、と。

 父はフィリピンに出征していたのですが、一番心細い体験は夜中に歩哨に立つことだと言っていました。海を米国の潜水艦が潜ることもなく堂々と遊弋してゆく。それを黙って見ている時の心細さといったらないと。

 日本軍をなめていたのでしょう。なんで撃たないの、という子供の僕の質問に対する父の答え。「だって小銃に弾丸が入ってないんだもの。末期には弾丸なんて尽きてもうなかった」。弾丸なしで戦場で歩哨に立たされる怖さ。無意味さ。

食糧もない、燃料もない、さらに弾丸すらない。あるのは命だけで、それをひたすら無駄に使い捨てさせられる日本軍の異常な理不尽。神風特攻隊の勇ましさを語りつつ、無謀な特攻作戦を構想した戦争指導者、大西瀧治郎中将などを憎んでいた父の矛盾。

 わけても子供心に心を揺さぶられたのは「玉砕」でした。ただ死ぬためだけに死なせられる。敵に一撃を食らわせることもできないし、降伏も許されない。何という無意味、何という理不尽。

 その理不尽さがよくわからなくて、子供なりに本や雑誌を読んで調べ、小学校4年生の時に、同級生と模造紙に「玉砕特集」を書いて壁新聞として貼り出しました。親も教師も同級生も遠巻きに見ていました。文句は言われなかった。

 日本軍の参謀本部には敵を殲滅する戦略思想から転じて、味方の兵力をひたすら消耗する(死なせる)戦略思想を奉じていたと知るのは後年のことです。計画的に犬死にさせられていたのです。

 日本人はどんどん自国の兵士を死なせる、気が狂っている民族であると思われ、連合軍に気味悪がられて戦意が損なわれ、講話になるだろう、というあなた任せの、とんでもなくお気楽な期待を敵方に抱いていたのです。

 そこまでのことは子供の時にはわかりませんでしたが、それでも心にかたく誓ったのは、こんな無能な戦争指導者のもとでは絶対に参戦するものか、ということ、そして絶対に「玉砕」だけはするものか、生き抜いてやる、ということ。

 そして、勝った、勝った、また勝ったと、嘘八百の大本営発表を垂れ流し、敗北と退却を転進といい続けた御用新聞を、戦後になった今でもそうやすやすと信じるものか、ということ。今にその教訓は生きていますし、役にたっています。

 父と母は戦争で婚期が遅れた典型で、40歳と39歳で結婚した。その一年後に長男の僕が生まれた。父から戦争についていろいろな話を聞けたのは中学くらいまで。父が50代半ばぐらいまでである。僕は同じくらいの歳に。僕が今、聞いた話を伝えないと語り伝えて行くことはできないことになる。

 父と一緒に見ました。痛快で、勝新の大ファンになりましたが、父は「本当にこういう兵隊ヤクザっていたよ」と言ってました。ふて寝して訓練にも出ない。RT @Saisyoh: 日本の戦争映画は軍を美化してますが、陰湿なリンチをある程度描いてる例外的な「兵隊やくざ」シリーズ

 上官に殴られたら殴り返す。重営巣に入れられても懲りないどころか、部隊責任者に、火をつけてやるなどと脅す。軍人が所詮は官僚であることを見抜き、問題が生じると自分だけでなく、その上官、さらにその上の上官の首が飛ぶことも見抜いていて、

 殺すか、殺されるか、というところに差し掛かるのだけれども、胆力で押し切って、部隊内の牢名主のようになってしまう。そうなるともう誰もアンタッチャブルで触れなくなってしまった、と。いざとなったらこの手もあるなと、思いましたね。

 戦友、食べてましたか。そこら中ですね、この手の話は。RT @izimo_ssp: @DrawlingStone @lyricisttom 私のおじさんは前線であっというまに頭吹き飛ばされて即死。死体はなし。報告だけ届いた。
同級生の爺さんは仲間の爆死死体食ってましたよ。

 日本人の多くは赦しを乞わず、罪意識をひっそりしまって「富国強兵」の「強兵」を押入れにしまい込み、「富国」を目指すのみの戦後を生きてきました。他方、悲惨な出来事なぞなく、忠勇武烈のみ存在したと喧伝する靖国においては、戦争の美化が続く。遠藤周作の描いたキリスト教の苦悩とは天地の違い。そして今、靖国に預ける形で「凍結保存」されていた「強兵」がレンジにチンする程度の手軽さで復活しつつある。RT @TaxiOgino2: 遠藤周作の「深い河」、戦友の死体を食べたことで悩む人、赦しを乞う彼に寄り添う者、それが遠藤のキリストなんだよね。

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