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『全体新論』と『解体新書』の漢字医学術語について 張 哲嘉
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『全体新論』と『解体新書』の漢字医学術語について
 『全体新論』と『解体新書』は、18、19 世紀の中国と日本で最も重要な西洋医学翻訳書
である。ともに当時の医学用語に大きな影響を与えた。この小論では、両国での翻訳方法
を比較し、いくつかの異同を示唆する。
 『全体新論』の作者である合信とは、彼の中国式の名前であり、本名はホブソンである。
1848 年からイギリスのロンドン会に所属する宣教師として中国に移住し、医療活動を通
じて、キリスト教を伝道していた。合信は中国滞在中に多くの医学書を中国語で著した。
またこれらとは別に、彼は『医学英華字釈』(A Medical Vocabulary in English and Chinese,
1858)という医学用語も編纂したが、やはり最も有名なのは解剖生理学の入門書である『全
体新論』であろう。
 この『全体新論』は、19 世紀以降、中国で初めて翻訳された近代西洋医学書である。
これ以前にも西洋医学書の翻訳書は存在したが、近代医学を取り扱った内容ではなく、ま
た中国社会への影響力もさほど大きくはなかった。合信は本書を中国人の陳修園の協力
を得て完成した。1851 年に出版されると、すぐに中国各地に広く流通し、再版もされた。
同書で用いられた医学術語は、その後約 60 年間、中国で最も通用していた西洋医学用語
であったが、1915 年以降、1916 ∼ 18 年に医学界・教育界・翻訳界ならびに中国政府が共
同で計 4 回開催した「医学名詞審査会」が大々的に日本の医学術語を取り入れ、これを標
準用語として採用してからは、次第に中国の医学界から姿を消していった。
 一方、杉田玄白は合信のように言語的な協力者を得ず、独力で大作を完成したと言われ
ている。本書の出版は 1774 年のことで、『全体新論』が出版されるよりも 77 年も前のこ
とであった。玄白が完成した翻訳書『解体新書』である。当時は適当な辞典がなく、訳述
にも苦労し、中国書にもない学術用語の漢文には多大な努力が払われた。新しい造語も数
多くあったが、訳しきれず音訳しただけのものもあった。それらについては、のちに大槻
玄沢らが翻訳を試み、改訂を行った。解剖に基礎をおく、西洋医学の実証性への認識が広
まっただけではなく、その出版後に蘭学の翻訳が活発となったことから、本書は日本文化
史上重要な位置を占めていると言える。
 一般に、合信は比較的に既存の語を用いたのに対して、玄白は意識的に既存の用語を排
除したと言われている。この指摘は正しいかもしれないが、先行研究の中で、このことに
ついて詳細な検討をしたものはこれまでにない。さて、杉田玄白はすばらしい術語の作成
者としてよく知られている。特に「ゼニュウ」という蘭語を、中国養生思想の「神気」の
「神」および漢方医学の「経脈」の「経」を組み合わせて、神経と義訳したのは「義訳の
うちでも傑作中の傑作」などと言われている。これに対して、合信は漢方の伝統を尊重す
る態度を示した。とりわけ有名な例は、さまざまな器官を中国の伝統医学に基づいて「∼経」
『全体新論』と『解体新書』の漢字医学術語について
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という形で命名したことである。両者とも漢方医学既存の術語を活用するのに長けていた
が、ここでは訳語と漢方用語にどのような関係が見られるのか、いくつか比較を試みたい。
 合信は「胡蝶骨」という訳名の下に、「中国にはこの骨の名前は存在しない」とわざわ
ざ注釈をつけている。むろん、合信は訳名を選定する前に、必ず中国語に該当する既存の
語彙がないかどうかをまず確かめる。これも合信が中国の伝統的用語を大切に考えていた
証拠だと言えるであろう。
 しかし実は、『全体新論』の中で合信が既存語を列挙しているのは、彼が自ら作った新
しい術語を使用したときである。たとえば、「上臂骨」の条で、合信はひじの古い名前の
「臑骨」、あるいは「肱骨」をともに載せているのだが、以後のテキストでは西洋医学用語
から直訳した「上臂骨」しか用いていない。
 一方、玄白はひじのことを中国清代の法医学典籍で通用していた術語と似ている「䊜膊
骨」と翻訳した。興味深いことに、玄白の生徒である大槻玄沢は、『重訂解体新書』の中
で、合信も紹介した中国の古い名前である「臑骨」と訳した。さらに、玄沢は「原語によ
れば、上臂骨と翻訳するべきだが、ここではわかりやすくするため、中国語の名前に従っ
た」と注釈をつけている。我々現代の日本語話者からすれば、今日死語になった「臑骨」
が「上臂骨」より理解しやすいという翻訳者玄沢の語感は、なかなか共感しにくいのでは
ないか。
 以上、紹介した「臑骨」、「上臂骨」、「䊜膊骨」などの訳語の問題を考えるにあたって、
もう一つ別名の問題にも注意を払う必要がある。ある部位を翻訳しようとして、異なる翻
訳者がただ別名を採用したのみで、そこにそれほど特別な意味合いがなかった、というよ
うなこともあったはずである。しかしながら、現代の研究者がその当時、選択可能な語彙、
すなわち別名が複数存在することを知らず、無理に訳語に何らかの意義を見出そうとすれ
ば、岐路亡羊のわなに陥入る危険にあるかもしれない。
 実は、悠久の歴史を持ついずれの伝統医学においても、医学術語がさまざまな別名を
持っていることは普通に見られる現象である。前述したひじの場合以外にも、たとえば、
今日恥骨と呼ばれる「下横骨」という部位について、清代の医学の権威的典籍といえる『医
宗金鑑』では「その骨には五つの名前がある」と明記されている。
 清代の法医学書の中にもこれと関連するケースが紹介されている。法廷で死体の骨を組
み合わせてみても、飯匙骨という骨が見つからなかったために、死体不全だという疑いが
起こった。結局は、「飯匙骨」とは単に肩甲骨の別名で、「肩甲骨」はきちんとあったこと
が分かった。古代においても、当時のさまざまな別名はあまり知られておらず、現代の我々
はよりいっそう古い名前の存在に気をつけなければならない。
 同様に、医学史の権威である小川鼎三先生が指摘された「鎖骨」の問題でも、別名のた
めに混乱が起こった。先生は「鎖骨と橈骨」という有名なエッセイの中で、この二つの専
門用語の日本における生成過程を詳しく論じている。大槻玄沢は玄白の翻訳語のいくつか
を『重訂解体新書』の中でさらに翻訳し直している。鎖骨も玄沢が翻訳し直した言葉であ
る。今日、日本語で「鎖骨」とよばれる骨を、合信は「鎖子骨」と翻訳した。これに対し
て、玄白は漢方典籍の「血盆骨」という用語を忠実に援用した。小川先生は玄白が漢方の
伝統の存在を忘れ、「原語を無視して、骨の形状の上から命名したとおもえる」と指摘し
たが、実は、玄白は新しく命名したのではなく、既存の漢方用語をそのまま使ったに過ぎ

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ない。元来、漢方の「血盆骨」には多数の別名がある。「鎖骨」もそのうちの一つで、12
世紀の中国法医学経典の『洗冤録』まで辿ることができる。偶然にも、英語の医学用語で
ある clavicle は、翻訳でも義訳でも「鎖骨」や「鎖子骨」という漢字術語が当てられてい
る。しかし、「鎖骨」という別名が当時日本ではあまり使われていなかったためか、玄白
は「血盆骨」の言葉をそのまま採用した。この例は、玄白がそれまでになかった新しい諸
概念に直面した場合を除いて、伝統的な漢方用語を積極的に活用していた、ということを
示唆している。
 さらに、もう一つ偶然的な同様の例を挙げることができる。玄白は解体新書の序言で、
翻訳、義訳、音訳の三つの分類を示し、それぞれ例を挙げている。その中で、「軟骨」と
いう語彙は、既存語から取る代わりに、蘭語の通りに組み合わせた新しい造語であると
言っている。しかし、実は「軟骨」という語彙は漢文典籍の中ですでにしばしば使われて
いた。清代法医学の典籍の「心坎骨」の条において、そのものを一つで「軟骨」とするか、
もしくは「脆骨」と形容してある。当然、こちらの「軟骨」と「脆骨」は、現代医学のよ
うに厳密には定義されていなかったが、それらはともに漢字の有するロジックの問題であ
り、「軟骨」と表すのは医学術語としては合理的であると言える。『全体新論』で合信は同
じ術語を「脆骨」と呼びつつも、それが直訳なのか翻訳なのかを明らかにしなかった。ま
た既存語から取ったのか、新しい術語を造語したのかということにも触れなかった。別名
に関する知識があれば、見慣れない用語を新しい造語であると即断してしまう危険性をあ
る程度避けることができるかもしれない。
 付随して言えば、現代の多くの学者が、小川先生のように、西洋医学の意味を忠実に伝
えるほうがいいと考えているようである。やはり義訳は混乱を生じさせやすいためであろ
う。たとえば、もう一つの軟骨の例を示す「結喉」というものはこのポイントをよく説明
している。
 伝統的な漢方用語の「結喉」という部位は、今日の用語では「喉仏」と呼ばれている。
西洋医学では、キリスト教の神話に基づいて、「アダムの林檎」(Adams Apple)と呼ばれ
ている。しかし、こうした翻訳の仕方はキリスト教のことをほとんど知らない人に対して
は、まったく無意味だと言えるであろう。玄白は最後まで伝統用語の「結喉」を選定した
ため、あるいは幕府のキリスト教禁令に対する配慮だけではなく、読者の理解の問題をも
考慮したのかもしれない。
 別名の問題に続いて、誤解の場合にも注目しなければならない。玄白の蘭語の読解の誤
りについては、すでに多くの専門家が指摘しているので、ここでは玄白の漢語の理解につ
いて考えてみたい。
 ここで挙げる例は「胯骨」である。「胯骨」の語は上古から存在し、清代までよく流通
していた。現代の医学用語はその別名としての「寛骨」にあたる。定義は腰部下肢との連
結をなす骨で、腸骨、坐骨、恥骨の三つが癒合したものを言う。
 合信はこの骨を翻訳した際、忠実に漢方の既存語を援用した。そして今日恥骨と呼ばれ
る部位にも、既存の「横骨」を採用した。しかし、漢方医学には寛骨の後上部を占める部
位の「腸骨」とその後下部を占め、閉鎖孔を囲む部位の「坐骨」については独立した名前
が存在しなかったので、各自の西洋用語から新しい術語を作った。
 それに対して、玄白は同じ部位を翻訳したとき、別名の「寛骨」を採用し、そして本名

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の「胯骨」を誤植し、「坐骨」に当てている。つまり、『全体新論』と『解体新書』では、
同じ漢字術語の「胯骨」の意味がそれぞれ違っているのである。
 さて、近代医学術語の中でもよく議論の対象となる「経」という漢字を見てみよう。通
常、合信が「経」という文字を使って、心臓や肝臓など主要臓器を指し示したことに対し
て、彼の「漢方の伝統に対する尊敬の表れ」であるとか、「漢方医には受け入れがたいこ
と」など様々な解釈がされてきた。しかし、本当にそうなのであろうか。もちろん、漢方
典籍の中で、十二経脈は五臟六腑などの主要臓器と連結していると考えられている。しか
し、「経」という漢字は、ある臓器を代表する経脈、そしてこれに関する生理系統の総称
である。「経」 を使って、対応する臓器自身を指すという例は、俗語にはしばしばあるが、
漢方典籍の中にはあまり見当たらない。
 漢方典籍は、ある臓器を呼ぶ場合には、∼∼臓や∼∼腑と呼ぶのが普通で、「経」 とい
う字を使わない。それに対して、「経」というのは、長い全身貫通の脈のみである。ゆえ
に、合信のように「経」を使って特定の臓器を指し示すのは、漢方医の習慣とはまったく
異なる。そのため、このような「経」の文字の使用法は、「漢方医には受け入れがたいこと」
だと言えるであろう。
 それ以上に、合信が「経」の文字を用いたのには、漢方の臓腑観念を変更しようという
さらに深い意図があったと考えられる。漢方医学においては、人間の各身体器官はそれぞ
れ重要性が異なると考えられている。たとえば、五臟六腑は人間の身体にとって、最も重
要な器官である。これに対して、合信の考えでは、「経」という文字を用いた心臓である
「心経」、肝臓である「肝経」、腎臓である「腎経」の各部位に、身体器官の中で最も重要
な地位を与えた。たとえば、『全体新論』には、現在の胆嚢にあたる「胆」について論じ
た『胆論』という箇所があある。「胆」はあくまでも「胆」であり、「胆経」とはならない
のである。なぜなら合信は、「胆と肝は互いに表裏関係にあり、自ら一つの経として独立
できない」と説明している。
 これによって、合信は漢方医学で重要視されていた「胆経」観念を否定したのである。
もちろん、合信は「心経」「肝経」で「経」という文字を用いた際にも、伝統的に経とい
う文字が持っていた脈管の観念を無視している。合信よりも、杉田が発明した「神経」の
ほうが、漢方医学の「経」のイメージにより近いといえるであろう。
 では、漢方古典を参照しても見当たらない新しい観念については、どのように翻訳語が
作られたのか。最後にこの点についても述べる。先述の例と同様に、小川先生が論述した
「膵」という器官を例として挙げたい。膵という漢字は日本で 1805 年に宇田川玄真が作っ
た国字である。オランダ語では Pancreas といい、もちろん五臓六腑にはない臓器である。
この訳語として合信は、「甜肉経」という新語を作った。それに対して玄白は、この訳語
に困り、甲状腺などの「腺」という字のオランダ語 Klier にキリイルと音を振り、それを
当時集合腺の中で最大のものと考えられていた膵臓の訳語にも活かして、「大機里爾」と
翻訳した。興味深いのは、現代の中国では「膵」も「甜肉」も採用されていないことであ
る。どちらとも異なる「䳵」という漢字が標準医学用語として指定されている。それでは、
「䳵」というこの新漢字術語はどのようにできたのか。
 Pancreas や膵臓という意味を持つ「䳵」は新漢字術語だが、実は古来存在してきた漢字
でもある。最も古い出典では、宋代初年の音韻書『広韻』に収録されている。そこでも

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「䳵」の意味は「夾脊肉」、つまり「背骨を挟む肉」である。まったくおかしいが、臓器と
は何の関係もない。
 さらに、「䳵」という漢字の起源は、もともとは「ル」という漢字に転用されていた。6
世紀の字書『玉篇』には、「ル、豚のルである」という解釈がある。この説明によれば、
人間ではなく、豚の体の部位である。しかし、どの部位なのかについてはまったく説明
がない。11 世紀の『集韻』に初めて「豚の脾臟の息肉」、つまり、脾臓で伸びる肉、とい
う具体的な解説が掲載されている。この部位の味がどうだったのかはよくわからないが、
「豚のル」は伝統的な中国社会では「䳵子」と呼ばれ、石鹸として民衆の暮らしに根付い
ていたようである。
 もう一つ典拠を挙げれば、明代の『本草綱目』がある。これによって、それまで別々の
意味を持つとされていた「䳵」と「ル」の二つの漢字が、正式に同じ意味だとされるよう
になった。不思議なのは、『本草綱目』の作者李時珍は、この「ル」を脾臓に付属してい
るものではなく、「両方の腎のあいだ」にあると指摘し、漢方理論における人間の臓器、
五臓六腑の一つ「命門三焦」と対応させたことである。しかし、ここに至っても、現在の
意味の「䳵」や膵臓との関係は出てこない。
 1830 年に、「䳵」という漢字が初めて人間の臓器と正式に関連づけられた。革命的な医
者である王清任は、解剖が許されなかったために、疫病で死亡した死体の放置場で、数十
体の死体を観察し、伝統的な漢方理論を厳しく批判する『医林改錯』を出版した。その中
で、王清任は、人体の胃のそばの「総提」、あるいは別名「䳵子」を見つけて、図解した。
19 世紀末の中国人研究者によると、王が膵臓に当たるものを西洋医学に触れる前に独自
に発見したと主張する説もある。王が観察した結果見つけた「䳵子」が現代医学において
人体のどの器官に当たるのかは、実はあまりはっきりしていない。現代の研究者はあまり
注意していないのである。それでも王清任の伝統に挑戦する精神は、中国医学史上高い評
価を受けている。
 王清任が「䳵子」を発見した 21 年後、合信は Pancreas という臓器を甜肉と命名し、以
後約 60 年の間、これが中国国内で用語として通用していた。1860 年代の『英華字典』、
19 世紀末の『格致新篇』、そして 1906 年の『簡明中西化医匯参医学図説』でも甜肉の名
称が使用されている。
 日清戦争以後、中国人は日本で作られた西洋医学用語の導入に熱心になった。さまざま
な和製用語が中国で流通するようになった。「膵」という漢字が中国字になったのは、お
そらくこの時期だと思われる。日本語の文字を中国人が採用するケースはあまり多くない
が、この膵という字ともう一つの医学術語である「腺」という字は、今も中国語に存在し
ている。これは珍しい例だと言えよう。
 1916 ∼ 18 年、中国の「医学名詞審査会」は、すでに広く使われていた合信の医学用語
を排除して、代わりに日本語の医学用語を大規模に採用した。しかしこのとき、当時中国
にもすでに通用していた「膵」を使用せず、代わりに王清任の正体不明な「䳵」を採用した。
これは高晞の研究が指摘するように、元イギリス人宣教師徳貞の強い主張のためであった
ことのほかに、中国人たる王清任が独自に発見した臓器であるという民族意識が働いたこ
とも、その理由の一つであったかもしれない。
 以上の膵臓と「䳵」に関する内容は、合信や玄白には直接関係はないが、近代医学の専

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門用語の生成に関する興味深い課題であり、ここで少し取り上げた。