第一 「除斥期間」による権利の消失を論ずることじたいの誤り
一 はじめに
一審原告らは、当審の最初の書面である準備書面というのを五年ほど前に提出しました。その第二分冊で、除斥期間のことについて、原判決の誤りを指摘し、批判したところです。
ところが、その後の平成一〇年六月一二日に、除斥期間についての新らしい最高裁判所判決が出されまして、学説がこぞってこの新判例を支持するということが発生しました。そのような経過をふまえて、除斥期間の問題を改めて論じてみたいと思います。
二 平成一〇年最高裁判決の意義
1 平成一〇年判決の要旨、さわりの部分は、つぎのようになっております。
「民法七二四条後段の規定の趣旨を字義どおりに解すると、不法行為の被害者が不法行為の時から二〇年を経過する前六箇月内において心神喪失の常況にあるのに後見人を有しない場合には、二〇年が経過する前に不法行為による損害賠償請求権を行使することができないまま、請求権が消滅することになる。しかし、これだと、その心神喪失の常況が当該不法行為に起因する場合であっても、
- 被害者は、およそ権利行使が不可能であるのに、単に二〇年が経過したということだけで一切の権利行使が許されないこととなる反面、
- 心神喪失の原因を与えた加害者は、二〇年の経過によって損害賠償義務を免れるという結果となり、
著しく正義・公平の理念に反するといわざるを得ない。そうすると、少なくとも右のような場合にあっては、当該被害者を保護する必要があることは、時効の場合と同様であり、その限度で民法七二四条後段の効果を制限することは条理にもかなうというべきである。」ということで、「このような特段の事情があるときは、民法一五八条の法意に照らし、民法七二四条後段の効果は生じないものと解するのが相当である。」という内容になっています。
2 この判決内容について、学説はいずれもこれを支持していますが(少なくともこれを非難するものは見当たりません。ただし、さらに進んだ判断を期待する見地から、必らずしも十分ではないという趣旨とみられるものもありますが)、学説の代表的なものとして、松本克美教授はつぎのように評論されています(法律時報七〇卷一一号九一頁)。
「このような判例・学説状況のなかで、本判決多数意見が、下級審判決の一部に見られるような、除斥期間適用制限否定論を排斥し、むしろ適用制限肯定説にたち、条理を根拠に、除斥期間の適用制限を正面から認めたことは、重大な意義がある。すなわち、ここにおいて、除斥期間の適用制限の可否を論ずる時代は過ぎ去ったというべきである。今や、適用制限があり得ることを前提にして、いかなる場合に除斥期間の適用制限を認めるべきかという問題、すなわち、適用制限の要件論が課題である。その意味で本判決は時効・除斥期間論の第二ステージの幕開けを告げるものである。」と言っておられます。
3 この平成一〇年判決のもつもう一つの大きな意義は、河合伸一裁判官の意見・反対意見が付されていまして、そこに、不法行為法の基本的な法理を踏まえたうえでの、民法七二四条後段の規定にかんする、貴重な指摘が記述されていることであります。
前述の準備書面での一審原告らの、除斥期間にかんする主張の趣旨・内容は、そのほとんど全部にわたり河合裁判官の見解と一致するものであり、河合裁判官の意見・反対意見は、きわめて判りやすいとともに、含蓄に富み、だれが読んでも得心のいくものであります。よって、今回の書面では、その全文を引用しましたが、本日は、その要点を確認しておきたいと思います。
河合伸一裁判官は先ず、「多数意見は、民法七二四条後段の規定は除斥期間を定めたものであり、裁判所は当事者の主張がなくても期間の経過による権利の消滅を判断すべきであるから、除斥期間の主張が信義則違反又は権利濫用であるという主張はそれ自体失当であると判示している。私は、これに賛成することができない。」ということを明言されています。
そのうえで、五点に亘ってその理由を展開しておられますが、ここでは、一般論がのべられている第四点までについて、検討しておきたいと思います。
第一点は先ず、不法行為制度の根本理念についてでありまして、「不法行為制度の究極の目的は、損害の公平な分担を図ることにあり、公平がその制度の根本理念である」ことを指摘され、その根拠となる六つの最高裁判例を援用しておられます。
そして、「これを民法七二四条後段の規定についていうと、不法行為に基づく損害賠償請求権の権利者が右規定の定める期間内に権利を行使しなかったが、その権利の不行使について義務者の側に責むべき事由があり、当該不法行為の内容や結果、双方の社会的・経済的地位や能力、その他当該事案における諸般の事実関係を併せ考慮すると、右期間経過を理由に損害賠償請求権を消滅せしめることが前記公平の理念に反すると認めるべき特段の事情があると判断される場合には、なお同請求権の行使を許すべきである。」とされ、「このような特段の事情がある場合にまで、それを顧慮することなく、単に期間経過の一事をもって損害の分担の実現を遮断することは、その限りで、不法行為制度の究極の目的を放棄することになる」と指摘しておられます。
つぎに第二の理由として、
「多数意見は、本条後段の規定は除斥期間を定めたものであると解すべきことを根拠として、上告人らの主張を主張自体失当としているのであるが、右のように解すべき理由を自ら示さず、最高裁の平成元年判決を引用するのみであるので、ひるがえって平成元年判決を見ると、理由として、(1)本条がその前段及び後段のいずれにおいても時効を規定していると解することは、不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図する同条の規定の趣旨に沿わないこと、及び、(2)本条後段の規定は、一定の時の経過によって法律関係を確定させるため、請求権の存続期間を画一的に定めたものと解するのが相当であるという二点が示されているが、これらの理由は、いずれも、本条後段の規定をもって除斥期間を定めたものと断定する理由としては、十分でない」という見解をのべられ、その見解の理由の一つとして、権利者の期間徒過を理由に、その「徒過」について責むべき事由ある相手方を画一的に保護するというのは不当であり、不法行為法の究極の目的(=損害の公平な分担)に沿わないという点を挙げておられます。
以上のような思考を進めて、第三の理由を集約的にのべておられる部分に至りますが、「そもそも、ここでの問題の核心は、不法行為に基づく損害賠償請求権の権利者が本条後段の期間内にこれを行使しなかった場合に、(イ) 当該事案における具体的事情を審理判断し、その内容によっては例外的に右期間経過後の権利行使を許すこととするのか、それとも、(ロ) そのような審理判断をすることなく、常に期間経過の一事をもって画一的に権利行使を許さないこととするかである。そして右のいずれの立場を採るにしても、その理由が示されなければならない。しかるに、平成元年判決の判示するところは、除斥期間の概念を中間的に用いてはいるけれども、結局、(ロ)と解する(画一的に処理する)のが相当であるからそう解するというに尽きるのであって、問題の核心について十分な理由を示しているとはいえないと思われる。」とされ、けっきょく「平成元年判決は、少なくとも前述の特段の事情のある場合については、少なくともその限度で、変更されるべきものと考えるのである。」と結んでおられます。
そして最後に理由の四として、「前項で述べた(イ)(ロ)いずれの立場を採るかは、学説上、本条後段の規定による期間制限を時効と解するか、又は除斥期間と解するかの問題として、論じられており、かつては右規定をもって除斥期間を定めたものと解する学説が通説であるとされていたけれども、実はそれらの学説は、本件のような事案とそこに含まれる前記の問題を視野に入れて検討した上で提唱されたものではなかった、と。むしろ、平成元年判決以後、同判決が契機となって前記問題が鮮明に意識されるようになり、多くの学説が発表されたが、そのほとんどは右規定をもって消滅時効を定めたものと解している。」とし、河合裁判官としても、これら近時の時効説の説くところは概ね首肯できると考える、とされたうえで、「しかしながら、本件においては除斥期間説と時効説のいずれが正しいかを決しなければならないような必要はないし、相当でもない。」、「要は、前記特段の事情の存在が主張され、あるいはうかがわれるときには、期間経過の一事をもって直ちに権利者の権利行使を遮断するべきではなく、当該事案における諸事情を考究して具体的正義と公平にかなう解決を発見することに努めるべきなのであって、それについて民法一条の宣言する信義誠実ないし権利濫用禁止の法理に依拠するか、あるいは、前述の不法行為制度の目的ないし理念から出発するかは、結局、同じ山頂に達する道の相違として、いずれであってもよいと考えるのである。」という結論に到達しておられる訳であります。
4 河合伸一裁判官の意見・反対意見は、あくまでも少数意見でありますが、その存在および強い説得性とともに、多数意見じたいが「正義・公平の理念」や「条理」に言及して具体的妥当性を探るほかない場合のあることを肯認したことと相俟って、第一小法廷の平成元年判決の硬直した判例体制の一角が、大きく崩れ去ったことを物語っているというべきであります。
一審原告らは先の準備書面で、平成元年判決は早晩変更されるべきであることを指摘しましたが、この平成一〇年判決を契機として、さらに全面的かつ根本的な変更を余儀なくされているというべきであります。
三 本件につき除斥期間による権利の消失を論ずることじたいの誤り
●少なくとも政府公式見解の発表段階までは起算点を設定すべきでない
1 それではつぎに、事実審のほぼ最終段階にきておりますので、主として一九五〇年代以降に生起した社会事象である水俣病にかんして、今の時点で行政(国・県)の法的責任を追及することの意義と、本件につき、遠い過去の出来事として水俣病を封印しようとする「除斥期間」の問題、とりわけこれを一審原告らに適用することの非人間的で犯罪的な意義を、ここで改めて、別の角度から確認しておきたいと思います。また、かりに除斥期間説を採るとした場合に、「不法行為ノ時」の解釈、ならびに、条理・正義と公平、ないし信義誠実の原則にてらして、国が、水俣病をチッソの工場排水に因る公害病であると認めるに至った一九六八年(昭和四三年)九月二六日までは、少なくとも除斥期間の起算をしてはならないことを論じていきたいと思います。
2 国立水俣病総合研究センターの「水俣病に関する社会科学的研究会」報告書、これは、一九九九年一二月四日に発表されたものですが、その九四頁一~三行目に「水俣病発生当時は公害法ないし環境法は、整備されていなかった。そういう中で行政は何ができたかという問題をたて、過去の現実をそのまま正当化したのでは何の教訓も生まれない。」と正しく(十分ではありませんが)記述されています。
ところが、同じ報告書の一三頁「注釈」の部分では、「当時の国や県の対応の法的責任の有無・程度については、それぞれの立場によっても意見を異にするであろう。…結果がわかっている現在の目で当時の各主体の行動を批判することは容易であるが、…当時の状況に当事者として自分自身が置かれた場合を想定して、自分であればどう行動していたか、あるいはしていなかったかを想像し、自らが葛藤しながら本報告書を読み進めていただきたい。」という記載がある訳です。
この二つの記述ないし記載には、実質的に明らかな矛盾があります。後者は、報告書が行政の法的責任にふれなかったこと、換言すれば法的責任の問題から逃避したことを弁解する場所で記載されている訳ですが、その内容は、単なる弁解の域を超えて、国・県の法的責任を、論者の主観によって相対化しうるかのように言いなし、責任を国民の全てになすりつける、一億国民総懺悔の論をたて、しまいには「葛藤」をして自分なりの答を見つけるよう読者に押しつけるという、開き直りまでしているものであります。こんなことではそれこそ「何の教訓」も生まれません。
3 もともと司法上の判断は、多かれ少なかれ過去の(あるいは過去から現在に連なる)事象に対して下されます。その場合、事象の発生した(あるいは発生している)時点に身を置いて、各主体の事情を斟酌したうえ、その言動を評価するしかないことも当然であります。
しかし、判断ないし評価をするのは、あくまでも「現在の知見」と「現在の思索」に基づくのでありますから、当時、国民や被害者に隠蔽され、秘匿されていた事実が今や露見しているならば、その暴かれた真実に依拠して、評価が加えられるべきであります。
本件に即して例示しますと、①見舞金契約の直前(一九五九年一二月一九日)に設えられたサイクレーターが、有機水銀の除去に何の効果もなかった事実(にもかかわらわず国・県がこれによってチッソの排水浄化装置が完備したものとみなしてきた事実)、①ネコ四〇〇号の発症によりチッソが水俣病の原因を知った後にもこれを秘匿し、御用学者を動員して原因不明論を吹聴し、国、とくに通産省が、積極的にこれに手を貸してきた事実、③熊本県衛生研究所の松島義一技師の、苦節に満ちた毛髪水銀調査によって、不知火海沿岸住民が広範囲に有機水銀に汚染されている状況が明らかであったにかかわらず、国・県が調査に財政的支援をせず、自らは追跡調査をしなかったどころか、松島技師の貴重な調査資料を長年にわたって隠蔽してきた事実、等々であります。
これらの事実は、水俣病に係わる歴史的事実として今や著名でありますし、また、一審原告らが証拠によって丹念に証明してきたところでもあります。これらの新らしい重要な知見に依拠して、当時の各主体の言動は、厳しく批判され、追及されるべきであります。
4 しかし、以上のような検討だけでは、全く不十分であります。もっと基本的な、歴史の本質にかかわる視点が、決定的に重要です。「もはや戦後ではない」とか、神武景気・岩戸景気といい、池田勇人氏によって所得倍増・高度経済成長の政策が推進されていた時代。そうした時代に、中央から遙かな辺縁の地・水俣で、この重大な事件が発生し進行していました。「もう終わった」、「もう解決した」とされた水俣病の患者らは、ひっそりと、何の救済もなく家に閉じこもり、朽ち果てていきました。
こうして、水俣病の公式発見から一二年の歳月が流れ、一九六八年九月に至って、「すでに患者の発生は終息し、解決済み」の筈の水俣病について、漸く政府の公式見解が発表された訳であります。
政府の公式発表によって、水俣病に最終的な終止符を打つ目論見だったとみられますが、そうはなりませんでした。水俣病は、むしろそこから始まることになった訳です。「水俣病の前に、水俣病はなかった。」という形で始まった水俣病は、遅きにすぎたとはいえ、政府見解の発表を機に、まず水俣の現地で、川本輝夫らによる埋もれた水俣病患者の発掘を促し、新潟水俣病の患者らとの交流を経て、大量の認定申請へ、そして第一次水俣病訴訟へと全国的に、さらに世界的に広がり、坂本しのぶ・浜元二徳らが全世界の人類に向けて、公害の絶滅を訴えるまでに至りました(一九七二年六月、ストックホルム・人民広場にて)。
5 さて、除斥期間に関する原判決の誤った判断や、国水研「報告書」の先程の注釈の誤りは、いずれも、水俣病は過去のこと、今はすでに終了し、解決済みの事象であるという認識に発しています(報告書はげんに、一九九五年のいわゆる政治決着により水俣病問題は「解決した」という前提で作成されています。)。水俣病を、時間的にも空間的にも一定の過去の事象であり、もう終わった問題である(あるいはそのように思いたい。)という、そういう考えこそが、そもそもの間違いであります。
一九六〇年頃に水俣病は終わったとか、離水すれば水俣病の被害から脱却した(それゆえ除斥期間は離水時をベースに考える。)とかいうのは、水俣から離れても、水俣病の被害は患者に付いてくることを無視した、暴論にすぎません。国・県の作為、不作為による加害は、①本人申請主義を設定して、今日に至るもこれを維持していること、②加害者・原因物質の不明論の吹聴、③住民検診の懈怠、④被害実態の隠蔽、⑤患者発生終息説の流布、⑥救済方法の不教示、⑦患者組織の分断、⑧権威主義・専門家主義の振りかざし等々の形で、患者らを襲い続けてきましたし、九五年政治決着の宣伝とともに、今も襲い続けているのであります。
6 私ども一審原告らは、原審いらい、水俣病の加害(不法行為)は国・県・チッソによる不真正連帯の関係にあり、時間的にも空間的にも、作為・不作為の織り交ざった態様で、患者らに襲いかかっているものであって、それは、本件訴訟における応訴態度をも含んで、口頭弁論終結時まで継続している旨を強調してきました。したがって、「不法行為ノ時」は未だに継続しているのでありますから、本件にあって除斥期間を論ずることじたいが、根本的に間違っています。原判決は、患者が離水すれば不法行為は完全に終わったかのようにいっていますが、それは、水俣病の被害(換言すれば水俣病の加害)を、単なる身体傷害のみに矮小化するという独断に根ざした、根本的な誤りであります。
一審原告らは、①自分が水俣病であるのかどうか、②水俣病の発生源がどこの誰であるのかさえ知らされず、③原因物質や発病のメカニズムなど皆目わからず、④救済手段についても誰からも教示されないまま、うち捨てられてきました。少なくとも政府の公式見解が出るまでは、この状態で推移しています。
この間、水俣病は解決し、終わり、終息したものと宣伝されていました。水俣病の名乗り出をするには、村八分を覚悟しなければなりませんでした。これらは全て、国・県・チッソが、一体としてなせる業に基因しています。そうしておいて、「二〇年が経った」から権利はないといわれる。直接の加害者であるチッソまでが、そのように言い立てる。こんなことが、許されるものでしょうか。
7 以上によりますと、少なくとも一九六八年九月二六日の政府公式見解の発表に至るまでは、除斥期間の起算点を設定することは許されないというべきであります。このことは、信義則等の法理から直接に導かれる帰結であるとともに、信義則等を踏まえた「不法行為ノ時」の解釈・適用によっても同じく導かれる帰結であります。上記の日を経過した後においても、一審被告らの不法行為は前述のとおり継続していますが、きわめて不十分であるにせよ政府が正式に原因企業と原因物質および発病のメカニズムを明らかにしたことによって、水俣病の事件史が大きく前進したことも事実であります。そのような訳で、上記の期日を基準とすることは、本件における具体的妥当性をさぐる見地から、大方の賛同を得ることは間違いないものと確信しております。
四 この部分のまとめ
高度経済成長の時代に、わが国の国民は公害による重大な被害を繰り返し受けました。カネミ、スモン、四日市喘息を含む大気汚染、新幹線騒音、イタイイタイ病、そして公害の原点ともいわれる水俣病などであります。単なる「今日の知見」だけではなく、これらの重大事件をしっかりと踏まえた「今日の思索」に基づいて、人命を無視ないし軽視して、がむしゃらに突進した時代、その頂点にあって多くの人々を傷つけ殺害したチッソを含む企業と、これに積極的に加担した行政の法的責任を、厳しく認めるのに、時は熟したものと考えます。
以上