( 1 )――2003 年の12 月には,弥生早・ 前期に比定されて
いた30 数点の鉄器の内,使えるのは2 点しかないことを
すでに明らかにしている。
( 2 )――山内は,大山柏の打製石斧農具説について,地
域的 ・ 時期的にみても局所的な現象であること,集落の
増大や定住性も高級狩猟民の枠のなかで考えられる程度
のものであることを根拠に,縄文中期農耕説を否定して
いる。
( 3 )―― 松井はこの中で山口県山の神遺跡の鉄斧の時
期を前期後半としているが,筆者は伴った土器を実見し
た石川日出志より中期初頭をさかのぼることはないと聞
いている。松井の土器の時期比定の根拠をぜひ示して欲
しい。
( 4 )――山の神遺跡の鉄器は貯蔵穴の底から土器に伴っ
て出土した。石川日出志が伴ったという土器を再検証し
た結果,中期初頭の土器であることが判明している。前
田山遺跡から出土した鉄釿は前期末の土器に伴って出土
したと報告されているが,調査を行った長嶺正秀氏によ
れば,やはり厳密な意味では時期を特定できないと,高
橋徹に語っている。
( 5 )――2003 年以降,九州北部では突帯文土器単純段
階と板付Ⅱ式に伴う可能性のある鉄片が検出されている
が,発掘現場での第 3 者を加えた検討の結果,時期を特
定できないという結論に達している。よって依然として
前期後半以前の鉄器出土例は皆無というのが現状であ
る。
註
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