なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか 「脱中華」の日本思想史 (PHP新書)
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発売元 ★コジマ書房★
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本の詳細
- 本の長さ254ページ
- 言語日本語
- 出版社PHP研究所
- 発売日2018/1/15
- 寸法10.6 x 1.3 x 17.3 cm
- ISBN-10456983745X
- ISBN-13978-4569837451
本の概要
大和朝廷が儒教より仏教を重んじた理由とは?
江戸の儒学者や国学者が見つけたものは何か?
文明の独立自尊を守り抜いた、日本人の「知の営み」の凄さ!
なぜ日本は、中韓から超絶した素晴らしい国になったのか。その秘密は、中華文明と果敢に対峙しつづけた日本思想史にあった。
歴代の中華帝国は「中華文明」を振りかざし、周辺国に圧倒的な影響力を及ぼしてきた。しかし日本だけは、決して呑み込まれなかった。聖徳太子、最澄、空海、伊藤仁斎、荻生徂徠、本居宣長はじめ、日本の偉大な思想家たちは何を考えてきたのか? そして日本人は、いかに「中華」を完全に排除し、世界でも類を見ない日本文明の思想的高みに至ったのか?
実は、中国からやってきた著者にとって、どうにも不可解なことがあった。どうして、江戸時代以前の日本の代表的な思想家はほとんど仏教の世界の人間なのに、江戸時代期に入ってからの代表的な思想家はほとんど儒学者なのか、ということである。この疑問について考えていくなかで、著者は様々なことに気づく。仏教も儒教も、6世紀頃、ほぼ同時に日本に伝わってきたはずなのに、日本人の受容の仕方はまったく違っていた。それはなぜなのか? また、江戸時代に儒教を取り入れていながら、儒教国家であった中国や朝鮮のような国にならなかったのはなぜか?
対中関係という視点から見ることで、日本思想史はこれまでの「日本人の常識」とはまったく違った貌を見せはじめる。北京大学哲学部卒・山本七平賞作家による、独創的かつ驚愕の「日本文明の謎に迫る知的冒険」。
序 章:思想としての「中華」とは何か
第1章:飛鳥・奈良時代――脱中華から始まった日本の思想史
第2章:平安から室町――仏教の日本化と神道思想の確立
第3章:江戸儒学の台頭と展開――朱子学との戦いの軌跡
第4章:国学の快進撃――日本思想史のコペルニクス的転回
終 章:幕末と明治――儒教の復権と国民道徳の形成
江戸の儒学者や国学者が見つけたものは何か?
文明の独立自尊を守り抜いた、日本人の「知の営み」の凄さ!
なぜ日本は、中韓から超絶した素晴らしい国になったのか。その秘密は、中華文明と果敢に対峙しつづけた日本思想史にあった。
歴代の中華帝国は「中華文明」を振りかざし、周辺国に圧倒的な影響力を及ぼしてきた。しかし日本だけは、決して呑み込まれなかった。聖徳太子、最澄、空海、伊藤仁斎、荻生徂徠、本居宣長はじめ、日本の偉大な思想家たちは何を考えてきたのか? そして日本人は、いかに「中華」を完全に排除し、世界でも類を見ない日本文明の思想的高みに至ったのか?
実は、中国からやってきた著者にとって、どうにも不可解なことがあった。どうして、江戸時代以前の日本の代表的な思想家はほとんど仏教の世界の人間なのに、江戸時代期に入ってからの代表的な思想家はほとんど儒学者なのか、ということである。この疑問について考えていくなかで、著者は様々なことに気づく。仏教も儒教も、6世紀頃、ほぼ同時に日本に伝わってきたはずなのに、日本人の受容の仕方はまったく違っていた。それはなぜなのか? また、江戸時代に儒教を取り入れていながら、儒教国家であった中国や朝鮮のような国にならなかったのはなぜか?
対中関係という視点から見ることで、日本思想史はこれまでの「日本人の常識」とはまったく違った貌を見せはじめる。北京大学哲学部卒・山本七平賞作家による、独創的かつ驚愕の「日本文明の謎に迫る知的冒険」。
序 章:思想としての「中華」とは何か
第1章:飛鳥・奈良時代――脱中華から始まった日本の思想史
第2章:平安から室町――仏教の日本化と神道思想の確立
第3章:江戸儒学の台頭と展開――朱子学との戦いの軌跡
第4章:国学の快進撃――日本思想史のコペルニクス的転回
終 章:幕末と明治――儒教の復権と国民道徳の形成
出版社からのコメント
まえがき
序章 思想としての「中華」とは何か
政治権力を正当化する「御用思想」としての儒教
天命思想が、なぜ中国史の悲劇を生んだのか
「徳治主義」という欺瞞と、その運用
第一章 飛鳥・奈良時代--脱中国から始まった日本の思想史
「圧倒的な外来思想」との対峙という大問題
仏教と儒教の伝来--日本人の興味深い温度差
仏教の受容と振興に注いだ日本人の並ならぬ情熱
第二章 平安から室町--仏教の日本化と神道思想の確立
日本思想史の新時代を切り開いた平安仏教
仏教優位の正当性を裏づけた空海の『三教指帰』
「衆生救済」を明確にした「即身成仏」の思想
第三章 江戸儒学の台頭と展開--朱子学との戦いの軌跡
政治権力にとって脅威となった仏教の民衆化
寺請制度(檀家制度)による仏教の飼い馴らし
「蔵入り」から掘り出された儒教--林羅山
第四章 国学の快進撃--日本思想史のコペルニクス的転回
仁斎と徂徠の学問手法が国学成立への道を開いた
突っ込みどころ満載の「礼楽刑政論」を徹底論破--賀茂真淵
終章 幕末と明治--儒教の復権と国民道徳の形成
武士たちに存在価値と生き甲斐を与えた朱子学
なぜ儒教が「尊皇攘夷」の理論的支柱となったのか--会沢正治斎
佐久間象山「東洋道徳・西洋芸術論」の思想史的役割
あとがき
序章 思想としての「中華」とは何か
政治権力を正当化する「御用思想」としての儒教
天命思想が、なぜ中国史の悲劇を生んだのか
「徳治主義」という欺瞞と、その運用
第一章 飛鳥・奈良時代--脱中国から始まった日本の思想史
「圧倒的な外来思想」との対峙という大問題
仏教と儒教の伝来--日本人の興味深い温度差
仏教の受容と振興に注いだ日本人の並ならぬ情熱
第二章 平安から室町--仏教の日本化と神道思想の確立
日本思想史の新時代を切り開いた平安仏教
仏教優位の正当性を裏づけた空海の『三教指帰』
「衆生救済」を明確にした「即身成仏」の思想
第三章 江戸儒学の台頭と展開--朱子学との戦いの軌跡
政治権力にとって脅威となった仏教の民衆化
寺請制度(檀家制度)による仏教の飼い馴らし
「蔵入り」から掘り出された儒教--林羅山
第四章 国学の快進撃--日本思想史のコペルニクス的転回
仁斎と徂徠の学問手法が国学成立への道を開いた
突っ込みどころ満載の「礼楽刑政論」を徹底論破--賀茂真淵
終章 幕末と明治--儒教の復権と国民道徳の形成
武士たちに存在価値と生き甲斐を与えた朱子学
なぜ儒教が「尊皇攘夷」の理論的支柱となったのか--会沢正治斎
佐久間象山「東洋道徳・西洋芸術論」の思想史的役割
あとがき
著者について
1962年、四川省生まれ。1984年、北京大学哲学部を卒業後、四川大学哲学部講師を経て、一九八八年に来日。1995年、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了後、民間研究機関勤務。2009~2016年、拓殖大学日本文化研究科客員教授。2002年、『なぜ中国人は日本人を憎むのか』(PHP研究所)の刊行以来、日中・中国問題を中心とした評論活動に入る。2007年、日本に帰化。2014年、『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』(PHP新書)で第23回山本七平賞を受賞。
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商品の情報
出版社 | PHP研究所 (2018/1/15) |
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発売日 | 2018/1/15 |
言語 | 日本語 |
商品の情報
出版社 | PHP研究所 (2018/1/15) |
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発売日 | 2018/1/15 |
言語 | 日本語 |
新書 | 254ページ |
ISBN-10 | 456983745X |
ISBN-13 | 978-4569837451 |
寸法 | 10.6 x 1.3 x 17.3 cm |
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天皇家を総本家とする共生・共存の日本人が自然・先祖崇拝の「神道」と「日本仏教」に朱子学「八条目」の侍精神を融合した日本思想には、中国思想「易姓革命」の呪縛はない。縄文人・古代渡来人の思想洞察が不足。
2019年2月5日に日本でレビュー済み
著者の石平氏は中国・四川省出身で北京大学哲学部卒業後に神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了し、最近は日中・中国問題の評論家として「真相深掘り!虎の門ニュース」コメンテーター(DesuわなNoteは面白い!)として活躍しており、日本人女性と結婚して靖国神社に日本人になったご報告に行った話に敬服したので、とりあえず彼の数多くの著書の中から基本的な思想傾向を検証する為に本書を購読した。 本書は「日本書紀」「古事記」をベースに哲学的な深い思索による時系列の日本思想史を論じており感服したが、そもそも日本人は2万年以上に渡って日本列島に住んでいた縄文人...
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著者の石平氏は中国・四川省出身で北京大学哲学部卒業後に神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了し、最近は日中・中国問題の評論家として「真相深掘り!虎の門ニュース」コメンテーター(DesuわなNoteは面白い!)として活躍しており、日本人女性と結婚して靖国神社に日本人になったご報告に行った話に敬服したので、とりあえず彼の数多くの著書の中から基本的な思想傾向を検証する為に本書を購読した。 本書は「日本書紀」「古事記」をベースに哲学的な深い思索による時系列の日本思想史を論じており感服したが、そもそも日本人は2万年以上に渡って日本列島に住んでいた縄文人の末裔であり、「自然万物の中に霊性が宿っている」という縄文人の自然崇拝・先祖崇拝の思想をベースに、弥生時代以降に大陸からの古代渡来人の思想、例えば古代イスラエル10支族の多神教や秦氏の原始キリスト教ネストリウス派などが融合した「八百万の神々の古代神道」の思想が日本人の根底にあることが全ての出発点であることの洞察が若干不足している。
つまり、縄文人は日本列島の特徴である地震・台風・火山爆発などの自然災害に恐れ慄き、共同で立ち向かう活動の中から自然の恩恵を活用して、世界最古の土器は1988年に青森県の大平山元遺跡で見つかった1万6500年前(縄文時代早期)のもの、世界最古の漆製品は北海道南茅部町で発見された約9000年前(縄文時代)のもの、更に、世界最古の貝塚も昭和25年に日本の三浦半島で発見された1万年近く前(縄文時代早期前半)のもの、世界最古級の墓も約2万年前の日本の大阪府藤井寺市のはさみ山古墳であるように、縄文人には自然と共存共栄の活動の中から自然崇拝・先祖崇拝の思想が芽生えている。 そして古代日本において、弥生時代以降の大陸からの渡来人は、次の順になる。
① BC 2~3世紀;弥生人、北九州に朝鮮・中国系の遺跡・遺物(O系統)
② BC 1~AD 3世紀;出雲族、古代天皇家一族(エフライム族;多神教)(D系統)
③ AD 4~5世紀;倭の五王時代に中国・朝鮮系、製鉄技術、鉄製農具、灌漑・土木(O系統) ④ AD 4~6世紀;技術者集団→大和朝廷を強める 原始キリスト教ネストリウス派の弓月君(秦氏の祖=ユダヤ族)が127県の1万8670人を連れて渡来、養蚕・機織・銅の鋳造・清酒・雅楽などの日本らしい文化を伝えた(D系統、O系統)
⑤ AD 6~7世紀:AD 562任那滅亡・AD 660百済滅亡・AD 663白村江の敗戦・AD 668高句麗滅亡により百済・任那・高句麗等から大量の亡命者渡来、儒教・仏教・仏像伝来(O系統)
上記の事態・事件を考慮すれば、日本人のY染色体DNA構成において、D系統(34%)・O2b1系統(18%)が縄文由来であり、C系統(9%:モンゴルに高い頻度で現れる)・O系統(27%)・ O2a系統(1%)は上記の中国大陸・朝鮮半島動乱などで渡来してきた人々由来のものと思われ、トータルでは、約52%がほぼ縄文由来と推定できるが、約48%は渡来系もしくは不明(縄文由来かもしれない)といった結論が正しいと思われる。
そして下記のように、「古代北イスラエル国王家エフライム族が渡来して古代天皇家になった証拠」がある。
① 旧約聖書と日本神話の類似性 ② キルギス人の伝説(マナス叙事詩)
③ 神武天皇の和風諡号はエフライム族出自の証明 ; 神武天皇の和風諡号「神日本磐余彦天皇(カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト)」は、ユダヤ人研究家ヨセフ・アイデルバーク氏によると、これはヘブル・アラム語で「カム・ヤマトウ・イベリ・ペコ・シュメロン・マクト」と聞こえ、これは「サマリアの王、ヤハウエ神のヘブライ民族の高尚な創設者」を意味し、サマリアは古代北イスラエル王国のことで、サマリアの王とはエフライム族の王家のことなので、初代神武天皇の古代天皇家は古代北イスラエル王国王家エフライム族出自であり、古代大和朝廷は古代北イスラエル王国再興であることを証明している。
④ 天皇家の王冠「イスラエルとユダの統一紋章」 ; 「日本固有文明の謎はユダヤで解ける」ノーマン・マックレオド/久保有政著では、麒麟を一角獣のユニコーンと捉え、ユニコーンが北イスラエル王国の王家の属するエフライム部族の紋章・シンボル、そして、獅子が南ユダ王国の王家の属するユダ族の紋章・シンボルであることから、この図柄の王冠を「イスラエルとユダの統一紋章」と解している。 ⑤ Y染色体DNA D2系統(YAP遺伝子)のエフライム族とマナセ族の渡来 ⑥ 万世一系の天皇家は世界で最も長く続いている王家
そしてさらに、日本シティジャーナルブログ「日本とユダヤのハーモニー」によれば、神社・風習等から見た古代日本と古代ユダヤ/古代イスラエルに深いつながりがある。
・第1章 伊勢神宮の謎に迫る! ・第2章 伊勢神宮の構造はイスラエルの神殿がモデル?
・第3章 三種の神器はユダヤにルーツがあるのか!
*日本;三種の神器(八咫鏡・草薙の剣・勾玉)、お神輿
*古代イスラエル :三種の神器(十戒の石版・アロンの杖・マナの壷)、契約の箱
・第4章 イスラエル10部族と皇室の謎に迫る!契約の箱 ・第5章 東の島々を求めて旅する失われたイスラエル10部族 ・第6章 「弥生ショック」の謎を解く鍵とは!
以上のように、「自然万物の中に霊性が宿っている」という縄文人の自然崇拝・先祖崇拝の思想に、渡来した古代北イスラエル王国王族エフライム族の多神教が融合し、更にその後に渡来した秦氏の景教(原始キリスト教ネストリウス派)が融合した「八百万の神々の古代神道」の思想が日本人の根底にある。 そこに仏教が伝来して、仏教派の蘇我氏と古代神道派の物部氏の政治抗争があり、仏教派が勝利した思想の歴史的推移がある。
このような思想の歴史的推移をベースに、天照大神の血筋を受け継ぐ存在として超越的な神聖性を持ち、その神聖性を天皇地位の根拠に創作した「古事記」「日本書紀」が天武天皇により発議されて編纂されたが、その史実を改竄・偽作した証拠として、持統天皇5(691)年8月13日条に「其の祖等の墓記を上進らしむ」と記紀の記述と矛盾するものとして、古代神道派の石上神宮・大神神社の古文書、関連する豪族十六氏の系図を没収したという。
更に、元明天皇は即位した和銅元(708)年正月、「山沢に亡命して禁書を隠し持っている者は、百日以内に自首せよ。さもなくば恩赦しない」という詔勅を出している。 これは藤原不比等の差し金とみられ、念には念を入れて飛鳥・奈良時代以前の大和国時代からの古代神道派である王族や豪族の系譜を抹殺しようと図っている。
従って、「日本人ルーツの謎を解く」長浜浩明著、「古事記」「日本書紀」以前の史実を記した「古代日本正史」「上代日本正史」原田常治著・「失われた九州王朝」古田武彦著・「古代天皇家と日本正史」中丸薫著、更に「日本固有文明の謎はユダヤで解ける」ノーマン・マックレオド/久保有政著・「日本とユダヤの運命の遺伝子」久保有政著・日本シティジャーナルブログ「日本とユダヤのハーモニー」などの調査・洞察を著者に期待したい。
また、近代史最大の謎にして最大の禁忌の「北朝系孝明天皇・睦仁親王暗殺と自称南朝後裔(大室寅之祐)のすり替え明治天皇擁立」・「田布施システム論」についての「裏切られた三人の天皇」鹿島昇著・「明治天皇“すり替え”説の真相」落合莞爾著、更に、明治政府が創設した「国家神道」とその象徴的施設の「靖国神社」の調査・洞察から、幕末・明治の儒教復権と国民道徳の形成の真相解明を著者に期待したい。 本書において、著者は「古事記」「日本書紀」をベースに時系列の日本思想史を論じているが、それに対するコメントを述べるので、僭越ながら、今後の著者及び購読者の参考になれば幸いです。
● 序章 思想としての「中華」とは何か
① 儒教と仏教はほぼ同時期に伝わったが、古代の日本人は中国文明の中心的イデオロギーである儒教の受容に冷淡だが、インド伝来の仏教導入に大変な情熱を注いだ。聖徳太子の「憲法十七条」に記されている政治理念は、言葉こそ儒教の「論語」から借用されているが、儒教ではなく仏教思想をその根底としており、伝来してわずか二百年後は事実上の「国教」の地位を固めた。
▼コメント ; 「中国大陸の巨大帝国からの圧力に対し、日本はいかにして国家の独立を保つか」の重要な政治課題に対して、なぜ、儒教ではなく普遍的な価値を持つ世界宗教の仏教を選択したかの考察が不足している。 小生は、古代に渡来した秦氏は古代ユダヤ人子孫で景教(原始キリスト教ネストリウス派)教徒あり、すでに応神天皇以降の支配層日本人は実質的な景教教徒なので、唯我独尊の儒教よりもはるかに普遍的な価値を持つ世界宗教の仏教に親和性があったのではないかと思われる。
② 天命思想(易姓革命)と徳治主義と中華思想が混然一体となって唯我独尊的な中国思想を形作っているが、日本人は最初から中国伝統の天命思想を排斥して独自の神話に基づく政治的支配権の解釈を行い、中国と全く異なる政治体制と国の形を作り上げていった。
▼コメント ; 中国大陸は大きな国土で多くの人種のるつぼなので、縄張り争いが絶えず、他の民族を征服する正当化思想として「天命」と「易姓革命」が考え出されたと思われる。 これに対して中央アジア・中国大陸等での治乱興亡で敗れた多くの人々が安住の地を求めて避難してきた日本列島に、独自の神話に基づく政治的支配権の天皇家を中心に共生共栄の集合体を作り上げたのが日本の国体である。 論語は中国社会の理想を描いたものであるが、中国社会の実態は有史以来ずっとその真逆であり、中国の「天命」と「易姓革命」の中華思想は基本的に「勝者必衰」の理であるが、中国大陸等の争乱で敗れて避難した日本列島での復活、つまり、日本は「共生共栄の敗者復活」の思想である。
●第一章 飛鳥・奈良時代;脱中華から始まった日本の思想史
日本の天皇は、天照大神の血筋を受け継ぐ存在として超越的な神聖性を持ち、その神聖性を天皇の地位の根拠にしていた。そして平安中期以降は、天皇は実質の権力者としても、日本の政治の世界に君臨していた。大化の改新が目指した中央集権制の確立は権力者としての天皇の地位強化につながるものであった。しかし、律令制が日本風土に根ざすことに失敗して実質的に消滅し、天皇の地位にも変化が起きて摂関政治の流行と定着により、政治権力が天皇から剥離していき、徐徐に政治権力の世界から遠ざかっていき、天照大神の子孫としての神聖性、すなわち権威だけが残るようになった。 このように、日本書紀・古事記は、天照大神と天孫降臨の神話を創出することにより、この地上の統治権、中国文明流にいえば、「天命」を未来永劫、天皇家に与えたのであり、その結果、「易姓革命」は、思想的に日本から徹底的に排除されたわけである。
▼コメント ; ポイントを突いており賛同するが、なぜ、天照大神と天孫降臨の神話創出により「天命」を未来永劫に渡って天皇家に与えたのかの洞察が不足している。 小生は縄文時代から日本人には自然崇拝・先祖崇拝があり、しかもほぼ全ての日本人の先祖は天皇家に繫がるので、日本人は総本家の天皇家に未来永劫この地上の統治権を与えたと思われ、中国文明流の「易姓革命」は絶対に発生しないのである。 例えば、実質的な藤原氏始祖の藤原不比等は天智天皇の落胤説あり、平氏出自の平清盛は桓武天皇子孫、源氏出自の源頼朝は清和天皇子孫、源氏出自の足利尊氏は清和天皇子孫、平氏出自の織田信長は桓武天皇子孫、源氏出自の徳川家康は清和天皇子孫など、その時々の政治権力者始祖は全て天皇家出自であり、日本人のほぼ全ては天皇家を総本家とするファミリーなので、たとえその時々の政治権力者が天皇家に反乱・反抗しても賊軍となり、日本人全体が許さず自滅するしかないので「易姓革命」は成就しないのである。
●第二章 平安から室町;仏教の日本化と神道思想の確立
平安初期に活躍した日本仏教史上、且つ日本思想史上の巨人は空海と最澄である。 空海は、「三教指帰」により儒教と道教と仏教の徹底的な比較評価した結果、仏教が一番まともな宗教と結論した。 空海が唐から持ち帰った密教(真言宗)により「衆生救済」「即身成仏義」の道が一般大衆にも開かれた。 最澄は、戒律と授戒儀式の簡素化を図った大乗戒壇により、仏教を一般大衆に開放し「一切衆生」に救済の道を開こうとした。 平安中期において「市聖」と呼ばれた空也は、「南無阿弥陀仏」の名号を唱えるだけの「大衆のための仏教」を普及させた。 源信は「称名念仏」を提唱することで「極楽浄土」を一般大衆に開放した。 平安晩期から鎌倉初期にかけて活動した浄土宗開祖の法然は、「称名念仏」を一心不乱に行えば誰もが極楽往生できる「専修念仏」と呼ぶ仏道を提唱した。
法然の弟子である親鸞は「如来等同」「悪人正機説」により仏教の大衆化を促進する浄土真宗を開いた。 日蓮は「南無妙法蓮華経」の題目を唱えることで救いを求める日蓮宗を開いた。 時宗の開祖の一遍は、「踊り念仏」で一切衆生の救済を推進した。 天台宗を中心に「天台本覚思想」、つまり、生まれながら仏性が備わっている人間は最初から「仏」そのものだから、それを自覚さえしていれば、誰でもそのまま仏になれる「本覚思想」は、空海の「即身成仏義」や最澄の「一切衆生」と軌を一にしており、念仏さえすれば極楽浄土へ行けるという浄土宗、題目させ唱えれば誰でも成仏できるという日蓮宗が生まれている。 この「本覚思想」がさらに発展して、自然万物のすべてに霊力と神が宿るという日本伝来の原始信仰の「草木国土悉皆成仏」の特異な思想となり、この言葉と思想が定着して以来、仏教はまさに「神道的仏教」となり日本仏教になった。 日本の神祇信仰は仏教との共存のために日本独特の「本地垂迹説」、つまり仏・菩薩を「本地」、日本の神々を「垂迹」とし、日本の神々は仏・菩薩の化身として再び人々から信奉される信仰の対象になり、人々に救いを与える存在になった。 本覚思想に立脚する天台宗を思想の母体とした「山王神道」では、仏という本地に従属しているはずの神が究極の存在となって優位になっている。 伊勢神宮外宮を中心に誕生した「伊勢神道」では、日本の神が主であって仏は従属的立場である「神主仏従」を主張した。 日本を根、中国を枝葉、インドを花実に比定し、神国日本のインド・中国に対する優位を主張した慈遍の「根葉花実論」を受け継いで、吉田兼俱は、神道こそが「万法の根本」であり、仏法は単なるこの根本から生み出された「花実」にすぎないと主張し、「反本地垂迹説」で日本の神と外来神の仏との関係を逆転させ、日本民族固有の感性と思想の「正直と清浄」を「本地」とし、仏教の「慈悲」の上に立てたのである。 この「反本地垂迹説」の吉田神道の成立をもって日本古来の神祇信仰が「神道」として確立した。
▼コメント ; 飛鳥時代・奈良時代の仏教導入による「脱中華」と、平安時代から室町時代の「脱仏教」の二つの思想運動の最終的到達点は、まさに日本的な心と日本的思想への回帰であり、日本的信仰の確立だったとの著者の意見に賛同する。 そして、異なった宗教間の融合と共存の可能性を示した画期的な出来事である本地垂迹と神仏習合は、日本の精神と思想の奥深さを示した思想史上の傑作であったとの著者の意見にも賛同する。 ところで、古代日本には、仏教伝来前に、縄文人由来の自然万物のすべてに霊力と神が宿る自然崇拝・天皇家を宗家とする先祖崇拝の日本伝来の原始信仰と、景教(原始キリスト教ネストリウス派)が融合した「八百八幡の古代神道」が成立していた。 そして、この古代神道思想の上に仏教導入による「本地垂迹説」「神仏習合」があり、その後の「脱仏教」の思想運動の結果、「反本地垂迹説」の理論強化による「古代神道」復活になったと思われる。 従って、あくまでも日本思想の強固な土台は、自然崇拝・先祖崇拝の「古代神道」と思われる。
●第三章 江戸儒学の台頭と展開;朱子学との闘いの軌跡
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康も一向宗(浄土真宗)と熾烈な戦いを繰り広げたので、徳川幕府は全国に「寺請制度(檀家制度)」を設け、民衆の「戸籍管理機構」として体制を補完する政治的役割を担うと同時に、いわゆる「葬式仏教」として社会的役割を果たす体制にして仏教徒の飼い慣らしを行った。 この結果、日本の仏教は思想としての創造力と影響力を失うことになった。 徳川幕府が官学として朱子学を据えたが、朱子学とは「理気説」という宇宙論・人間論に基づいて八条目「格物、致知、誠意、正心、修身、斎家、治国、平天下」の実践法をもって理想的な「人間づくり」と「社会づくり」を目指す、一種の実践哲学であり、朱子学は天下太平の世における武士層にとって大いなる救いとなり、侍精神(大和魂・武士道)が養生された。 つまり、日々において「誠意、正心、修身、斎家」に励み、自らの人格と道徳水神を高め、いざという時の「治国、平天下」に備えておくこと、それこそが自分たち武士のやるべき重大な仕事であり、課された重大な使命として使命感と生き甲斐を与えてくれた。 伊藤仁斎は、朱子学が儒学の古典「論語」「孟子」に対する歪曲の上に成り立ったインチキ学問であることを喝破し、朱子学の「天理」とは対極にある「愛」の原理を掲げて人間性否定の朱子学に止めの一撃を与えた。 荻生徂徠は、儒教の神髄は理論や思想ではなく、先王たちが作り上げた「礼楽刑政」の実在の社会制度・文明制度の仕組みやシステムが儒教の根幹をなし、儒教の拠り所だと喝破した。 「寛政異学の禁」発令により朱子学衰退が証明され、伊藤仁斎と荻生徂徠により朱子学は葬り去られた。
▼コメント ; 日本最大仏教宗派の浄土真宗は、元々仏教に体裁を変えた、仏教に「成りすまし」の原始キリスト教ネストリウス派で、思想として完成された宗教であり、これ以上の思想的発展性は望めないですね。 徳川幕府の「寺請制度(檀家制度)」は、各宗教の門徒確保と財政支援を行い、各宗教の毒牙を抜き飼い慣らす優れた宗教対策ですね。 朱子学(八条目)により侍精神(大和魂・武士道)が養成されたことを知り、目から鱗が落ちた思いですね。 伊藤仁斎と荻生徂徠が解明した朱子学の儒学歪曲インチキ学問説を、儒教本場の中国、ミニ中華で朱子学支配の韓国・北朝鮮に教えてあげたらどうだろうか。。。。
●第四章 国学の快進撃;日本思想史のコペルニクス的転回
「古典に沿って古典の真意を読み取る」という伊藤仁斎と荻生徂徠の開発した手法は、加茂真淵と荷田春満は「万葉集」、本居宣長は「源氏物語」「古事記」が読み直す対象となった。 加茂真淵は荻生徂徠の「礼楽刑政論」を徹底論破し、「天地自然の道」すなわち日本の「古道」のみが人間社会の正しい道と主張し、「万葉集」等の日本の古典を読み直し、古代日本人の精神を把握し、今の日本人の精神として取り戻す活動を行った。 本居宣長は「源氏物語」の解読を通して日本的心・日本思想の真髄たるものである「もののあはれを知る論」を打ち出した。 そして「漢意の排除」による中華との決別で日本精神・思想と国学の確立を図った。 山鹿素行は「中朝事実」において、儒教以前に「聖人の教え」を生んだ日本こそ本当の中華であると主張した。
▼コメント : 本居宣長は重要で日本的な「自然万物の中に霊性が宿っている」という日本古来の思想は、神道の「八百万の神々」の考えを支え、更に日本仏教の「草木国土悉皆成仏」の考えをその根底から支えて、現在に生きる多くの日本人の精神の根底にある考え方あるいは心情を「日本的思想」として明確化・理論化した初めての日本人であるとの著者の指摘に賛同する。 そして、本居宣長を覚醒させた方法が、古典の「源氏物語」「古事記」の読み直しであったことに、日本の歴史と文化の奥深さを感じる。
●終章 幕末と明治;儒教の復権と国民道徳の形成
水戸藩士・会沢正志斎は、「新論」の中で儒教の「忠孝の道」によって尊王攘夷の必然性を理論的に説いた。 開国論者の佐久間象山は、西洋の実用的な知識と技術を学び、日本の伝統的価値観・道徳倫理を守る「東洋道徳・西洋芸術」を提唱し、両者の儒教の推奨と復権は「攘夷」と「開国」の違いを超えて幕末維新運動の思想的底流をなすことになった。 思想家・教育家の西村茂樹が「日本道徳論」で提唱する国民道徳は、朱子学の「修身斉家治国平天下」そのままであった。 教育勅語には、臣民が身につけるべき「十二の徳目」を提示し、近代文明国家の価値観を国民道徳の一部として導入し、朱子学が説く「修身斉家治国平天下」の世界が翻案されている。 朱子学の「八条目」は、儒教の本場の中国ではあくまでも読書人・官僚エリート階層対象であり、江戸時代の場合も武士階層の目指す世界で武士のイデオロギーであったが、教育勅語では日本国民全員の価値観と倫理観として国民全員の歩むべき「人の道」として求められる歴史的大変化が起きた。
▼コメント ; 日本の思想史を俯瞰すると、大きく2つの分水嶺がある。 最初は、古代神道から仏教導入した「古事記」「日本書紀」編纂の時期で、白村江敗戦後の中華帝国外圧に対抗する天皇中心の国威発揚施策であり、2回目は、江戸時代までの「脱中華」から明治維新の「儒教復興」時期で、天皇を現人神として絶対化し、神社神道と皇室神道を結びつけて古事記・日本書紀を唯一の神典とした「国家神道」を創設したが、いずれも外国圧力に対抗する為に日本の思想を大転換して富国強兵化している。 ところで、明治からの日本の近代化はむしろ、飛鳥時代から江戸時代までの「脱中華」の日本精神史とは逆行するような時代だった影響が、今でも日本の思想と精神に深い影を落としているのではないかとの著者の意見に賛同する。 これに対する小生の意見は、明治維新は、欧米国際金融資本バックアップにより、江戸時代に朱子学で教育された薩摩・長州藩下級武士と、朱子学支配の長州・田布施村出身朝鮮人による討幕クーデターであったことであり、明治政府は天皇を現人神とする「国家神道」を創設し、朱子学「八条目」に則った「教育勅語」と科挙制度のエリート層養成を重要施策としたので、江戸時代まで儒教思想を排斥してきた日本人に儒教が復権したのである。 明治政府は明治初に国家神道の象徴的施設で戦死霊の招魂祭制度として東京招魂社(靖国神社)を新設した。この中国道教儀式の死霊招魂祭は、平安時代以来、天皇が禁止の国禁であったが、日本古来の神社神道形式を採用して「神社」と名のらせたが、靖国「神社」は日本古来の神道ではない。 靖国神社はあくまで万世不易神霊厳在に招魂式を行う「招魂社」で「鎮魂社」ではない。 この招魂とは、彷徨える御霊を招き、この世での未練を断ち切らせ、自分の肉体が既にこの世には無いことを教え、死者の国(常世の国/黄泉の国)へ行かせる儀式だが、この招魂祭は中国陰陽道で、日本古来の神道鎮魂祭とは別ものである。 明治政府の国家神道思想と諸施策は、江戸時代に教育受けた人間が活躍した明治時代まではうまくいったが、その後は科挙制度エリート教育の弊害が露呈して昭和前期はうまくいかず、第二次世界大戦敗戦でその思想が瓦解した。 そして、敗戦後はGHQ贖罪史観が支配的で日本人のアイデンティティが問われているが、本居宣長が主張した自然崇拝・先祖崇拝の「神道」と「日本仏教」の日本的思想に回帰すべきと思われる。
つまり、縄文人は日本列島の特徴である地震・台風・火山爆発などの自然災害に恐れ慄き、共同で立ち向かう活動の中から自然の恩恵を活用して、世界最古の土器は1988年に青森県の大平山元遺跡で見つかった1万6500年前(縄文時代早期)のもの、世界最古の漆製品は北海道南茅部町で発見された約9000年前(縄文時代)のもの、更に、世界最古の貝塚も昭和25年に日本の三浦半島で発見された1万年近く前(縄文時代早期前半)のもの、世界最古級の墓も約2万年前の日本の大阪府藤井寺市のはさみ山古墳であるように、縄文人には自然と共存共栄の活動の中から自然崇拝・先祖崇拝の思想が芽生えている。 そして古代日本において、弥生時代以降の大陸からの渡来人は、次の順になる。
① BC 2~3世紀;弥生人、北九州に朝鮮・中国系の遺跡・遺物(O系統)
② BC 1~AD 3世紀;出雲族、古代天皇家一族(エフライム族;多神教)(D系統)
③ AD 4~5世紀;倭の五王時代に中国・朝鮮系、製鉄技術、鉄製農具、灌漑・土木(O系統) ④ AD 4~6世紀;技術者集団→大和朝廷を強める 原始キリスト教ネストリウス派の弓月君(秦氏の祖=ユダヤ族)が127県の1万8670人を連れて渡来、養蚕・機織・銅の鋳造・清酒・雅楽などの日本らしい文化を伝えた(D系統、O系統)
⑤ AD 6~7世紀:AD 562任那滅亡・AD 660百済滅亡・AD 663白村江の敗戦・AD 668高句麗滅亡により百済・任那・高句麗等から大量の亡命者渡来、儒教・仏教・仏像伝来(O系統)
上記の事態・事件を考慮すれば、日本人のY染色体DNA構成において、D系統(34%)・O2b1系統(18%)が縄文由来であり、C系統(9%:モンゴルに高い頻度で現れる)・O系統(27%)・ O2a系統(1%)は上記の中国大陸・朝鮮半島動乱などで渡来してきた人々由来のものと思われ、トータルでは、約52%がほぼ縄文由来と推定できるが、約48%は渡来系もしくは不明(縄文由来かもしれない)といった結論が正しいと思われる。
そして下記のように、「古代北イスラエル国王家エフライム族が渡来して古代天皇家になった証拠」がある。
① 旧約聖書と日本神話の類似性 ② キルギス人の伝説(マナス叙事詩)
③ 神武天皇の和風諡号はエフライム族出自の証明 ; 神武天皇の和風諡号「神日本磐余彦天皇(カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト)」は、ユダヤ人研究家ヨセフ・アイデルバーク氏によると、これはヘブル・アラム語で「カム・ヤマトウ・イベリ・ペコ・シュメロン・マクト」と聞こえ、これは「サマリアの王、ヤハウエ神のヘブライ民族の高尚な創設者」を意味し、サマリアは古代北イスラエル王国のことで、サマリアの王とはエフライム族の王家のことなので、初代神武天皇の古代天皇家は古代北イスラエル王国王家エフライム族出自であり、古代大和朝廷は古代北イスラエル王国再興であることを証明している。
④ 天皇家の王冠「イスラエルとユダの統一紋章」 ; 「日本固有文明の謎はユダヤで解ける」ノーマン・マックレオド/久保有政著では、麒麟を一角獣のユニコーンと捉え、ユニコーンが北イスラエル王国の王家の属するエフライム部族の紋章・シンボル、そして、獅子が南ユダ王国の王家の属するユダ族の紋章・シンボルであることから、この図柄の王冠を「イスラエルとユダの統一紋章」と解している。 ⑤ Y染色体DNA D2系統(YAP遺伝子)のエフライム族とマナセ族の渡来 ⑥ 万世一系の天皇家は世界で最も長く続いている王家
そしてさらに、日本シティジャーナルブログ「日本とユダヤのハーモニー」によれば、神社・風習等から見た古代日本と古代ユダヤ/古代イスラエルに深いつながりがある。
・第1章 伊勢神宮の謎に迫る! ・第2章 伊勢神宮の構造はイスラエルの神殿がモデル?
・第3章 三種の神器はユダヤにルーツがあるのか!
*日本;三種の神器(八咫鏡・草薙の剣・勾玉)、お神輿
*古代イスラエル :三種の神器(十戒の石版・アロンの杖・マナの壷)、契約の箱
・第4章 イスラエル10部族と皇室の謎に迫る!契約の箱 ・第5章 東の島々を求めて旅する失われたイスラエル10部族 ・第6章 「弥生ショック」の謎を解く鍵とは!
以上のように、「自然万物の中に霊性が宿っている」という縄文人の自然崇拝・先祖崇拝の思想に、渡来した古代北イスラエル王国王族エフライム族の多神教が融合し、更にその後に渡来した秦氏の景教(原始キリスト教ネストリウス派)が融合した「八百万の神々の古代神道」の思想が日本人の根底にある。 そこに仏教が伝来して、仏教派の蘇我氏と古代神道派の物部氏の政治抗争があり、仏教派が勝利した思想の歴史的推移がある。
このような思想の歴史的推移をベースに、天照大神の血筋を受け継ぐ存在として超越的な神聖性を持ち、その神聖性を天皇地位の根拠に創作した「古事記」「日本書紀」が天武天皇により発議されて編纂されたが、その史実を改竄・偽作した証拠として、持統天皇5(691)年8月13日条に「其の祖等の墓記を上進らしむ」と記紀の記述と矛盾するものとして、古代神道派の石上神宮・大神神社の古文書、関連する豪族十六氏の系図を没収したという。
更に、元明天皇は即位した和銅元(708)年正月、「山沢に亡命して禁書を隠し持っている者は、百日以内に自首せよ。さもなくば恩赦しない」という詔勅を出している。 これは藤原不比等の差し金とみられ、念には念を入れて飛鳥・奈良時代以前の大和国時代からの古代神道派である王族や豪族の系譜を抹殺しようと図っている。
従って、「日本人ルーツの謎を解く」長浜浩明著、「古事記」「日本書紀」以前の史実を記した「古代日本正史」「上代日本正史」原田常治著・「失われた九州王朝」古田武彦著・「古代天皇家と日本正史」中丸薫著、更に「日本固有文明の謎はユダヤで解ける」ノーマン・マックレオド/久保有政著・「日本とユダヤの運命の遺伝子」久保有政著・日本シティジャーナルブログ「日本とユダヤのハーモニー」などの調査・洞察を著者に期待したい。
また、近代史最大の謎にして最大の禁忌の「北朝系孝明天皇・睦仁親王暗殺と自称南朝後裔(大室寅之祐)のすり替え明治天皇擁立」・「田布施システム論」についての「裏切られた三人の天皇」鹿島昇著・「明治天皇“すり替え”説の真相」落合莞爾著、更に、明治政府が創設した「国家神道」とその象徴的施設の「靖国神社」の調査・洞察から、幕末・明治の儒教復権と国民道徳の形成の真相解明を著者に期待したい。 本書において、著者は「古事記」「日本書紀」をベースに時系列の日本思想史を論じているが、それに対するコメントを述べるので、僭越ながら、今後の著者及び購読者の参考になれば幸いです。
● 序章 思想としての「中華」とは何か
① 儒教と仏教はほぼ同時期に伝わったが、古代の日本人は中国文明の中心的イデオロギーである儒教の受容に冷淡だが、インド伝来の仏教導入に大変な情熱を注いだ。聖徳太子の「憲法十七条」に記されている政治理念は、言葉こそ儒教の「論語」から借用されているが、儒教ではなく仏教思想をその根底としており、伝来してわずか二百年後は事実上の「国教」の地位を固めた。
▼コメント ; 「中国大陸の巨大帝国からの圧力に対し、日本はいかにして国家の独立を保つか」の重要な政治課題に対して、なぜ、儒教ではなく普遍的な価値を持つ世界宗教の仏教を選択したかの考察が不足している。 小生は、古代に渡来した秦氏は古代ユダヤ人子孫で景教(原始キリスト教ネストリウス派)教徒あり、すでに応神天皇以降の支配層日本人は実質的な景教教徒なので、唯我独尊の儒教よりもはるかに普遍的な価値を持つ世界宗教の仏教に親和性があったのではないかと思われる。
② 天命思想(易姓革命)と徳治主義と中華思想が混然一体となって唯我独尊的な中国思想を形作っているが、日本人は最初から中国伝統の天命思想を排斥して独自の神話に基づく政治的支配権の解釈を行い、中国と全く異なる政治体制と国の形を作り上げていった。
▼コメント ; 中国大陸は大きな国土で多くの人種のるつぼなので、縄張り争いが絶えず、他の民族を征服する正当化思想として「天命」と「易姓革命」が考え出されたと思われる。 これに対して中央アジア・中国大陸等での治乱興亡で敗れた多くの人々が安住の地を求めて避難してきた日本列島に、独自の神話に基づく政治的支配権の天皇家を中心に共生共栄の集合体を作り上げたのが日本の国体である。 論語は中国社会の理想を描いたものであるが、中国社会の実態は有史以来ずっとその真逆であり、中国の「天命」と「易姓革命」の中華思想は基本的に「勝者必衰」の理であるが、中国大陸等の争乱で敗れて避難した日本列島での復活、つまり、日本は「共生共栄の敗者復活」の思想である。
●第一章 飛鳥・奈良時代;脱中華から始まった日本の思想史
日本の天皇は、天照大神の血筋を受け継ぐ存在として超越的な神聖性を持ち、その神聖性を天皇の地位の根拠にしていた。そして平安中期以降は、天皇は実質の権力者としても、日本の政治の世界に君臨していた。大化の改新が目指した中央集権制の確立は権力者としての天皇の地位強化につながるものであった。しかし、律令制が日本風土に根ざすことに失敗して実質的に消滅し、天皇の地位にも変化が起きて摂関政治の流行と定着により、政治権力が天皇から剥離していき、徐徐に政治権力の世界から遠ざかっていき、天照大神の子孫としての神聖性、すなわち権威だけが残るようになった。 このように、日本書紀・古事記は、天照大神と天孫降臨の神話を創出することにより、この地上の統治権、中国文明流にいえば、「天命」を未来永劫、天皇家に与えたのであり、その結果、「易姓革命」は、思想的に日本から徹底的に排除されたわけである。
▼コメント ; ポイントを突いており賛同するが、なぜ、天照大神と天孫降臨の神話創出により「天命」を未来永劫に渡って天皇家に与えたのかの洞察が不足している。 小生は縄文時代から日本人には自然崇拝・先祖崇拝があり、しかもほぼ全ての日本人の先祖は天皇家に繫がるので、日本人は総本家の天皇家に未来永劫この地上の統治権を与えたと思われ、中国文明流の「易姓革命」は絶対に発生しないのである。 例えば、実質的な藤原氏始祖の藤原不比等は天智天皇の落胤説あり、平氏出自の平清盛は桓武天皇子孫、源氏出自の源頼朝は清和天皇子孫、源氏出自の足利尊氏は清和天皇子孫、平氏出自の織田信長は桓武天皇子孫、源氏出自の徳川家康は清和天皇子孫など、その時々の政治権力者始祖は全て天皇家出自であり、日本人のほぼ全ては天皇家を総本家とするファミリーなので、たとえその時々の政治権力者が天皇家に反乱・反抗しても賊軍となり、日本人全体が許さず自滅するしかないので「易姓革命」は成就しないのである。
●第二章 平安から室町;仏教の日本化と神道思想の確立
平安初期に活躍した日本仏教史上、且つ日本思想史上の巨人は空海と最澄である。 空海は、「三教指帰」により儒教と道教と仏教の徹底的な比較評価した結果、仏教が一番まともな宗教と結論した。 空海が唐から持ち帰った密教(真言宗)により「衆生救済」「即身成仏義」の道が一般大衆にも開かれた。 最澄は、戒律と授戒儀式の簡素化を図った大乗戒壇により、仏教を一般大衆に開放し「一切衆生」に救済の道を開こうとした。 平安中期において「市聖」と呼ばれた空也は、「南無阿弥陀仏」の名号を唱えるだけの「大衆のための仏教」を普及させた。 源信は「称名念仏」を提唱することで「極楽浄土」を一般大衆に開放した。 平安晩期から鎌倉初期にかけて活動した浄土宗開祖の法然は、「称名念仏」を一心不乱に行えば誰もが極楽往生できる「専修念仏」と呼ぶ仏道を提唱した。
法然の弟子である親鸞は「如来等同」「悪人正機説」により仏教の大衆化を促進する浄土真宗を開いた。 日蓮は「南無妙法蓮華経」の題目を唱えることで救いを求める日蓮宗を開いた。 時宗の開祖の一遍は、「踊り念仏」で一切衆生の救済を推進した。 天台宗を中心に「天台本覚思想」、つまり、生まれながら仏性が備わっている人間は最初から「仏」そのものだから、それを自覚さえしていれば、誰でもそのまま仏になれる「本覚思想」は、空海の「即身成仏義」や最澄の「一切衆生」と軌を一にしており、念仏さえすれば極楽浄土へ行けるという浄土宗、題目させ唱えれば誰でも成仏できるという日蓮宗が生まれている。 この「本覚思想」がさらに発展して、自然万物のすべてに霊力と神が宿るという日本伝来の原始信仰の「草木国土悉皆成仏」の特異な思想となり、この言葉と思想が定着して以来、仏教はまさに「神道的仏教」となり日本仏教になった。 日本の神祇信仰は仏教との共存のために日本独特の「本地垂迹説」、つまり仏・菩薩を「本地」、日本の神々を「垂迹」とし、日本の神々は仏・菩薩の化身として再び人々から信奉される信仰の対象になり、人々に救いを与える存在になった。 本覚思想に立脚する天台宗を思想の母体とした「山王神道」では、仏という本地に従属しているはずの神が究極の存在となって優位になっている。 伊勢神宮外宮を中心に誕生した「伊勢神道」では、日本の神が主であって仏は従属的立場である「神主仏従」を主張した。 日本を根、中国を枝葉、インドを花実に比定し、神国日本のインド・中国に対する優位を主張した慈遍の「根葉花実論」を受け継いで、吉田兼俱は、神道こそが「万法の根本」であり、仏法は単なるこの根本から生み出された「花実」にすぎないと主張し、「反本地垂迹説」で日本の神と外来神の仏との関係を逆転させ、日本民族固有の感性と思想の「正直と清浄」を「本地」とし、仏教の「慈悲」の上に立てたのである。 この「反本地垂迹説」の吉田神道の成立をもって日本古来の神祇信仰が「神道」として確立した。
▼コメント ; 飛鳥時代・奈良時代の仏教導入による「脱中華」と、平安時代から室町時代の「脱仏教」の二つの思想運動の最終的到達点は、まさに日本的な心と日本的思想への回帰であり、日本的信仰の確立だったとの著者の意見に賛同する。 そして、異なった宗教間の融合と共存の可能性を示した画期的な出来事である本地垂迹と神仏習合は、日本の精神と思想の奥深さを示した思想史上の傑作であったとの著者の意見にも賛同する。 ところで、古代日本には、仏教伝来前に、縄文人由来の自然万物のすべてに霊力と神が宿る自然崇拝・天皇家を宗家とする先祖崇拝の日本伝来の原始信仰と、景教(原始キリスト教ネストリウス派)が融合した「八百八幡の古代神道」が成立していた。 そして、この古代神道思想の上に仏教導入による「本地垂迹説」「神仏習合」があり、その後の「脱仏教」の思想運動の結果、「反本地垂迹説」の理論強化による「古代神道」復活になったと思われる。 従って、あくまでも日本思想の強固な土台は、自然崇拝・先祖崇拝の「古代神道」と思われる。
●第三章 江戸儒学の台頭と展開;朱子学との闘いの軌跡
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康も一向宗(浄土真宗)と熾烈な戦いを繰り広げたので、徳川幕府は全国に「寺請制度(檀家制度)」を設け、民衆の「戸籍管理機構」として体制を補完する政治的役割を担うと同時に、いわゆる「葬式仏教」として社会的役割を果たす体制にして仏教徒の飼い慣らしを行った。 この結果、日本の仏教は思想としての創造力と影響力を失うことになった。 徳川幕府が官学として朱子学を据えたが、朱子学とは「理気説」という宇宙論・人間論に基づいて八条目「格物、致知、誠意、正心、修身、斎家、治国、平天下」の実践法をもって理想的な「人間づくり」と「社会づくり」を目指す、一種の実践哲学であり、朱子学は天下太平の世における武士層にとって大いなる救いとなり、侍精神(大和魂・武士道)が養生された。 つまり、日々において「誠意、正心、修身、斎家」に励み、自らの人格と道徳水神を高め、いざという時の「治国、平天下」に備えておくこと、それこそが自分たち武士のやるべき重大な仕事であり、課された重大な使命として使命感と生き甲斐を与えてくれた。 伊藤仁斎は、朱子学が儒学の古典「論語」「孟子」に対する歪曲の上に成り立ったインチキ学問であることを喝破し、朱子学の「天理」とは対極にある「愛」の原理を掲げて人間性否定の朱子学に止めの一撃を与えた。 荻生徂徠は、儒教の神髄は理論や思想ではなく、先王たちが作り上げた「礼楽刑政」の実在の社会制度・文明制度の仕組みやシステムが儒教の根幹をなし、儒教の拠り所だと喝破した。 「寛政異学の禁」発令により朱子学衰退が証明され、伊藤仁斎と荻生徂徠により朱子学は葬り去られた。
▼コメント ; 日本最大仏教宗派の浄土真宗は、元々仏教に体裁を変えた、仏教に「成りすまし」の原始キリスト教ネストリウス派で、思想として完成された宗教であり、これ以上の思想的発展性は望めないですね。 徳川幕府の「寺請制度(檀家制度)」は、各宗教の門徒確保と財政支援を行い、各宗教の毒牙を抜き飼い慣らす優れた宗教対策ですね。 朱子学(八条目)により侍精神(大和魂・武士道)が養成されたことを知り、目から鱗が落ちた思いですね。 伊藤仁斎と荻生徂徠が解明した朱子学の儒学歪曲インチキ学問説を、儒教本場の中国、ミニ中華で朱子学支配の韓国・北朝鮮に教えてあげたらどうだろうか。。。。
●第四章 国学の快進撃;日本思想史のコペルニクス的転回
「古典に沿って古典の真意を読み取る」という伊藤仁斎と荻生徂徠の開発した手法は、加茂真淵と荷田春満は「万葉集」、本居宣長は「源氏物語」「古事記」が読み直す対象となった。 加茂真淵は荻生徂徠の「礼楽刑政論」を徹底論破し、「天地自然の道」すなわち日本の「古道」のみが人間社会の正しい道と主張し、「万葉集」等の日本の古典を読み直し、古代日本人の精神を把握し、今の日本人の精神として取り戻す活動を行った。 本居宣長は「源氏物語」の解読を通して日本的心・日本思想の真髄たるものである「もののあはれを知る論」を打ち出した。 そして「漢意の排除」による中華との決別で日本精神・思想と国学の確立を図った。 山鹿素行は「中朝事実」において、儒教以前に「聖人の教え」を生んだ日本こそ本当の中華であると主張した。
▼コメント : 本居宣長は重要で日本的な「自然万物の中に霊性が宿っている」という日本古来の思想は、神道の「八百万の神々」の考えを支え、更に日本仏教の「草木国土悉皆成仏」の考えをその根底から支えて、現在に生きる多くの日本人の精神の根底にある考え方あるいは心情を「日本的思想」として明確化・理論化した初めての日本人であるとの著者の指摘に賛同する。 そして、本居宣長を覚醒させた方法が、古典の「源氏物語」「古事記」の読み直しであったことに、日本の歴史と文化の奥深さを感じる。
●終章 幕末と明治;儒教の復権と国民道徳の形成
水戸藩士・会沢正志斎は、「新論」の中で儒教の「忠孝の道」によって尊王攘夷の必然性を理論的に説いた。 開国論者の佐久間象山は、西洋の実用的な知識と技術を学び、日本の伝統的価値観・道徳倫理を守る「東洋道徳・西洋芸術」を提唱し、両者の儒教の推奨と復権は「攘夷」と「開国」の違いを超えて幕末維新運動の思想的底流をなすことになった。 思想家・教育家の西村茂樹が「日本道徳論」で提唱する国民道徳は、朱子学の「修身斉家治国平天下」そのままであった。 教育勅語には、臣民が身につけるべき「十二の徳目」を提示し、近代文明国家の価値観を国民道徳の一部として導入し、朱子学が説く「修身斉家治国平天下」の世界が翻案されている。 朱子学の「八条目」は、儒教の本場の中国ではあくまでも読書人・官僚エリート階層対象であり、江戸時代の場合も武士階層の目指す世界で武士のイデオロギーであったが、教育勅語では日本国民全員の価値観と倫理観として国民全員の歩むべき「人の道」として求められる歴史的大変化が起きた。
▼コメント ; 日本の思想史を俯瞰すると、大きく2つの分水嶺がある。 最初は、古代神道から仏教導入した「古事記」「日本書紀」編纂の時期で、白村江敗戦後の中華帝国外圧に対抗する天皇中心の国威発揚施策であり、2回目は、江戸時代までの「脱中華」から明治維新の「儒教復興」時期で、天皇を現人神として絶対化し、神社神道と皇室神道を結びつけて古事記・日本書紀を唯一の神典とした「国家神道」を創設したが、いずれも外国圧力に対抗する為に日本の思想を大転換して富国強兵化している。 ところで、明治からの日本の近代化はむしろ、飛鳥時代から江戸時代までの「脱中華」の日本精神史とは逆行するような時代だった影響が、今でも日本の思想と精神に深い影を落としているのではないかとの著者の意見に賛同する。 これに対する小生の意見は、明治維新は、欧米国際金融資本バックアップにより、江戸時代に朱子学で教育された薩摩・長州藩下級武士と、朱子学支配の長州・田布施村出身朝鮮人による討幕クーデターであったことであり、明治政府は天皇を現人神とする「国家神道」を創設し、朱子学「八条目」に則った「教育勅語」と科挙制度のエリート層養成を重要施策としたので、江戸時代まで儒教思想を排斥してきた日本人に儒教が復権したのである。 明治政府は明治初に国家神道の象徴的施設で戦死霊の招魂祭制度として東京招魂社(靖国神社)を新設した。この中国道教儀式の死霊招魂祭は、平安時代以来、天皇が禁止の国禁であったが、日本古来の神社神道形式を採用して「神社」と名のらせたが、靖国「神社」は日本古来の神道ではない。 靖国神社はあくまで万世不易神霊厳在に招魂式を行う「招魂社」で「鎮魂社」ではない。 この招魂とは、彷徨える御霊を招き、この世での未練を断ち切らせ、自分の肉体が既にこの世には無いことを教え、死者の国(常世の国/黄泉の国)へ行かせる儀式だが、この招魂祭は中国陰陽道で、日本古来の神道鎮魂祭とは別ものである。 明治政府の国家神道思想と諸施策は、江戸時代に教育受けた人間が活躍した明治時代まではうまくいったが、その後は科挙制度エリート教育の弊害が露呈して昭和前期はうまくいかず、第二次世界大戦敗戦でその思想が瓦解した。 そして、敗戦後はGHQ贖罪史観が支配的で日本人のアイデンティティが問われているが、本居宣長が主張した自然崇拝・先祖崇拝の「神道」と「日本仏教」の日本的思想に回帰すべきと思われる。
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あくまでも「日本の思想史」です。
2018年3月16日に日本でレビュー済み
中華思想、儒教批判の急先鋒、石平さんの著書だが、本著は批判本ではない。 あくまでも、日本の思想史です。大胆な仮説もあるが、全般的にはアカデミックでやや難解。
石平さんの本は通勤中4日もあれば読破できるが、本著は読み応えがあり10日掛かった。
石平さんの本は通勤中4日もあれば読破できるが、本著は読み応えがあり10日掛かった。
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日本が中華の冊封下になかった一つの理由が分かる。
2018年3月10日に日本でレビュー済み
著者は、606年推古天皇から隋の煬帝に宛てた国書にある「日出づる処の天子、書を日没するところの天子に致す、恙なきや」は、日本が中華帝国に決して従属しないという決意の表明であり、日本が中華帝国とは対等の国家であることを世に示した日本の「独立宣言」そのものであったと主張する。...
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著者は、606年推古天皇から隋の煬帝に宛てた国書にある「日出づる処の天子、書を日没するところの天子に致す、恙なきや」は、日本が中華帝国に決して従属しないという決意の表明であり、日本が中華帝国とは対等の国家であることを世に示した日本の「独立宣言」そのものであったと主張する。
中華思想とは、自分たちの国が世界の中心、すなわち、中華であって、その周辺諸民族を「東夷・西戎・南蛮・北狄」と蔑み、化外の周辺民族を中華文明で教化するという思想である。中華思想の下では、天子は天命を授かった中華の皇帝だけであり、他の国には中華から王の称号が与えられる。
日本は天皇を有し、この中華思想に対抗して、中華に隷属しない独立国家であるとの意思を表明したのが、上記の国書であるという。なかなか、面白い見方であると思った。
朝鮮は、百済、新羅の時代から、1895年に日本が清国に対して日清戦争で勝利して、日本により自主独立国家としてもらう(下関条約第1条)まで、少なくとも1300年間に渡り、王朝の交代する中国の冊封下にあり、中華思想の影響にあった。
周辺国が、中華の冊封体制に組み込まれるなか、日本だけが中華の影響を受けずに、脱中華を貫徹し、独自の文化と政体を発展させた。その延長線上に、西洋文明を積極的に日本に取り入れた明治維新の成功があった。
上記の著者の見方にも一理あるが、著者はあとがきにおいて、昭和初期の日本は全体主義的国家体制を作り上げ、対外的には日本を頂点とした「大東亜秩序」の建設に向けて邁進したが、これはまるで「中華秩序」の日本版のようにさえ見えると記載している。
しかし、この見方は誤りである。「大東亜秩序」は、15世紀から始まる欧米白人によるアジア民族に対する過酷な植民地支配の歴史を考慮す
る必要がある。アジア各国が植民地から開放され、各民族国家の独立への日本の支援を考慮する必要がある。
1943年12月に日本において開催した大東亜会議において、アジア諸国が自主独立の国家同士として相互に尊重し相互に繁栄した国家を形成するとする大東亜宣言を見れば、「中華秩序」とは異なることは明らかである。
中華思想とは、自分たちの国が世界の中心、すなわち、中華であって、その周辺諸民族を「東夷・西戎・南蛮・北狄」と蔑み、化外の周辺民族を中華文明で教化するという思想である。中華思想の下では、天子は天命を授かった中華の皇帝だけであり、他の国には中華から王の称号が与えられる。
日本は天皇を有し、この中華思想に対抗して、中華に隷属しない独立国家であるとの意思を表明したのが、上記の国書であるという。なかなか、面白い見方であると思った。
朝鮮は、百済、新羅の時代から、1895年に日本が清国に対して日清戦争で勝利して、日本により自主独立国家としてもらう(下関条約第1条)まで、少なくとも1300年間に渡り、王朝の交代する中国の冊封下にあり、中華思想の影響にあった。
周辺国が、中華の冊封体制に組み込まれるなか、日本だけが中華の影響を受けずに、脱中華を貫徹し、独自の文化と政体を発展させた。その延長線上に、西洋文明を積極的に日本に取り入れた明治維新の成功があった。
上記の著者の見方にも一理あるが、著者はあとがきにおいて、昭和初期の日本は全体主義的国家体制を作り上げ、対外的には日本を頂点とした「大東亜秩序」の建設に向けて邁進したが、これはまるで「中華秩序」の日本版のようにさえ見えると記載している。
しかし、この見方は誤りである。「大東亜秩序」は、15世紀から始まる欧米白人によるアジア民族に対する過酷な植民地支配の歴史を考慮す
る必要がある。アジア各国が植民地から開放され、各民族国家の独立への日本の支援を考慮する必要がある。
1943年12月に日本において開催した大東亜会議において、アジア諸国が自主独立の国家同士として相互に尊重し相互に繁栄した国家を形成するとする大東亜宣言を見れば、「中華秩序」とは異なることは明らかである。
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