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西洋史における聖職者の性欲処理について : とらっしゅのーと

とらっしゅのーと

西洋史における聖職者の性欲処理について

 フランス国王ルイ十五世の愛人ポンパドゥール夫人はパイズリ(乳房の谷間で一物を刺激し性的快感を与える方法)の元祖である、という伝説があります。その真偽について「図説乳房全書」という本で調べてみたところ、真偽は明らかでなくそもそもそんなプレイが出来るほどの胸の大きさを彼女が持っていたかどうかも諸説分かれるんだとか。まあ、ルイ十五世は巨乳好きでその治世では大きな胸が重んじられたようですから彼の寵妃となると巨乳と考えるのが自然な気はしますし、彼女の乳房は「宮廷のもっとも貴重な華」と称えられたという話もあったりするので巨乳だったと考えてよいでしょう。
 というわけで望むような調査結果は得られなかったものの、この「図説乳房全書」で調べ物をしていると面白い話がまとまって出てきましたので折角だからそれについてここで話したいと思います。

 さて、我が国の仏僧が嘗て不犯を旨としていたものの、稚児など男色で性欲を処理していたり実際には女犯をしていたりといった話は広く知られていると思います。洋の東西を問わず、性と切り離された聖職者にとって性欲処理というのは切実な問題であるようです。今回は、西洋キリスト教世界における修道士・修道女について扱います。

 まずは男性聖職者から。彼らが表は非婚で清潔ぶっていながらも裏では女性と通じているのは中世後半から近世初期には公然の秘密となっていたようで、A.メレー「自由思想者時代の生活」によれば十四世紀、シャルル六世時代のフランスでは地方に赴いた聖職者は内縁の妻を同伴していなければ担当小教区に受け入れられる事はなかったそうです。決まった相手がいないと現地民の妻が寝取られる、と心配されていたわけですね。また、十五世紀のルイ十一世時代には王室説教師であるオリヴィエ・マイヤールが高位聖職者が娼家に入り浸ったり酷い場合は自ら売春宿経営に手を染めていると告発しています。十六世紀のアンリ・エティエンヌも教皇庁に公然と出入りする遊び女について「主要な信者たちと知り合い、夜も昼もローマの高位聖職者とこの上なく親しく交際していた」と証言しており、高位聖職者が売春と深く繋がっている事が分かります。
 更に、高位聖職者には近親を相手にして性的快感を貪っている例も比較的良く知られています。十六世紀のポンペ・コロコ枢機卿は従姉妹のヴィクトリア・コロコと不倫関係にあり、十八世紀にも姉妹であるマルサン嬢と通じたタンサン枢機卿や従姉妹のサン・クロアと情熱的に愛し合ったベルニス枢機卿、姪のロト嬢に迷ったカレボンヌ大司教のような例があります。更に聖職者の頂点である教皇の中にもそうした例はあり、シクストゥス四世は自分の姉妹三人の処女を奪い姉に二人の娘を産ませた挙句にその娘にも手を出したとされています。他にパウルス三世が姉妹と通じ、ヨハネス十一世・ヨハネス十二世が母親と近親相姦関係にあったという話も存在するようです。
 加えて、信者から密室で罪の告白を受けそれを神の名の下に赦す「告解所」も聖職者が性的欲望を満たすのに格好な場所でした。十八世紀のギョーム・ペバンは聴罪司祭が罪を告白する信仰心厚い女性に対し「顔から乳房までを、さらに名を言うのもはばかられる別のあちこちを触る」と告発していますし、二十世紀後半にもこうした悪習はあったようで1960年代にイタリアで出版された「告解所のセックス」は「大多数の対話の中で、聖職者は告解者の性行為について事細かに聞き出そうとしていた。聴罪司祭の質問に、まさしく乳房へのこだわりが感じられることが幾度もあった」と証言しています。
 また、十七世紀から十八世紀のフランスでは、アルコヴィストと呼ばれる世俗的生活を送る聖職者が数多く存在しました。彼等はしばしば夫のある貴婦人と不倫関係に陥り浮名を流した事で知られています。ヴォクスソン司祭シャルル・アンリ・ド・フュゼはその体験を基に「ズルニスとゼルマイド」「従姉妹の乳房」といった文学作品を残していますし、十七世紀のモンフランセル修道院の司祭シャルル・コタンは乳房を称える詩を残しています。以前の記事でも出しましたがもう一度引用すると、「隣り合う二つは合わさることなく過ごす 誰からも愛されるこの二つ どちらも誇りと生き生きとした 魅力に満ちてふくらみ 獲得した名誉をともに分かち合う 生まれたときにはともに十五歳だったこの二つ 二つとも同じ型で成形されたようだ」というものだとか。他に、司教座聖堂参事会員フランソワ・ド・モークロワも多くの貴婦人の乳房を称える詩を作っていたそうです。上述の聴罪司祭といい、男性聖職者は乳大好きだったようで。

 次に、女性聖職者の話。修道女は男子禁制の閉鎖的な空間で神に仕える生活を送っていたわけですが、早くも六世紀には「浴場で男たちとふざけ合っている」と非難されるなど男と通じ合う者が少なからず存在しました。十四世紀にも修道院が「淫らさと快楽の隠れ家」と言われたり、十五世紀初頭には「売春宿」呼ばわりされており修道女にふしだらな素行をするものがいる事が常に問題視されていたようです。
 そうした中、1588年にアンリ四世は修道院長クロード・ド・ボーヴィリエを口説き落としました。彼女は、「修道院で最も美しくて大きな乳房の持ち主」として知られていたそうです。アンリ四世は巨乳好き・尼さん属性だったわけですね。実際、彼に限らず一般に修道女を対象として性的興奮する性癖の人物も少なからず存在したようで、軍事的征服を受けた場合に現地の修道女はしばしば陵辱される対象となったわけですが、清潔・清楚な服装が逆に征服者にとっては欲情をそそるものであったとか。
 そんな状況でしたから、修道女たちも欲情をもてあました際には相手を見つけるのには苦労しませんでした。イッポリト・テーヌは「若く美しい修道女で、自分に善くしてくれる男を持たない者はない。」「彼女たちはほとんどが強制的に修道院に入れられただけで、女として生きることも望んでいる。あらわな胸に花を飾った彼女たちは魅力的だ。」と述べていますし、ディジョン議会議長を務め人格者として知られたブロスもまた「本当のところ、もし私がここに長い間滞在しなくてはならないとしたら、私もまた修道女たちに気を引かれるだろう。」「私が見た修道女たちはみなきわめて美しい。」「衣類は簡素で、ほとんどいつも白。女優たちを彩るようなローマ風衣装に勝るとも劣らないほど肩も胸元もむき出しになっている。」と述懐しています。…実によく観察していますね。
 このように修道女たちが多くの男たちを魅了し密通していた事は公然の秘密であり、十九世紀にはパリの売春宿が隠語で「修道院」と呼ばれたのもその現われだったといえます。無論、修道女が密通する相手で一番多かったのは男性修道士だったようですが。

 このように、キリスト教世界においてもご多分に漏れず聖職者たちには性的な面において建前と実態の著しい乖離が認められていたのです。この本からは日本の僧侶のような稚児愛好趣味について知る事は出来ませんでしたが、聖職者の世界が世間一般より女性に飢えた環境である事を考慮するとあったとしても不思議はありません。例えば教皇アレクサンドル六世の小姓ペロットが美少年として名高く、教皇の娘ルクレティアと通じて妊娠させその兄チェーザレ・ボルジアの怒りをかって刺殺された話があります。ここからは上級聖職者が美少年を小姓として身近に置いていた事が知られ、この世界に男色が存在した可能性を考慮してもよさそうですね。やはり、聖職者の性欲処理においては東西で大きな違いはないと考えるのが妥当なのだと思います。

 しかし、「乳房全書」ほぼ一冊だけでこれだけ調べられるのですね。この原書房「全書」シリーズ、ひょっとするとお勧めかもしれません。

【参考文献】
図説乳房全書 マルタン・モネスティエ著 大塚宏子訳 原書房
敗者の条件 会田雄次 中公文庫
かなりHな博学知識 博学こだわり倶楽部 河出書房新社

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歴史研究会・とらっしゅばすけっと関連発表:
キリスト教や聖職者・教会関連で、
「西洋キリスト教史1」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/970516.html)
「西洋キリスト教史2」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/971017.html)
「西洋キリスト教史3」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1997/971212.html)
「中世の教会と異端」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/021018a.html)
「トマス・アクイナス」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1999/991126.html)
「ビザンツ宗教外史 コプト教会史」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2004/041015.html)
「分裂する東西キリスト教会」
(http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/s2004/041120d.html)

関連サイト:
「らばQ」(http://labaq.com/)より
「たぶん…説明しても信じてくれないだろうから…見て欲しい」
(http://labaq.com/archives/51025670.html)
どうやら、西洋聖職者の乳好きは伝統のようです。