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労働法の変化が企業と労働組合に与えた影響
Page 1
キーワード:労働法,労使関係,労働組合,組合組織率,ニュージーランド
はじめに
企業における人事労務の実務では労働法制の改正・変化に対応すべく,それまでの制度や運用を
変えることは当然ともいえる。しかしながら,諸制度や運用にはそれなりの背景があり,またそれ
らが組織風土を形成していると,法律改正による制度や運用の変更には大きな困難が生じることも
少なくない。
一例が雇用機会均等法制定(正確には勤労婦人福祉法の改正であるが,実質的に新法であるので,
このように表現しておく)に対する企業の対応である。1985年制定,1986年施行のこの法律はそれ
までの男性社会と言える日本企業に対応の転換を迫るものであった。努力義務規定とはいえ,募集・
採用・配置・昇進といった雇用管理全体において女性に男性と同等の機会を与えるよう努めねばな
らない,としたものだからである。
それまでの日本企業では男性(特に大卒男性)は幹部候補社員,女性は大卒であっても補助職と
して位置づけられていた。その理由として女性は結婚したら退職するものであり,その「結婚適齢
期」は24歳から25歳である。従って22∼23歳で卒業・就職する大卒の女性は2∼3年しか勤務期間
がなく,採用する必要がない,というものであった。これは労働経済学でいう統計的差別理論(1)
基づくものといえ,仮に多数の者が結婚退職するとしても,中には意欲と能力ある女性がおり,そ
ういった女性の勤続意識を削ぐものとの批判がなされていた。
この前提に基づく人事制度においては当然ながら女性の管理職昇進や管理職候補者としての教育
訓練はなされず,また長期勤続も予定されていなかった。そして組織風土としても結婚退職制度を
無効とした住友セメント事件東京地裁判決はすでに下されていたが,実質的には慣行として強く結
*専修大学経営学部教授
Business Review of the Senshu University
No. 103, 25-37, 2016
労働法の変化が企業と労働組合に与えた影響
ニュージーランドの事例を参考にして―
廣石忠司*
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婚退職を迫ることは広く行われていたであろう(2)
このような風土の中では,雇用機会均等法が制定されたために,直ちにそれまでの人事制度・運
用を変えることには無理があるとして,大手企業では弥縫策をとった。いわゆるコース別雇用管理
がそれである。
コース別雇用管理について簡単に述べると,総合職(=幹部候補)と一般職(=補助職)とに社
員の「コース」を設定し,総合職は転勤あり,企画判断業務に従事,昇進限度は定めず,賃金は相
対的に高い,とし,一般職は転勤なし,単純定型業務に従事,管理職に任用することは予定されて
おらず,賃金は相対的に安い,とするものであった。企業の中にはこの中間的なコースを設定する
ところも多くみられた。
つまり従来の男性に対する雇用管理を「総合職」と,従来の女性に対する雇用管理を「一般職」
と名をかえただけの制度を設けたのである。現実に筆者が新聞報道をもとに調査したところ,1991
年新規大学卒採用者のうち総合職の96%は男性であり,女性は4%にすぎなかった(3)。もっとも志
願者に対する入社者の割合をみなければ断定的なことはいえないが,女性の幹部候補者は極めて少
なかったことは確かであろう。
このように法律は完全には企業を動かすには至らなかったのである。年月がたち,雇用機会均等
法施行から30年を経た今日でも課長以上の管理職に占める女性の割合はいまだ10%に達していない。
平成25年度男女共同参画白書では「総務省『労働力調査(基本集計)』(平成24年平均)によると,
管理的職業従事者(公務及び学校教育を除く)に占める女性の割合は,平成24年は11.6%で,依然
として低い水準にある。厚生労働省『賃金構造基本統計調査』(平成24年)で女性管理職を役職別
に見ると,係長相当職の割合が最も高く,平成24年は14.4%となっている。上位の役職では女性の
割合が更に低く,課長相当職は7.9%,部長相当職では4.9%であり,いずれも長期的には上昇傾向
にはあるものの低い水準にとどまっている」とまとめている。
たしかに雇用機会均等法にセクシャル・ハラスメント防止義務条項が入ったことにより,「ハラ
スメント」という言葉が人口に膾炙し,ハラスメントが不当な行為であることは広く認識されるよ
うに至ったと思われる。ただし,かかる成果はみられたものの,制度・風土の根幹がゆらぐことは
なかったのではなかろうか。変化が見られないため,雇用機会均等法は何回も大改正を行い,次第
に企業への締め付けが厳しいものとなっていったととらえることができる。
このような問題意識から法律,特に労働法と人事労務の実務との間には相互作用が存在している,
という仮説を筆者は立てている(4)
この点は日本ならではの事象なのだろうか。外国においてはどのような状況であるのかを調査し,
その知見をもとに日本の事象を検討することは有益な示唆を得ることができるのではないか。この
観点から比較対象の国をニュージーランドとし,日本と対比させ考察をおこなうことが本稿の目的
である。ニュージーランドを選択した理由は次項で述べる。
1.ニュージーランドの特殊性
ニュージーランド(以下 NZ と略す)は後述する通り,約100年にわたる安定した労使関係法の
もとで労使関係が展開されていた。ところが1980年代後半の経済危機に際し,大胆な経済改革が行
われ,その一環として1991年に従来と180度異なる労使関係法が制定された。そして10年ほど経過
廣石忠司
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したのち議会の与野党逆転が生じ,2000年に新政府はその労使関係法を廃止。新たに労使関係法制
を制定した。
このような法制度の急激な変化は実務にどのような影響をもたらしたのか,あるいはもたらさな
かったのか,一つの国家的実験ともいえる改革を行ったのが NZ であった。日本と NZ を対比させ
る意味はここにある。他にも労使関係政策の転換を行った国としてはイギリスがあるが,サッチャ
ー政権の下であり,かなり過去のことになってしまい,またその後の「揺り戻し」も NZ ほど明確
ではない(5)。以上が,一つの法律が明確に実務に影響を与え,その廃止がさらに実務に影響を与え
るという法律と人事労務の実務との相互作用を論じるには NZ の例が最適と考えた理由である。
2.NZ 労使関係法制史概観(6)
(1)1894年以前の NZ 労働法
まず大前提として NZ はブリティッシュコモンウェルスの一国であり,英米法体系のコモンロー
やエクィティが法制度の基本となっていたことをおさえておかねばならない。すなわち判例法国家
であり,制定法は例外的だったのである。そのため現在においても日本における「労働基準法」の
ような労働条件に関する一般的な法制は存在せず,休日法(Holiday Act)のような個別法,ある
いは個別の労働契約で労働条件が決められている。
そうした中,1890年に港湾労働争議が勃発した。56日間にわたるこの争議は市民に厭戦気分を与
えた。NZ は島国であり,港湾作業がストップすると自国で生産できない物資は入手できなくなり,
社会に多大な影響を与える。しかもこの争議はオーストラリアの労組に連帯して行われたものであ
り,NZ 国内で解決することができなかった。つまり現在の日本法では違法とされる,いわゆる同
情スト,支援ストに該当するものであった。
本港湾争議は労働争議一般に対して,いかなる解決方法が適切かを時の政府に突きつけるものと
なった。またこの争議は社会全体に労働争議に対するマイナスイメージを与えてしまった。このよ
うな流れの中で労働争議を適切に解決する手段が模索された。労働争議の解決は新しい分野であり,
当時の裁判所なり法システムなりでは解決できないものだったからである(7)。その結果1894年労働
調整仲裁法(Industrial Conciliation and Arbitration Act1894,以下 ICA と略す)が制定されること
となった。
(2) ICA のポイント
この法律のポイントは以下のようなものであった。
! 労使交渉がこじれた場合でも争議行為に至らないよう,第三者機関である仲裁裁判所の裁定(以
下原文に従い,Award と表す)に労使が従うこととされた。仲裁裁判所の構成メンバーは裁判官
プラス労使交渉経験者(実務家)。
" 仲裁裁判所には労使の一方からでも申し立てを行うことができる。
# 1925年の改正で Award では日本でいう労働協約の一般的拘束力をもち,当該労組が関係して
いる地域,職種(NZ では職能別組合が通常)に適用されることとされた。つまりある企業の特定
の職種において時給3%の引き上げが Award により認められれば,その企業が存在する地域にお
けるその職種の労働者は全員時給が3%引き上げられることになる。
労働法の変化が企業と労働組合に与えた影響
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! Award の中に労組強制加入条項を入れることもできる。そのため多くの労組が Award により
ユニオンショップと同様の状況になっていった。このような Award の適用がある地域・職種が広
がり,実質的には国家的ユニオンショップといえるような状況が現出した。
" 発せられた Award に関連する問題での争議行為の禁止。その後の改正ですべての争議行為が
禁止された。
(3)1973年からの経済的変動と労働問題を取り巻く環境の変化
ここで NZ の経済的環境に触れておこう。NZ の貿易はもともと畜産,特に羊毛の原毛をイギリ
スに輸出することで成り立っていた。イギリスでそれを加工し,ウール製品として販売していたの
である。オタワ協定によりコモンウェルスには特恵関税制度を設けていたこともあり,その他の物
品に関する貿易も対イギリスの比率が大きかった。
ところが1973年,イギリスの EEC(当時)加入によりイギリスが特恵関税を NZ に与えていた
メリットがなくなり,NZ 経済は市場競争にさらされることになる。畜産業以外に国際的競争力が
ある産業に乏しい NZ の経済状況は徐々に悪化していくが,上記 ICA は改正を続けつつも存続し
ていった。
こうした中で業績不振の業界においては賃金交渉においてゼロ Award が言い渡されることも
あった。つまり賃上げのゼロ回答である。国際水準の人件費コストに対応するための措置とはいえ,
これにより仲裁裁判所への強い不満がもたらされることにもなった。そして1982年には賃金凍結令
が発布されるに至った(2年後廃止)。
一方で高福祉路線を維持していた NZ 政府は財政危機に陥った。様々な社会保障制度は税金から
拠出され,一方で税率を上げるなどの措置には限界があったからである。ここに至ってデビット・
ロンギ率いる労働党が政権を握り,財務大臣となったロジャー・ダグラスは財政改革に乗り出した。
徹底した公共部門の民営化,消費税の導入をはじめとする「ロジャーノミクス」と後に言われる一
連の経済政策がそれである(8)。その一環として ICA を廃止し,1987年労働関係法(Labour Relations
Act)が制定され,Award は労働組合と使用者との団交によって排除されることもできるようになっ
た。ただし実態としては労働組合を重視する Award 制度が引き続き維持されていたといえる。
ところが,労働党政権とはいえ,国家財政の再建は喫緊の課題であったため,このロジャーノミ
クスでは公共部門の民営化により失業率が6%程度から13%へと倍増するなど経済運営は混迷を深
めた。そして国家財政の赤字は逆に増加していった。その結果,1990年総選挙で政権を国民党に譲
ることになった。
(4) 国民党による雇用契約法(ECA)の制定
国民党政権はロジャーノミクスを否定するのではなく,行財政改革を推進する立場に立った。そ
れにより改革路線は一層進み,労働党政府が聖域として手を付けなかった労働法制の改革に着手し
た。その第一歩としてただちに ICA を廃止。従って100年近く存続してきた Award 制度も廃止され
た。それに代わり条文上も“Trade Union”という言葉を排除した Employment Contract Act1991
(雇用契約法,以下 ECA と略す)を制定したのである。この法律の内容については項を改めて吟味
する。
廣石忠司
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3.ECA の内容
ECA はその名の通り,基本的には労働契約(つまり労働条件)は個人と使用者が締結するもの
であり,労働組合はその「代理人」(agent)となることができる,という位置づけとしたものであ
る。Award が労組を前提としていたことと対比すると180度転換したものといえよう。なお「代理
人」になることができるのは労組だけでないため,個別組合員のみならず非組合員まで含めた労働
者の労働条件決定に関与する労組の特権はなくなったといえる。
また複数の使用者を相手とするストライキは禁止され,労働組合は一つの“Corporation”と位
置付けられた。一言でいえば100年来の労組の特権を剥奪し,「市民法から社会法へ」という流れの
逆に向かい,労働契約を個別に締結するという古典的な市民法ルールを復活させたものであった。
4.ECA の影響と ERA の制定
労組の特権がなくなった結果,労組の組織率は1989年には45%だったものが急落,1999年には18%
となった。1990年代の保守党政権時代も含めると労働党は三つ(新労働党,新党 ACT―Associations
of Consumers and Taxpayers―,アライアンス党)に分裂して,政治力も弱くなり,労働党にとり
雌伏の10年となった。
2000年,労働党は緑の党と連立政権を構築,ECA を廃止し,雇用関係法(Employment Relations
Act2000)を制定した。ここではスト権の復活,“Trade Union”の文言の復活がなされたが,Award
の復活はなされなかった。国家で統一した労働条件を決定するのは硬直化に過ぎる,という意見も
あったようだ。そして何より労働党政権は法案成立のため野党国民党との協議を行ったため,国民
党の意見もかなり取り入れたようである。結果として労組の観点からすれば大変中途半端な法律と
なった。
それではこの ERA で労働組合は復活したか。答えは No であった。組合組織率は18%から20%
へと微増したものの,新規結成はなかなか困難であった。そもそも労組が存在する組織は公的部門
か,大企業に限られ,多くの労働者は労働組合がない中小・零細企業に属している。
一方で労働条件が低い状況もあらわれている。Zero Hour Contract がその好例である。労働契約
は締結し,時給も決められているものの,「使用者の必要があれば呼び出しをかけ,労働者はその
間待機する」という契約である(9)。おそらく失業者には入らないのだろうが,ディーセントワーク
の議論からすると問題が多い。また,大都会はわからないが,良好な働き先がみつからないという
意見も聞かれた。高学歴でもやむを得ずタクシーの運転手やウエイトレス・ウエイターとして働か
ざるを得ない状況である(10)
5.ECA,ERA に対する労使の姿勢
それでは企業実務ではこれらの法律がいかなる影響を及ぼしたのか,また現在及ぼしているのか,
筆者は当事者にインタビューを試みた。以下はその内容の概略である。
労働法の変化が企業と労働組合に与えた影響
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(1) 企業経営者の立場からの観点
企業としては日系企業3社を選定した。匿名を条件にしたので,以下 A 社,B 社,C 社と略す。
日系企業を選択した理由はインタビューの際の言葉の問題が大きいが,日系企業においても NZ で
企業活動を行っている以上,当然 NZ 法の適用を受けているため,その対応については NZ の現地
企業と異なるところがないと考えたからである。なおいずれもインタビュー対象は全員日本本社か
ら出向している日本人 CEO である。
A 社:従業員40名 日本本社の消費者向け化学製品を小売業に卸している販売会社である。
日本からの出向者は Managing Director のみであるが,現地採用の日本人女性がいる。労働組合
はない。インタビュイー(interviewee)は Managing Director である。
・労働法制への対応
ECA からのいきさつは一応承知している。そのため労働契約は個人的に契約を締結する形をとっ
ている。最初はとまどったが,今は慣れた。
・労働組合結成の働きかけや動き
承知していない。人事担当者(NZ 人)も特に把握していないようである。もっとも10年ほど前
には工場を有していたので,その工場を閉鎖する際には若干トラブルがあったように聞いている。
もちろん労組が結成されたら対応するつもりである。
・無組合企業における労使コミュニケーション
当社は大企業でもないので,個人別に対応することで問題なく行っている。MBO を行っている
ので,管理職と部下との間では年2回半ば強制的にコミュニケーションをとらせていることになる。
・ERA 改正の要望
特に不都合は感じていない。
・他社の動向など
労働組合活動は盛んではないと聞いている。労働争議で困ったという情報は得ていない。
・人事労務の問題点
転職が多いことは NZ 独特の問題ではないが,やはり頭を痛めている。もっとも,退職した者が
いても,すぐに補充できる。名門のオークランド大学出身者も新卒で採用できるが,やはり辞める
者が多い。日本の公共職業安定所のようなシステムはないので,HP への掲載やエージェントを活
用している。
B 社:従業員 136名(うちホワイトカラーが20名)160年以上続いた食品メーカーを日本資本が
買収した。本社はオークランド。マンガヌイとクライストチャーチに工場をもつ。日本からの出向
者も数名いるが,本社スタッフである。経営会議のメンバーは CEO を除いて NZ 人である。労働
組合として工場にそれぞれ別の組合が二つ存在している。
インタビュイーは CEO である。
・異なる労働組合が存在する理由
工場の一つは港の近くにあり,鉄道・海上・輸送労組(Rail, Maritime and Transportation Union)
が以前から存在している。この工場では80%から90%が組織化されている。しかしこの労組は使用
者の姿勢をよく理解しており,労使協調路線を維持している。
廣石忠司
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もう一つの工場では日本でいう合同労組であるファーストユニオンが組織されている。この労組
は2012年に設立されたので新しい組合である。この年に日本資本が当社を買収するという話がでた
ので労働者間に混乱がみられた。それに乗じて労組が結成されたものである。しかしこの工場では
労組員は当初10名であり,今日では6名に減少した。減少した理由としては彼らが他の労働者から
信頼されていないことと,会社として組合員と非組合員に差をつけずに労働条件を設定しているか
らではないかと推測している。設立当初は組合オルグが「ピケッティングを行う」といった脅しを
かけてきたので弁護士に相談したこともあるが,最近では組合自体が情熱を失ったような感がある。
会社側から労使協議会の提案をしても回答がないくらいである。
労働条件について土曜出勤の賃金や休憩時間には工場間に若干の差は存在する。これは日本本社
が当社を買収する前から存在していた差異なので仕方がない面もある。ただし現在では基本給には
差がないし,工場間に格差をつけないように気をつかっている。
・労使コミュニケーション
会社として年2回全従業員に対し会社の業績や姿勢についての説明会を開催している。労組も同
じように説明をしているが,結果として同じ内容を話しているので,会社に対する信頼感を醸成す
ることにつながっている。
・労働法制への対応
歴史が古い会社だけに労働組合が昔から存在し,ECA からのいきさつは一応承知しているが,
労組が衰退したというようなことはないのではないか。労働契約は個人的に契約を締結する形を
とっている。労働争議がおこると困るので,労働関係に詳しい弁護士を顧問としている。ただ,2014
年に買収したばかりなのでまだ慣れないことも多い。
・ERA 改正の要望
特に不都合は感じていない。
・人事労務の問題点
全社的な転職率は3%程度と他社に比べると低いと思う。当社の以前の経営者が大規模な整理解
雇をしたことを多くの従業員が知っており,現在の状況に満足している面が大きいのではないか。
ホワイトカラーも20名しかいないので大きな問題にはなっていないが,かれらの動機付けには困難
な面もある。たとえば,オークランド大学の夜間コースに通学して MBA を取得した Manager が
いるが,彼の上には Director がおり,昇進させるポストがない。今は多少の手当を支給すること
で対応しているが,それで満足しているかどうかはわからない。なお経営会議のメンバーでもある
その Director と面談した際,次のキャリアプランを聞くと,私(インタビュイー)のポストであ
る「CEO」と答えた。返事につまったが,こればかりは約束できない。日本本社の意向もあり,
また私の人事権は日本本社にあるからである。現地スタッフをトップに据えることは必要だと思っ
ているが,私の一存ではどうすることもできない。
これらのような場合,昇進できないと考えたら彼等は他企業に転じるであろう。もっとも,リテ
ンションはどこの国,どこの企業でも同じ問題を抱えているかもしれない。
C 社:従業員 840名(ホワイトカラーは110名) 日本からの進出企業としては最大規模。20年前
に設立し現在では4工場を有し,木材の製材加工を行っている。CEO は日本本社からの出向。労
働組合は3組合が存在している。
労働法の変化が企業と労働組合に与えた影響
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インタビュイーは CEO である。
・3労組が併存している理由
当社では歴史的経緯から3労組が併存している。仮に A,B,C と名付ける。まず A 労組である。
ある工場を買収した際,従業員も引き継いだが,そこに A 労組が存在していた。もちろん Award
も存在していたが,新入社員は組合に加入することを義務付け,労働条件としてこの Award を会
社は遵守すること,労働条件変更にあたって労使協議事項を挿入したことで労組と合意した。個別
労働契約を行うと労組のパワーが落ちるという話もあるが,労組を尊重するという,他社とは異なっ
た対応をしたことになるだろう。これが当社の労使関係の原型となった。
それ以外の工場は当社が開設したものであるが,労組結成のきっかけなどは承知していない。B,
C 労組は同じ工場に存在し,組合員数はほぼ同数である。職能別組合ではない。労組間での労働条
件は同一であり,労働者はどちらの労組を選択してもよいことになっている。もっとも職務給制度
をとっており,工場間では職務構成は異なるので,平均賃金などは異なっている。不満がでないよ
うに最大労組の A 労組とまず団体交渉を行うことにしている。その結果に B,C 労組は従うのが通
例である。
たしかに A 労組との交渉はタフであり,かつては交渉に3∼4か月かかったこともある。しか
し現在では労組を尊重する会社の姿勢が理解されたのか,今年度は会社の業績も芳しくなかったの
で賃金引き下げを了解してくれた。もっとも引き下げ対象となった組合員には事前に警告を数回し
ており,賃金引き下げを労組に事前に相談していたという背景もある。
・労働法制への対応
日本にいたときには労務や法律問題に携わっていなかったが,現在は NZ の法律事務所を顧問と
し,様々な事案にあたり相談しながら対処している。日本とは法制度が違うので,現地の弁護士で
ないと意味がない。
・ERA への対応
特に不都合は感じていない。
・人事労務の問題点
日本と組織風土が違うというのが一番とまどう点であろう。転職が多いことはもちろんだが,危
険・きたないと思われる仕事には NZ 人は就こうとしない。結局間伐,枝打ちなど森林管理業務は
アイランダー(ポリネシア人,特にトンガ,サモアなどからの移住民)が担当することになる。そ
の意味では採用は難しくなっている面もある。
(2) 使用者団体の見解
使用者団体として ILO に使用者代表を送っている BusinessNZ にインタビューを行った。インタ
ビュイーは Paul Mackay 氏(Manager, Employment Relations Policy)である。
・ECA 以前の人事部門の仕事
労働条件をすべて労働仲裁裁判所が発した Award が決めているということであるから,人事部
門は採用から退職までのいわゆる雇用管理の分野だけを考えればよかったことになる。ある意味業
務は狭く限定されていた。その当時 Carter Holt Harvey 社の人事スタッフをしていたが,この会社
には職能別に13労組があった。つまり13の Award が存在したので13通りの労働条件が存在した。
その意味では若干面倒なこともあった。
廣石忠司
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・ECA 下の人事労務管理
それまで労働条件の決定について労使とも Award に頼っていたわけだから,個別労働契約で労
働条件を決定することになったので混乱が起きた。労働者と直接接し,労働条件を決定する責任を
有する管理職は面接に慣れていなかったのだ。人事スタッフは管理職たちを支援する業務にあたり,
面接への対応サポートや労働条件の統一性を図っていった。
こうした状況に対して労働組合からの抵抗は正面からはなかった。争議行為が急減したことがそ
の証左である。なぜなら規制緩和の動きは労働党政権が始めたものだからだ。国民党政権は労働党
が聖域としていた労働分野に規制緩和をおこなったものといえる。
ただ,国民が皆 ECA を支持していたかはわからない。ECA や今日の ERA も国民はそもそも知
らないからだ。労働法自体に国民は無関心だ。選挙にあたっても争点にならない。
・労働組合の存在意義
このように労働組合のパワーが小さくなったとしても,その存在意義は変わらない。労働者にとっ
て自分たちの意思を伝えるツールであるからだ。ただしメリットが組合費を下回ると労働者に思わ
れたら,それは組織率の低下につながるだろう。
・ERA の意義
ERA は労働党政権が制定したものだが,ECA によって衰退化した労働組合のパワーを取り戻す
という意図が労働党政権にはあっただろう。しかし,その意図は実現しなかった。その理由は国民
の労働組合に対する無関心を打破するだけの政治的パワーが政権になかったからだ。労働党は1990
年代に分裂して議席を大きく失い,2000年の選挙でも連立政権を組まねば政権を取れなかった。そ
のため法案成立のためには国民党と協議し,双方が妥協する必要があったのだ。
・ERA に対する評価
ERA は労働党と国民党との協議の産物だったので,われわれ使用者は ERA に対しバランスのと
れた法律だと満足している。労組が未組織労働者を組織化するのは難しいだろうし,またわれわれ
は常に労組と対話しているから問題は生じないと考えている。
(3) 労働組合(NZCTU)の見解
NZ における労働組合のナショナルセンターである NZCTU の見解として Richard Wagstaff 氏
(President),Bill Rosenberg 博士(Policy Director),Jeff Sissons 氏(General Counsel)にインタ
ビューを行った。下記は3名の意見を混在させているが,他の出席者から特にコメントがなかった
ため労組の一致した見解ととらえてよいと思われる。
・ECA の労組への影響
ECA が個別労働契約を推進したため,労働党の中にはかつての Award 時代に回帰することを望
んでいるものもいるだろう。しかし労働党は分裂したため政治的なパワーを減退させてしまったの
でそのような動きはできなくなった。労組の力も弱くなってしまったことも要因の一つである。1980
年代後半の規制緩和,いわゆるロジャーノミクスの衝撃はわれわれにとって非常に強いものだった。
このために労働党は国民からの信頼を失ったのだ。結果として労働党に代わった国民党と使用者た
ちは労組の基盤を掘り崩してしまったことになる。
・労組のパワー衰退の要因
労組の力が弱くなった例として,労組リーダーの交渉力と組織力の低下をあげることができる。
労働法の変化が企業と労働組合に与えた影響
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これによりパワーバランスが使用者に傾くことになった。Award 時代に国家的ユニオンショップ
制になっていたことが組織力低下の一因ともいえよう。Award があるため,積極的に労組を組織
化し,組合員を拡大する必要がなかったのである。また団体交渉も早々に打ち切り,労働仲裁裁判
所に労働条件の決定を委ねたため,使用者と交渉する必要も能力も組合幹部に求められなかったの
である。
・組織率向上への障害
労組組織率の向上にあたってはリーダーの組織力低下以外にも障害がある。!法律上未組織労働
者に対し,使用者の許可なくして労組が接近できないこと,"マスメディアの影響もあるが若者に
は労組に対するステレオタイプ的な見方が強いこと,つまり「時代遅れ」とみられていること,#
会社に不満があった場合,他社への転職も容易なこと,$使用者に組合忌避の感覚が強いこと,な
どがあげられる。
・個別労働契約の限界
個別労働契約で労働条件を決めることになるが,これは労働者本人の同意なくして決定できない
のが本来である。しかし労働者のパワーが使用者のパワーより弱いことは自明の理だ。それを救う
べき裁判所もコモンロー裁判所であり,判例法主体である。ここでは契約自由の原則が貫かれてい
る。「いやなら契約しなくてよい」という論法がまかり通ると労働条件の向上は望めなくなる。こ
うした個別労働契約が主流になってきたため,労働条件向上への要求は非常に難しくなった。
・ERA への評価
基本的にわれわれは ERA の趣旨は使用者の利益のためと考えている。BusinessNZ が ERA に満
足していることは当然のことだろう
・労組の存在意義
労組は力が衰えたといっても,NZ 最大の民主的組織である。そのために様々な社会的問題に対
して発言している。教育・医療部門をはじめとする公共部門では組織率が高いため発言力が大きい。
また労災問題や平等賃金問題にも発言しているし,最低賃金も重要な課題である。
・ERA が労使関係に及ぼす影響について
ERA においては Good Faith がキーワードとなっている。これは主として団体交渉の際に問題と
なる。具体的には!合意に達するために労使双方が努力すること,"労使が情報を公開すること,
#オープンコミュニケーションの義務,つまり水面下で妥協することがないこと,である。これは
理解できるが,労使関係に対する影響として整理解雇の場合,35日前に通知すれば理由なしに解雇
できるとされていることは問題だろう。同一価値労働同一賃金論運動も行っているが,これらは法
改正が必要なので労使関係の変化は当分望めないだろう。
・その他の労使関係上の問題
たくさん労使関係上の問題はあるが,例として三角労働契約(日本でいう派遣・出向)や非正規
労働者の労働条件の問題があげられる。労働者の権利が守られていない人たちの問題だ。労働法の
知識が労働者にないことが根本の原因だと考えている。
6.労組の影響力低下の根本的原因
以上のインタビュー結果から NZ の状況として次のことがいえるように思われる。
廣石忠司
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!労組への過保護が組織力低下につながった
立法当事者が意図したか否かは別として,Award システムが労組の交渉力と組織力の低下につ
ながったことは否めないであろう。労使交渉を行わなくともよい環境,組織化をせずとも半ば自動
的に労働者が労組に加入するという状況ではやむを得ない面もある。その状況に適応してしまった
労組は環境が変わるとあっけなく衰退したのである。
"ECA が労組の団結力を破壊した
なぜ労働者は労組を結成して労働条件の向上に向かわないのか。その根源は ECA にあるように
思われる。ECA が労組の特権を剥奪し,労働条件の決定を個人契約に収斂させてしまったため,
労組に対する Apathy が生まれてしまったという見方である。ECA が労組の基盤である「団結」を
壊してしまったといってもよいだろう。これらの二点からは企業だけでなく労組も状況対応力がな
いと生き残ることができないと結論付けてよいのではなかろうか。特に法律制定の影響力は絶大な
ものがあった。
#不十分な ERA
労働党・労働組合のパワーが落ちたことに対し,それを回復すべき時点(労働党が政権に返り咲
いた2000年)は法律改正の好機であった。実際に労働党は ECA を撤廃し,ERA を制定したが,政
治的パワーの衰退により野党国民党や使用者側の意見を取り入れた妥協的なものになってしまい,
新法の制定も労組のパワー回復にはつながらなかった。その理由は労働党の政治力の減退にある。
労組の力量と政治力は同一ベクトル上にあるとみることができる。
8.充実した社会保障
また労働に対する考え方として,「働かなくとも生活できる」という社会保障制度の存在が根底
にあるようだ。生活保護ならぬ Un Employment Benefit という制度が存在し(失業給付は別に存
在する),生きていくだけなら問題ない環境がある。なお20代前半独身者,単身生活で週
$171.84,13000円弱,4週で5万円。これに住宅手当が安いところで週65ドル,4週2万円。25
歳以上だと$206.21,4週6万円強。結婚していれば20代前半層の金額が夫婦それぞれに支払われ
る。子供がいたらさらに手当がつくので「5人も子供がいたら働かなくとも生活できる」そうであ
る。ちなみにこれらはすべて税金から支出される。
このような社会保障の内容であれば労働条件の向上を無理に目指そうという労働者は多くないこ
とも推測できる。
9.今後の NZ の方向性と日本に対する示唆
NZ は1980年代後半の「ロジャーノミクス」,ECA の制定といった大転換を行うという,実験国
家的な色彩も強いことは前述した。一院制であり,法律の改正が容易であることも隠れた要因であ
る。日本とは大きく異なる国情のため安易な比較はできないが,労働法制の転換によって現場が大
きく変化することは一見して把握できた。日本では、たとえば雇用機会均等法によってその場で大
きく転換したかといえば,そうとはいえない。労働法の「網をかいくぐって」従来の方針を維持し
ようとするベクトルが大きく働いているように思われる。ところが NZ では ECA に対する労組の
労働法の変化が企業と労働組合に与えた影響
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抵抗は大きくなく大胆な改革がなしとげられた。労働法制が規範として機能しているか否か,とい
う点では ECA の試みはイエス,という答えになろう。この一件をもって労働法が企業実務に対し
てもつ意味合いを論じることは困難だが,労働法の大きな改革が企業の現場を動かすこともある一
例として検討するに値するものといえよう。今後同一賃金同一労働など各種法案が俎上にのぼって
くることが予想される。こうした法案が企業実務や労使関係にいかなる影響を及ぼすか,NZ の例
を参考にすることも無駄ではないと考えるものである。
1 脇坂(1984)
2 日本労働研究機構(2007)「仕事と生活」98頁,そこで引用されている厚生労働省(2004)『平成15年版働く女性の実
情』
3 廣石(1995)
4 廣石(2001)
5 有田(2009)
6 本項は Anderson(2011b)を筆者が整理したものである。
7 コモンロー裁判所では一般的に金銭での損害賠償による解決が図られ,エクィティ裁判所はコモンローでは解決でき
ない差し止め命令などの特別な命令を発することにより個別具体的な紛争を解決することが本来の姿である。今日では
両裁判所は統合されているのが一般的である。
8 この財政改革の経緯については佐島(2012)「変化するニュージーランド:『改革』の光と影」専修大学社会関係資
本論集3号が詳しい。
9 NZCTU(ニュージーランド労働組合連合)パンフレットより。
10 こうした知見は筆者の2015年4月から2016年3月まで NZ に滞在した際,ハミルトン市の日本人コミュニティメンバ
ー,近隣住民,ワイカト大学の同僚などから耳にした話を総括したものである。統計的な裏付けもなく,したがって話
し手の主観が多く入っているであろうことを付言しておく。
参考文献
Anderson, G. J(2011a)Labour Law in New Zealand Wolters Kluwer
Anderson, G. J(2011b)Reconstructing New Zealand’s labour law Victoria University Press
有田謙司(2009)「EU 労働法とイギリス労働法制」日本労働研究雑誌590号
オークランド日本経済懇談会(2013)ニュージーランド概要2013―2014 GekkanNZ
Freeman, R.B, Boxall, P. F and Haynes, P(ed.)(2007)What Workers Say Cornell University Press
深山喜一郎(1969)「ニュージーランドの労働争議調整制度」九州大学教養部社会科学論集9号
林和彦(2009)「ニュージーランドにおける労働市場の規制緩和:1991年雇用契約法の研究(1),(2)」日本法学75巻1
廣石忠司(1995)「企業における女性雇用管理の実態」ジュリスト1095号
廣石忠司(2001)「企業の法意識測定の試み」専修大学経営研究所報139号
廣石忠司(2015)「労働法と企業実務の相互作用」労働法理論変革への模索(毛塚勝利古希記念 信山社刊)所収
久村研(2001)オーストラリアとニュージーランド 三修社
宮島尚史(1955)「ニュージーランド強制仲裁制度」レファレンス49号
長渕満男(2001)「ニュージーランドの労働法改正」甲南法学42巻1・2号
New Zealand. Dept. of Labour and Employment(1923)The Labour Laws Of New Zealand reprinted by Amazon Japan
日本ニュージーランド学会(編)(1998)ニュージーランド入門 慶應義塾大学出版会
日本ニュージーランド学会(編)(2012)「小さな大国」ニュージーランドの教えるもの 論創社
日本労働研究機構編(2007)仕事と生活 日本労働研究機構
廣石忠司
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Rudman, R.(2010)Human Resources Management in New Zealandth ed.)Pearson
佐島直子(2012)「変化するニュージーランド:『改革』の光と影」専修大学社会関係資本論集3号
Stewart, A.(2015)Stewart’s Guide to Employment Lawth ed.)The Federation Press
高橋文利(2002)21世紀日本の構築―ニュージーランドに学ぶ― 晃洋書房
田中達也(2007)雇用関係におけるフェアネスの原理―ニュージーランド解雇法理の基準― 筑波大学博士学位論文
和田明子(2000)ニュージーランドの市民と政治 明石書店
和田明子(2007)ニュージーランドの公的部門改革 第一法規
脇坂明(1984)会社型女性 同文館
山邊達彦(2013)「政権や政党が与える労使関係への影響」早稲田政治公法研究104号
謝辞:20年前の入職以来、加藤茂夫教授、池本正純教授には大変お世話になった。退職記念号発行
にあたり、その学恩に対し心から御礼を申し上げる次第である。
(本稿は専修大学平成26年度長期在外研究員制度の成果の一部である)
労働法の変化が企業と労働組合に与えた影響
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