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木曽御獄本教 | 神社・寺院・仏閣から学ぶ宗教と日本の歴史

木曽御獄本教

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御嶽教(おんたけきょう)は奈良県奈良市に教団本部(御嶽山大和本宮)を置く教派神道で、神道十三派の一つ。

千三百年の昔より、御嶽信仰(御嶽山大権現)は、霊峰御嶽山を根本とする両部神道の修験にあり。
登山参拝には百日間の*精進潔斎(ショウジンケッサイ)の制度があり、常人では大変困難なことであったため、多くはその里宮に参拝するのみだった。

天明二年、覚明(カクメイ)行者が苦行の末、この制度を打破されたことにより、常人の登山参拝が可能になった。

そして寛政四年、普寛(フカン)行者が王滝口の参道を開道され、各地に御嶽信仰がひろめられた。

創始者は下山応助とされている。
信者は約50万人。

長野県木曽郡木曽町に御嶽登拝の安全を祈願するための神殿である木曽大教殿がある。
御嶽山を信仰根本道場としている。
江戸時代に覚明行者が黒沢口登山道、普寛行者が王滝口登山道を開闢する。
御嶽大神を崇拝する信仰者が集団結合して1882年に立教独立。

経典は「御嶽教経典」と、準経典として「御嶽教神拝詞集」と「御嶽教信仰規範」がある。

そののち、尾張国熱田の儀覚行者が宮丸講を組織して、中仙道を登拝されたのが講社の始まりとされている。

明治二年、神仏分離の勅令により、「御嶽山大権現」が「御嶽神社」と改称され、国家管理となったため、講社は宗教行事を行うことができなくなる。
しかし、昭和二十一年、宗教法人令が施行され、神社も宗教として取り扱われることとなり、それまで離散していた講社の重立者が集結して「木曽御嶽本教」を立教する。

昭和二十七年、文部大臣より認証され、今日に至っている。


祭神は国常立尊、大己貴命、少彦名命の三柱の大神を奉斎主神として「御嶽大神」と奉称し、木曽御嶽山の開闢大道彦たる覚明、普寛の二霊神を崇敬神として「開山霊神」と奉称する。また天神地祇八百万神を配祀神としている。
修験道を起源としているが仏教色は薄く祭祀も神道に準じている。
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