放射能汚染を懸念して相馬地域住民の集団移住を計画している旧藩主家相馬氏ー東日本大震災の歴史的位置

福島原発の地元、福島県浜通り地方は、放射能汚染が大きな問題となっている。朝日新聞朝刊(2013年4月12日付)は次のような記事を掲載した。

福島から広島 集団移住構想 原発被災者ら

 東京電力福島第一原発事故の被災者が、集団で広島県神石高原町に移住する構想が持ち上がっている。福島の旧相馬中村藩主家34代当主・相馬行胤さん(38)と神石高原町の牧野雄光町長が11日に町役場で記者会見し、明らかにした。20〜30家族が関心を寄せ、早ければ夏にも移住が始まるという。
 相馬さんは父親の代から北海道に移り住んだが、先祖の故郷・福島県相馬市で農園を開くなどして、北海道と福島を行き来してきた。
 避難生活を送る人たちから「放射能が心配」という声を聞いた相馬さんは、集団移住を検討。昨秋、被災地支援に取り組むNPO法人「ピースウィンズ・ジャパン」(東京都)の代表理事で神石高原町に住む大西健之丞さんの勧めで町を訪ね、先月に妻と3人の子供と町に引っ越した。相馬さんの知り合い家族が後に続くことを検討しており、将来的に公募も計画している。
 岡山県境の山間部にあって過疎化が進む町側も移住を歓迎。NPOと連携して仕事の場を探し、町営住宅の提供もする方針だ。(朝日新聞 朝刊 2013年4月12日付 38面)

近世の相馬中村藩の藩主であった相馬家の現在の当主相馬行胤氏が、放射能汚染を懸念している相馬地域住民の集団移住を計画し、氏自身がすでに集団移住予定地である広島県神石高原町に移住したというのである。ここで、広島県神石高原町の位置をGoogleマップにてしめしておこう。岡山県との県境にあり、広島市などからも遠い山間部のようである。

相馬氏は、単に近世期に相馬地域の大名であったというにはとどまらない。それ以前から、相馬地域に居住していた。相馬氏は、平将門を出した平氏の流れをくんだ千葉氏の出身で、下総国相馬郡に所領をもっていた。現在の茨城県取手市・龍ケ崎市・守谷市・つくばみらい市・常総市や千葉県我孫子市・柏市などにあたる。偶然だが、福島第一原発事故で、首都圏のホットスポットにあたってしまった地域と重なっている。そして、源頼朝の奥州平泉遠征(1189年)に参加し、福島県浜通り北部の、現在の相馬地域にも所領を獲得した。つまり、800年以上も前から、相馬氏はこの地域の領主であった。鎌倉時代は、下総と奥州の所領をともに治めていたが、南北朝時代にわかれ、奥州の相馬氏は北朝方に、下総の相馬氏は南朝方となった。そして、奥州の相馬氏は戦国大名となり、近隣の伊達政宗などに対抗した。そして、近世においても、転封を受けることもなく、相馬中村城に本拠をもつ6万石の大名相馬中村藩として存続した(Wikipediaなどを参照)。

相馬中村藩の特徴は、家臣の城下集住が徹底せず、家臣が藩領の農村にも居住していたことであった。福島第一原発のある双葉町・大熊町も相馬中村藩領であったが、この地域にも相馬中村藩の家臣は居住していた。そして、近代以降も、彼らの子孫たちは、地域社会で一定の影響力をたもちつづけたのである。

もちろん、1971年の廃藩置県で、相馬中村藩は廃藩され、華族となった相馬氏は東京居住を義務付けられた。相馬氏は相馬地域に居住できなくなったのである。しかし、これは多くの藩に共通するが、旧藩主家は地域社会で大きな影響力をもちつづけた。たとえば、元々相馬中村藩の行事であった相馬野馬追において、総大将は今でも相馬氏当主が勤めている。そして、この朝日新聞の記事にもあるように、現在でも相馬氏は相馬地域において農園を営んでいる。

その意味で、相馬氏が自身も含めて地域住民の集団移住を計画するということは、この地域の歴史にとって一つの出来事である。放射能問題は、この地域の人びとに対して、放射性物質が存在する郷里で生活し続けるか、放射性物質の少ない地域に移住するかという、二者択一の選択をつきつけた。そして、ある意味で相馬地域の歴史的伝統を体現する相馬氏が、自身を含め地域住民の集団移住を企画するということは、この地域が非常に深刻な事態になっていることをしめしているといえる。政府や福島県庁は、年間1〜20mSvの放射線量でも安全として、なるべく早期に地域住民を地域に帰宅させようとしている。地域住民においても、早期に帰宅したほうが、農業などの生業にも復帰できるし、家や地域の歴史的伝統を守ることにもつながるようにみえるだろう。しかし、相馬氏は、地域住民の生命を考えて、自身も含めて集団移住することを選んだのである。

もちろん、相馬氏は廃藩置県以降、相馬地域から離れており、現在は北海道に住んでいる。それでも、相馬野馬追の行事などには参加している。たぶん、広島県に移住したとしても、相馬地域に関わり続けるだろう。しかし、それでも、このことの意味は重い。結局、相馬氏の集団移住は、人びとの命を守ることが歴史的伝統を守るになるということを意味しているといえよう。

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  1. 人として当たり前の事。相馬地区には、経産省原子力ムラの人々と総理以下国会議員と官僚のムラをつくるべき、国会議事堂を相馬に作る。

  2. 私の父は今の南相馬市鹿島町出身。我が家の墓もある。
    少し寂しい気持ちがある。
    伊達家に最後まで抗った相馬氏。
    慶長の大地震でも復興した相馬。
    でも、放射線には勝てないというか、未来を考えたら致し方ない。
    本当に複雑な気持ちですが、いまの殿様もかなり悩んだことでしょう。
    何があっても抗って負けないのが相馬魂だと信じてます!