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04今村 薫.indd
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名古屋学院大学論集 社会科学篇 第 47 巻 第 4 号(2011 年 3 月)
― 51 ―
はじめに
 シャーマンとは,シベリアに広く居住するマ
ンシュー・ツングース系語族の中心的な呪術―
宗教的職能者サマンに由来し,シャーマンズム
はもともと,シベリアの民族宗教であるとされ
てきた。その後,比較研究がすすみ,東北アジ
ア,南アジア,東南アジアといったアジア全
般,さらにラテン・アメリカの諸民族における
シャーマニズムが次々と指摘されるようになっ
た。しかし,アフリカでのシャーマニズム研究
は少なく,とくに,狩猟採集民におけるシャー
マニズムの研究は,シベリアの狩猟採集民との
比較が必要であるにもかかわらず,皆無に等し
い。
 シャーマンとは,「諸精霊を統御し,これら
(諸精霊)を意のままに自らに導入でき,そし
て諸精霊にたいする自らの力能を自らの利益の
ために,とりわけ諸精霊によって悩まされて
いる他の人々を助けるために行使できる男性
および女性双方(Shirokogoroff, 1935)」であ
り,シャーマニズムの定義のもっとも重要な点
は,「超自然的存在との直接接触または直接交
流(佐々木宏幹,1984)」にあるという。
 本稿では,アフリカの狩猟採集民サンにおけ
るシャーマニズムについて報告し,その世界観
と身体技法について考察する。
 サンはアフリカ南部のカラハリ砂漠に暮らす
狩猟採集民である。ブッシュマンとも呼ばれ
る。彼らは多くの言語グループにわかれてお
り,異なる言語グループ間では互いに言葉が通
じない場合もある。また,グループごとに,狩
猟採集への依存度や習慣が異なり,サン全体が
まったく同一の文化を持つとはいいがたい。し
かし,そのような変異の中で,サンたちすべて
に共通した心のよりどころであり,かつ狩猟採
集民独特の世界観を結集させた「文化の核」に
あたるものを一つだけ挙げるとするならば,そ
れはヒーリング・ダンス(治療の踊り)である。
サンならば,グループの違いを越えて治療の歌
を理解し,ある者は歌い,ある者は手をたたい
てリズムを刻み,ある者はそれに合わせて踊る
ことができる。
 彼らは,病人が出ると人々が集まってヒー
リング・ダンスを催す。このダンスにおいて,
ヒーラー(踊りながら治療する人)たちは踊り
の途中でしばしば失神し,トランス状態で悪霊
を追い出す。サンたちは,このような独特の治
療空間を共同で作り出す。また,ヒーリング・
ダンスによって,病人が治癒され,キャンプか
ら悪霊が取り除かれるという信念を,サンは共
通して持っているのである。
 本稿において,私は,サンがおこなうヒーリ
ング・ダンスの全体像を,彼らの生活や世界観
と関連づけて描き出したい。具体的には,私が
1988年以付き合っているグイとガナというサ
ンの中の二つの言語グループの事例をもとに論
考をすすめる。
アフリカ狩猟採集民のシャーマニズム
今 村   薫

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名古屋学院大学論集
 グイ/ガナのヒーラーは,ヒーリング・ダン
ス中のトランス状態において激しく神と口論す
る。なぜなら,人を病気にするのも,病気から
人を回復させるのも,すべて神だからである。
彼らの社会における「治療」の意味を理解する
には,まず,彼らにとって神とはどういう存在
であるのかを理解しなければならない。
 さらに,ヒーリング・ダンスは,「病気とは
何か」という彼らの疾病観の中に位置づけるこ
とができる。彼らにとっては,日照りや不猟も
「病気」である。また,自分自身の欲望や執着,
それによる社会関係のゆがみもまた,「病気」
の原因である。そのような,疾病観や災因論の
体系の中で,人智を超えた「カミの病」の治療
にヒーリング・ダンスが用いられる。
 こうして,彼らの宗教観と疾病観の交差した
所にヒーリング・ダンスが存在することを示
す。しかし,これだけでは,なぜ彼らがダンス
によって神と出会い,病気を治すことができる
かの説明にはならない。
 したがって,本稿の後半では,ダンスや歌
が,彼らの社会においては超自然的存在と直接
接触する方法であることを示す。「超自然的存
在」に人間が接触するには,そのための回路を
開いていることが前提となる。この前提には,
野生動物と人間が日常的に接触しているとい
う,狩猟採集民の生活が関与しており,サンな
らではの特殊性を浮き立たせることになるだろ
う。
 しかしながら,ヒーラーがどのように自らの
身体をコントロールし,超自然の力を取り入れ
ているかという「身体技法」に注目すれば,彼
らのしていることは,それほど特殊なことでは
ないことがわかる。感覚を研ぎ澄まし,呼吸や
身体動作を意識的におこなうことで,身体感覚
が拡張して自然や他人と一体化し,その一体化
した場において神との直接対峙が可能になるの
である。
 以上の考察をへて,彼らのヒーリング・ダン
スは,人間の世界認識の普遍的な能力を現代社
会に照らし出すものであることを示したい。
1.カラハリ狩猟採集民サン
1―1 歴史
 サンは,現在はカラハリ砂漠という乾燥地に
限定して暮らしているが,かつては東アフリカ
から南アフリカにかけて広く居住していたこと
が,化石人骨,石器,居住跡,岩壁画などの証
拠から推測されている。彼らは,少なくとも2
万年前には,南部アフリカ一帯に住んでいたと
いう。
 南部アフリカには,サンとよく似た体型と言
語を持つコイコイ(かつてホッテントットと呼
ばれた)という民族がいる。彼らは,ともに舌
打ちによく似たクリック子音を交えて話し,言
語学的に近縁である。また,どちらも小柄で
ほっそりしており,皮膚の色が黄褐色で頬骨が
高く,アジア人に似た容貌を持つ人も多い。
 サンとコイコイはかつては同一民族であった
が,サンが狩猟採集生活を続けたのに対し,コ
イコイは紀元前2500年ごろ,エジプトおよび
スーダンを起源とする北方の牧畜民の影響を受
けて家畜を飼うようになったという。
 サンとコイコイは,アフリカ大陸の南半分に
広く分布していたが,拡大を続けるバントゥ諸
族の南下に押されて,15世紀ごろまでには大
陸南端部の砂漠地帯に追いやられた。さらに,
そのうえ,17世紀には,ヨーロッパ人の入植
者が南から侵入し始め,彼らから土地の収奪
や迫害を受けた。現在,サンはボツワナ,ナミ
ビア,アンゴラ,南アフリカにまたがって分布

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アフリカ狩猟採集民のシャーマニズム
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し,人口はおよそ10万人と推定される。(サン
の歴史については,田中(2008)を参照され
たい。)
 サンは「ブッシュマン」とも呼ばれるが,こ
れは「藪の中の原始人」を意味する蔑称である
という批判もある。
 一方,「サン」という呼び名は,近隣の牧畜
民であるコイコイによる他称であり,しかも「家
畜を持たない人」「無宿の浮浪者」という軽蔑
をこめた言葉である。
 しかし,サンにはサン全体を表す自称がな
い。それゆえ,本稿では苦肉の策であるが,
「サン」をカラハリ狩猟採集民全体の呼称に用
いる。彼らは,グイ,ガナ,ナロ,クン,コ―
といった10以上の言語集団からなる。
 私が調査をおこなったボツワナ共和国のカデ
という集落には,グイとガナという二つの言語
グループのサンが住んでいた。グイ語とガナ語
は方言程度の違いしかなく,互いのコミュニ
ケーションにまったく困らない。近年はグイと
ガナの間の婚姻も増えてきた。
 カラハリの奥地にも近代化の波が押し寄せ,
グイとガナも1980年代には,政府によって設
置された井戸の周りに定住するようになった。
定住地には,学校や診療所,法廷,集会所が整
備されている。
 また,人々は,道路工事や民芸品製作で現金
を得るようになり,トウモロコシ粉や食用油,
紅茶,砂糖,また,石鹸や衣料などの日用品を
金銭で購入するようになった。病気治療のため
のダンスへも,現金が支払われる場合がある。
1―2 平等主義的社会
 グイ/ガナは,狩猟で得た肉を,親族やキャ
ンプのメンバー全員に徹底的に分配することが
知られている。このような食物分配は,採集し
た植物からなる食物や購入したトウモロコシ粉
などを料理したものにも及ぶ。
 彼らは,物だけでなく体験をも分かち合う。
ヒーリング・ダンスも分配の対象である。ダン
スに参加しそびれた人は,「私にダンスを分け
なかった」といって他の人々を非難することが
ある。
 彼らの社会にはリーダーがいない。社会的格
差も小さい。狩りの得意な者は狩猟の場を,ダ
ンスの得意な者はヒーリング・ダンスの場を取
り仕切ることがあっても,その場面限りのリー
ダーである。男性は狩猟,女性は採集と性別分
業もみられるが,男性が採集をおこなうこと
も,女性が野生動物を捕まえることもある。そ
もそも職業が分化しておらず,ダンスのうまい
ヒーラーであっても,普段は狩猟や皮なめしを
おこなって生活している。
 彼らの社会は,貧富の差もなければ,恒久的
なリーダーも存在せず,後述するように神の権
威も存在しない。彼らは過酷な自然の中で,た
だ「ともに生存するために分かち合う」ことを
軸に生きてきたのである。
2.グイ/ガナの世界観
2―1 グイ/ガナの「カミ」
 彼らはガマという超越者の存在を信じてい
る。ガマは,この世界を造った創造主であり,
人間に悪も善ももたらす。雨を降らせて野生の
動植物を育て,人間を狩りでの成功に導くなど
の恵みをもたらすのはガマだが,逆に,太陽で
大地を干上がらせ,人々を飢えと渇きで苦しめ
るのもガマである。しかし,ガマは,世界の外
側にいる「絶対神」なのではなく,こちら側の
世界(人間が認識しうる自然世界と超自然世界
からなる)に存在する,他の精霊よりは少しは

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名古屋学院大学論集
力を持っている「カミ」なのである。
 彼らの会話に出てくるガマは,もっぱら悪の
部分が強調される。たとえば,「ガマが身体に
入って病気になった」「ガマのせいで狩りに失
敗した」のように,悪いことがおきれば,それ
はガマの仕業である。そのために,かつて人類
学者はガマを「悪霊」「悪魔」と訳していたこ
とさえある。善悪かかわらず,人智を超えたこ
と,あるいは自分の責任にできないことは,す
べてガマのせいにされる。
 だからといって,人々がガマに支配されてい
るわけではない。後で詳述するように,ヒーリ
ング・ダンスにおいて,ヒーラーはトランス状
態になり「ガマに会う」が,彼はガマと「口
論」し,ガマに病気を治せと「主張」する。ガ
マと人間はかなり対等である。
2―2 民話の中のカミ
 ガマは,昔話や物語に登場するときは,
「ピーシツォワゴ」と呼び名を変える。ピーシ
ツォワゴは,創造神的な性格を持つが,同時
に,民話の世界でトリックスターといわれる「い
たずら者」の地位を与えられている。
 たとえば,彼らの居住地を東西に貫く化石化
した川床の由来について,「ピーシツォワゴが,
狩りの途中に毒蛇に睾丸を咬まれ,痛みに悶え
苦しみながら,湖をめざして睾丸を引きずりな
がら歩いた跡」と民話は語っている。このピー
シツォワゴは,湖にたどりつき,水に飛び込ん
でワニになったという。
 このように,民話に出てくるピーシツォワゴ
は,人間の姿をしたり,動物になったりする。
「物語の中の動物たちは,いずれも動物として
の特徴を持ちながら,つねに人間の姿として登
場し,言葉を話す(田中,1994)。」
 太陽と月の起源について,私は1990年に以
下の物語を採取した。
 昔,ピーシツォワゴはエランドを一頭
飼っていた。そのエランドをアカシアの
林の中で飼い,アカシアの蜂蜜でエラン
ドを育てていた。
 ところがある日,ピーシツォワゴが蜂
蜜を採集に行ったすきに,ピーシツォワ
ゴの息子たち(人間)が,そのエランド
を食べてしまった。
 採集から戻ってきたピーシツォワゴは,
エランドが食べられたことに気づき怒っ
た。彼は,解体されたエランドの腸から
糞を絞りとり,あたりにまき散らした。
それから,口に水を含んで,その糞に吹
きかけた。
 すると,その糞は,たくさんのエラン
ドに変わった。
 ピーシツォワゴは,さらに,アフリカ
オオノガンの羽根をとって,それを細枝
にひっかけて空高く打ち上げた。その羽
根は空にとどまって太陽になり,赤く燃
えさかって地上のすべてのものを焼き尽
くした。
 人々は,悶え苦しみ,砂を掘ってその
窪みに身を横たえて暑さをしのいだ。そ
れでもその暑さに耐えきれず,人々は大
声で泣き叫んだ。
 すると,その叫びは木立になり,人々
はその木陰で休むことができた。
 そして,夜になった。暑さがおさまっ
たので,人々は家に帰ろうと思ったが,
真っ暗で何も見えない。それで人々は,
地中からガラー(丸くて白い根茎をつけ
る植物)を土中から掘り出し,空に向かっ
て投げた。

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 その根茎は,空にとどまって月になり,
人々の家路を照らした。
 この物語から,カミ(ピーシツォワゴ)と人
間の関係がわかる。カミは,創造者であり太陽
を創った。太陽は,人間への罰としてこの世界
に存在する。実際,グイ/ガナは,太陽をしば
しば悪者扱いする。「太陽が,我々を焼き殺す」
とは彼らが日常よく口にする言い回しである。
 太陽創造の物語は,今日ではゼネーという遊
びで再現される。ゼネーは,鳥の羽根に糸でお
もりをぶら下げ,その糸を細い枝にひっかけ
て,羽根つきのように,何度も羽根を空へ打ち
上げる遊びである(ただし,ゼネーは一人で遊
ぶ)。
 大切なエランドを人間に殺されたカミは,お
おいに怒った。そして,エランドを殺した人間
たちに対抗して,エランドの糞から,たくさん
のエランドを創り出してみせた。狩猟動物の腸
の中の糞は,以下の疾病観のところで述べるよ
うに,「薬」として用いられるような強力な力
を持つ。
 カミは自分の力を人間に誇示するためにエラ
ンドを生みだしたが,それは,結果として人間
にエランドをもたらす恵みとなった。エランド
は,カラハリ砂漠に生息する大型の羚羊であ
る。脂肪が多く,まるまると太った動物である
が,敏捷で跳躍力にすぐれている。
 エランドは,狩猟の肉として好まれるだけで
なく,人間の女性の理想形であり,多産を象徴
する。少女が初潮を迎えたときにおこなう儀礼
を「エランド」と呼び,この儀礼で踊るダンス
のことも「エランド」という。右の民話は,エ
ランドはカミが愛でる動物であることを示して
いる。
 また,この民話によると,人間はカミの息子
とされ,カミにまでは及ばないまでも,木々や
月を創り出す力を持っている。ここでも,カミ
と人間の立場は対等に近い。
 カミに通じる者は,ヒーリング・ダンスで踊
るヒーラーと,初潮儀礼中の少女,成人儀礼中
の若者である。しかし,彼らは神に仕えること
を専門にする「祭司」ではない。
2―3 現実主義者の死生観
 現実的なグイ/ガナの人々は,「死後の世界」
というものを想定しない。私が「亡くなった人
はどうなるのか」と尋ねると,「しばらく砂の
中に埋もれている。そのうち砂と混ざり合って
なくなってしまう」と答えるだけだ。
 亡骸は砂に掘った穴に埋め,その穴を埋め戻
すときに同じキャンプに住む人々が,砂を一つ
かみずつ手にとって,穴に投げ込む。これが唯
一の儀式である。塞いだ穴の上に少し砂を盛
り,それをトゲのついた枝で覆うが,これは,
動物に死体を荒らされないためである。
 「彼らにとっては,死んだ人のことは,早く
忘れ去ることが重要であり,したがって死者の
墓を特別なものとして作ることはしないし,そ
れをふたたび訪れるようなこともけっしてない
(田中,1978)。」
 彼らの死生観において,亡くなった人が子孫
に禍福をもたらすことはない。祖先崇拝もおこ
なわれない。
3.グイ/ガナの疾病観
3―1 自然界との感応
 病気の「治療」や「薬」のことをツォーとい
う。初潮儀礼や結婚のときにおこなう儀礼など
もツォーというので,彼らにとって,治療と儀
礼は同義である。したがって,通過儀礼は,彼

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らにとって,「成長にともなって生じる身体の
不調への治療」という側面をもつ。(儀礼の詳
細については,今村(2010)を参照されたい。)
 グイ/ガナは,成長段階に応じて,食べては
いけない動物の肉が決まっている。たとえば,
初潮を迎える年齢に達した少女は,クーズーと
ダイカーの肉を食べてはいけない。初潮が始ま
ると,クーズーとダイカーの肉は食べてもよく
なるが,今度はゲムスボック,スティーンボッ
ク,ハーテビースト,トビウサギ,ヤマアラ
シの5種類の動物の肉を食べることが禁じられ
る。禁じられている肉を食べると,少女が肉に
「ナレして」下痢や嘔吐に襲われるといわれる。
 「ナレ」はこの文脈では,「食あたりする」と
訳せるが,「感知する」という意味で使う場合
もある。たとえば,「ハンターは,罠に獲物が
かかっていると,罠を見に行く前から自分の腋
が燃えるように熱くなり,獲物をナレする」,
あるいは,「長期間帰ってこなかった息子が夢
に現れ,息子をナレした」のように用いる。私
は,ナレを,より広い意味で「感応する」と解
釈している。ナレについては後でもう一度考察
する。
 一年近くにわたる初潮儀礼を終了した少女
は,上記の5種類の動物の肉を食べてもよくな
る。これらの動物が罠にかかった機会に禁を解
く儀礼をおこなう。
 まず肉を食べ,それから儀礼(治療)をおこ
なう。その儀礼では,身体の数か所をカミソリ
で傷つけ,そこに,「薬」を塗りこめる。「薬」
は,薬草と,禁忌であった5種類の動物の糞や
毛,蹄を焼き焦がしたものを混ぜ合わせて作
る。糞は,地面に落ちているものではダメで,
その食べた動物の腸の中にあるものでなければ
ならない。
 このような「肉食回避」は,初潮前後の少女
だけでなく,妊娠中の女性,乳幼児や乳幼児の
両親,また,成人儀礼中の若者,そして「年寄
り」に達しない青壮年の男女が,それぞれの成
長段階に決められた動物種についておこなう。
また,この回避を解除するたびに儀礼をおこな
う。
 この肉食回避の儀礼を支える彼らの信念は次
のように整理することができる。
① 野生動物と人間には相互に感応し合う回路
がある。
② その回路の存在によって,動物と人間は感
応し合うが,人間はその成長段階によって
は動物の肉に過敏に反応することがある。
③ この「過剰反応」の治療に,動物の「身体
物質(身体の周辺にある物質)」を使う。
 このような肉食回避は,動物から人間へ向う
一方的な影響力が前提になっている。しかし,
次に述べる初潮儀礼においては,人間から自然
および動物への影響力が強調される。
3―2 初潮儀礼
 グイ/ガナの少女は,15~16歳になって初潮
を迎えた瞬間から,その後「若い女」に成長す
るまでの長期間(一年から数年間),さまざま
な儀礼行為や禁忌事項を守らなければならな
い。これらの長期にわたる一連の儀礼および儀
礼に付随する行為の全体が,初潮儀礼である。
 初潮儀礼全体に流れる一大テーマは,「少女
の影響力」である。儀礼期間中の少女は,人間,
動物,自然のすべてに影響を与え,同時に動物
と自然から力の行使を受ける。
 儀礼中の少女が作った料理は,それを食べた
男たちの歯と腹を痛くするといわれ,そのよう
な少女からの「悪影響」を防ぐための儀礼がお
こなわれる。しかしまた,少女は弓矢を「治療」
して狩猟での成功をもたらす「良い力」も持っ

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ており,弓矢に「薬」を塗っては次々と矢を放
つ儀礼をおこなう。
 一年近くに及ぶ初潮儀礼のうち,もっとも華
やかなものは,女性たちが集まって踊る「エラ
ンド」である。同じキャンプだけでなく,他の
キャンプの女たちも少女を祝福して集まってく
る。そして,スカートをめくって大きなお尻を
突き出し,臀部と乳房を左右に揺らして誇示し
ながら踊る。
 集まった女の半数は歌い手にまわり,立った
まま手をたたき,甲高い声で「エランド」をう
たう。この歌には歌詞はない。あとの半数は踊
り手になり,踊りながら一列になって小屋の周
りをまわる。
 この踊りには,男性は近づいてはいけないこ
とになっている。しかし,例外的に数人の老人
が踊りに加わることがある。老人は,二本のエ
ランドの角に似せた枝を頭につけて女たちの踊
りの輪にはいる。これは,一頭のオスの周りに
複数のメスが群れているエランドの様子を描写
したものである。
 「エランド」を踊っている間は,少女と同じ
キャンプに住む男たちは大型動物の狩りに行か
ない。少女と動物は通じ合い,男たちは狩りに
失敗するからだという。
 ここで,再びナレの意味について考察する。
ナレ(感応する)という動詞は,初潮儀礼にお
いて次のように用いられる。
① 儀礼中の少女が動物の名前を口にすると,
動物は少女にナレして狂暴になる。した
がって,儀礼期間中は,少女は動物の呼び
名を変える。
② 初潮儀礼中は,動物が少女にナレして人間
の動きを察知する。狩りの獲物は逃げ去っ
てしまう。
③ 女たちが集まって少女のために初潮儀礼の
ダンスを踊ってやると,動物は少女にナレ
して狂暴になり,人間に襲いかかる。
 このように,ナレとは,人間と動物が相互に
通じ合う回路を持ち,その回路によって感応し
合うことである。この回路によって,人間は動
物をなだめたり,動物から襲われたりする。
 儀礼期間中の少女は,カミとも交流を持つ。
少女が儀礼を守って,経血のついた砂の始末を
したり,皮の帽子を被り続けたりすると,カミ
は雨を降らせ,植物を実らせ,動物を太らせ
る。しかし,少女が儀礼を怠ると,雨雲は怒っ
て通り過ぎ,カミは狩猟を成功させないとい
う。
 初潮儀礼は,思春期の少女の自意識を高め,
感受性を鋭敏にし,少女が新しく生まれ変わる
ことをめざしている。相互的な「感応しあう」
世界において,少女の自然への意識は,そのま
ま自然から人間への意識として返される。少女
の変容は自然からの応答でもある。人々は,少
女の感受性を使い,少女の成熟とともに自然が
豊穣になることを願っているのである。その意
味で,グイ/ガナの初潮儀礼とは,大いなる自
然を「治癒」させ,彼らの生活世界を新生させ
るものなのである。
3―3 社会関係の軋轢
 彼らは,一過性の腹痛や頭痛,怪我について
は,それぞれの症状に効く薬草を知っており,
植物の根や葉を煎じたり,患部に塗ったりす
る。また,身体の悪い部分にカミソリで傷をつ
け,出血させて治すという方法もよく用いられ
る。
 しかし,体調不良が急激におきたり,あるい
は長期間に及んだりした場合,人々は,この病
気を社会関係の軋轢によって生じたのではない
かと疑い始める。社会関係が原因の病気は「汚

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名古屋学院大学論集
れ(よごれ)」と「恨み」の大きく二つに分け
られる。「汚れ」と「恨み」は,どちらも病気
の原因とされるものであり,同時に病名でもあ
り,また,その病気を治すために行われる儀礼
の名称でもある。
 彼らの疾病観の中核にあるのは「汚れ」とい
う概念である。男女の性関係に由来する嫉妬や
愛憎,欲望によって,人間の身体は「汚れを持
つ」という。その汚れによって,人は病気にな
る。そして,「汚れ」という病気は,しばしば
複数の人々が同時期に発病する。そのメカニズ
ムは次のように説明される。
 グイ/ガナによれば,血,汗,尿,精液,唾
液といった身体物質は,すべて同一のものであ
る「水」が形を変えたものである。「水」は具
体的な血や尿のように目に見える形をとること
もあるが,物質として単独に存在しているもの
ではない。「水」とは目に見えないパワーであ
り,抽象的な関係性のことでもある。
 「水」のパワーは,まず,その生命を生み出
す力にある。子どもの誕生は,男の水(精液)
と女の水(粘液と羊水)が混ざり合うことに
よって始まると考えられている。「水」はすば
らしい力を備えたものであり,人間は「水」と
いう力の集合体である。彼らは「水」の力を肯
定的にとらえている。
 しかし,一方で「水」は人々を繋ぎ,そのこ
とによって被害を拡大させるという作用も持
つ。なぜなら,親子きょうだいといった親族,
また,夫婦,愛人など性交渉をもった人々は,
この「水」によって相互に繋がっている。過去
に関係を持った人々も,現在においても「水」
によって繋がっているという。そして,誰か一
人でも,強い欲望や嫉妬を抱くと,その人の
「水」が汚れるだけでなく,親子や夫婦,愛人
といった「水」で連なる人々全体の「水」が,
一気に汚れると彼らは考えるのである。
 「汚れ」という病気の症状は,愛人関係にあ
る男女,および,それぞれの配偶者が激しい頭
痛,腰痛で苦しむことあり,さらに,彼らの子
どもたちが食欲不振,下痢などにより最悪の場
合は命を失うといったものである。
 「汚れ」の儀礼は,「水」で繋がる人々すべて
が一堂に会しておこなう。全員の血や尿を混ぜ
合わせたものに薬草を混ぜて「薬」を作り,こ
の薬を各人の身体にカミソリでつけた傷口に塗
りこめて治療が完了する。
 彼らは,この治癒させる力は,「水」すなわ
ち「身体物質」そのものにあると考えており,
薬草の効果は副次的であるとみなす。
 「汚れ」と相補的な関係にある「恨み」とい
う病気は,年長者から年少者へ向けられた恨み
や怒りが原因とされる。若者が,狩猟で得た肉
を年長者に分けなかったり,息子が遠くの土地
へ働きにいったきり両親に何の連絡もしなかっ
たりした場合,両親や年長者たちが心を痛め
る。このような年長者たちの恨みや愛着によっ
て,年長者たちの身体は「恨み」で満たされ,
その「恨み」が若年を襲う。
 病気としての「恨み」の症状は,若者が野生
動物に襲われたり,交通事故にあったり,急に
胸が痛くなったり,難産で命を落としそうにな
るなど多様である。
 この病気(災難も含まれる)の治療のために
開かれる「恨みの儀礼」では,年長者たち全員
が集まって水で手を洗い,水に「手の汚れ」を
溶かしこむ。人間の恨みや執着,すなわち欲望
が,身体を「汚れを持っている状態」にすると
いう。この「汚れ」こそが「恨み」のそもそも
の原因である。人々は,病の原因物質である
「汚れ」を水に溶かし出すことによって,「汚れ」
を「薬」に変える。

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アフリカ狩猟採集民のシャーマニズム
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 次に年長者たちは丸く輪になって立ち,中心
に「恨み」の病気に苦しむ若者を立たせる。そ
して,その「薬」の入った水を若者に降り注
ぐ。さらに,若者にその水を飲ませる。このよ
うにして,若者を病気から回復させる。
 「恨み」は,アフリカに広く見られる「呪い」
や「邪術」を連想させる。しかし,グイ/ガナ
の「恨み」は親族内の年長者から年少者へ向け
られるものに限定されており,「犠牲者」であ
る若者はけっして死ぬことはない。また,「恨
み」を仕掛けた「犯人」を追及することもな
い。これらの点で,「恨み」は呪いや邪術とは
異なる。
 重い病人や怪我人が出ると,人々は,その人
の行いや人間関係を省みて,その原因を特定し
ようとする。そして,原因に合わせて,「汚れ」
あるいは「恨み」の儀礼をおこなう。
 そのような原因が特定できない場合,あるい
は,儀礼をおこなっても病気がよくならない
場合,人々は,いよいよ,「カミの病気」を疑
い始める。「カミの病気」とは,人々の理屈に
よって説明できない,もろもろの体調不良や事
故のことである。この「カミの病気」に対し
て,人々はヒーリング・ダンスを開く。
4.ヒーリング・ダンス
4―1 ツィーとは
 彼らの社会では,日常の歌や踊りはツェレェ
といい,とくにヒーリング・ダンスのことを
「ツィー」と呼ぶ。また,歌い踊ることを,
「ツィーを言い,ツィーを踏む」と表現する。
そして,トランス状態になって意識を失うこと
を「ツィーにおいて死ぬ」と表現する。このこ
とから,ツィーとは,歌や踊りによって通常と
は異なる心理状態になることを意味すると想像
できる。
 また,男性の成人式は,「男のツィー」と呼
ばれ,女性の初潮儀礼を,「エランドのツィー」
というので,ツィーとは儀礼のことでもある。
儀礼中の若い男女が,カミや動物と「感応する
回路を開くこと」は前述したとおりだが,儀礼
中の一連の行為の中でも,人々が集まって歌い
踊ることがツィー,すなわち超自然へ直接アプ
ローチすることである。ツィーとは,「超自然
的な力にかかわる概念(菅原,1993)」なので
ある。
 ツィーは動詞として使われることもあり,
ツィーの完了形であるツィヤーハは,「超自然
世界に相通じる状態」を意味する。初潮儀礼中
の少女,成人儀礼中の若者,そして,ヒーリン
グ・ダンスのヒーラーになるための修行中の男
性は「ツィヤーハ」であるという。
 以上が,ツィーという単語の歌と踊りにかか
わる原義だが,それから派生した用法がある。
「風をツィーする」というのは,「妖術によって
強い風をふかせる」ことである。また,「ツィ
ヤーハ」は,「巧みだ」「精通している」という
一般的な意味で使われることもある。
4―2 ダンスの経過
 ヒーリング・ダンスは,日が暮れてから始ま
る。ダンスには赤々と燃える焚火が必要であ
る。また,夜を徹して明け方までおこなわれ
る。
 焚火の周りに10人ほどの女性たちが輪に
なって座り,まず一人が手を打ち鳴らしながら
甲高い声で一つの旋律をうたう。ヒーリング・
ダンスの歌には歌詞はない。即座に数人が相の
手をいれ,旋律を重ねてポリフォニーが始ま
る。さらに,次々と女性たちが唱和し,手で複
雑なリズムを刻み,歌声の厚みがましてくる。

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名古屋学院大学論集
やがて歌声が共振すると,うねりが生じる。う
ねりの渦はその場を包み込む巨大なカサのよう
である。
 そうすると,男性の踊り手たちが一列にな
り,女性たちの背後で,砂に足を突っ込むよう
なステップを踏みしめてまわる。踊り手たち
は,ダチョウの卵殻の破片を入れた繭を数十個,
糸で数珠つなぎにして作った「ガラガラ」を脛
に巻いて踊る。
 グイ/ガナの文化では,踊り手は男性と決
まっているので,当然,ヒーラーは男性であ
る。女性は弱くて邪悪なものに冒されやすい
が,男性は強く,女性に取りついた邪悪なもの
を自分の身体に引き寄せ,さらにキャンプの外
へ追い払うことができると信じられているので
ある。(ただし,別の言語グループであるクン
やコ―では,女性のヒーラーも存在する。)
 踊り手の汗は人を癒す「薬」であると考えら
れているので,踊り手たちは,腋の下の汗を手
でぬぐっては病人に振りかける。また,「巧み
な踊り手の身体から放射される「精気」を受け
ようと,女たちは踊り手の臑を掌でこすり,自
らの頬になすりつける(菅原,1993)」。
 4~5人の踊り手の中で,中心となるヒー
ラーは一人である。彼は,低いうなり声や,高
い裏声を自在に出し,女性の歌い手たちが畳み
掛けるように繰り出すリズムに乗って,ときに
はリズムを先導して踊る。ヒーラーは,病人に
手で触れたり,ゲムスボックの角を削って作っ
た破片を病人に投げつけたりする。
 ヒーラーの小刻みに動く脚の上下動と,腰か
ら上の左右に揺れる動きがさらに大きくなる
と,ヒーラーは病人の患部に手をあててさらに
激しくステップを踏む。このとき,ヒーラーは
喘ぐような独特の声を出す。しばらくすると,
ヒーラー自身も,また他の踊り手たちも次々と
失神する。
 彼らは,意識を失ったまま焚火に倒れこむこ
ともしばしばおこす。この状態を,先述したよ
うに「ツィーにおいて死ぬ」という。ヒーラー
たちは,意識を失って砂に突っ伏したまま,し
ばらく身体を痙攣させている。
 踊り手たちがトランスに陥っている間も,女
性たちは途切れることなく歌をうたい続ける。
彼女たちは,声を重ね合わせ,間髪容れずに手
拍子を入れることに意識を集中させているが,
中の数人の女性は,踊り手たちが火傷をしない
ように倒れこむ場所を空けてやったり,失神し
た踊り手をさすったり冷静に対処している。踊
り手たちの数人は,すぐに意識を回復させて再
び踊りだす。
 こうして歌と踊りのクライマックスが充分続
くと,突然女性たちは歌声をとざし,手拍子だ
けの掛け合いが数小節続いてピタリと終わる。
完璧な静けさが,ほんの一瞬広がりかける間も
なく,「ハハハハハハーイ」とサンの女性特有
のカラッとした笑い声が高らかに闇空に響く。
人々は歌いきったという充足感に満たされてい
る。このような歌の終わり方を,「枝がポッキ
リ折れるように歌い終える」と表現している。
 一曲およそ一時間のダンスが何度も繰り返さ
れ,夜が白々と明けるまで延々と続く。
 ヒーリング・ダンスは,特定の病人の治療を
目的にしているが,病人だけでなく,ダンスに
参加した人全員が癒される。ツィーによる癒し
が共有されるのである。
 このようなダンスの場を作り上げるために
は,女性たちの歌声が重なり合い,互いに打ち
合う手拍子のリズムがきまり,男性たちが踏む
ステップと歌がかみ合い,男性と女性の意識と
身体が同調し合わなければならないのである。
 「女性たちの歌声によってヒーラーはエネ

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ルギーをもらう」とも表現される(Keeney,
1999)。
 さらに,踊り手たちが邪悪なものを追い払う
ことで,「キャンプ中から悪いものがすべてと
りはらわれて浄化される」(田中,1971)ので
ある。
 現在のヒーリング・ダンスは,病人の治療を
目的に人々を集めて開かれる場合が多いが,狩
猟に成功して大量の肉がキャンプにもたらされ
たときに余興として始まったダンスが,そのま
ま治療に移行することもある。
 楽しみや喜びの表現であるダンスと,治療を
目的としたダンスは,一見異なっていても実は
同根である。大猟によってもたらされた歓喜の
ダンスが,ヒーリング・ダンスの元の意味なの
である。自然の恵みであり,同時に悪霊である
ガマと感応し,対峙し,乗り越える狩猟の体験
が,病気から人を回復させ,キャンプに平安を
とりもどす原動力となっているのである。
 しかし,近年は,ダンスの治療の面だけが注
目されるようになった。町に住み,狩猟採集生
活から遠ざかったサンのグループには,その傾
向が強い。また,ツワナやヘレロといった異民
族の間で,サンの治療のダンスは強力だという
評判が立ち,サンのヒーラーに現金を払って治
療を頼む人も増えている。
 また,一方,サンたちの間では,ヒーリン
グ・ダンスは彼らが自分らしさを取り戻すアイ
デンティティ確認の場ともなっている。
4―3 歌の発生
 彼女たちがうたう歌には歌詞がないことは
先述したとおりだが,それぞれに曲名がある。
私が調査していた90年代前後は,「ゲムスボッ
ク」が好んでうたわれていたが,以前に流行し
た,「ハト」「ワイルデビースト」「スぺル(意
味不明)」なども歌われることがあった。
 また,私は1988年に歌の発生の現場に居合
わせた。あるガナの男性が,自分が親指ピアノ
を演奏している夢を見た。その夢は,「人々が
うたい踊っている傍らで,彼が親指ピアノを演
奏しており,ガマがもっとうたえ,もっと踊れ
というので,彼は必至で演奏した」というもの
だった。夢から覚めた後に「歌だけが残り」,
彼が親指ピアノで演奏していると,瞬く間に
人々に広まった。
 男性たちは親指ピアノで演奏しながらうた
い,別の場面では女性たちが合唱しながら女
性だけでダンスを踊ったりしていた。そして,
そのうちに,ヒーリング・ダンスにおいても,
その歌がうたわれるようになったのである。
曲は,どんどん変奏されていき,最初のメロ
ディーとは似ても似つかぬ歌になったが,それ
でも,すべて彼の名前をとって「ギューベーの
歌」といわれた。私は,いろいろな場面でうた
われた「ギューベーの歌」を集めたが,それは
15種類に及んだ。
 この例から,歌の発生には夢が関与し,その
歌が,さまざまな場面で繰り返し人々にうたわ
れて共有されることで,ヒーリングの歌へと変
わっていくことが想像される。
4―4 変身譚
 ヒーラーは,しばしばライオンになることが
できるといわれる。それは,ライオンを「真似
る」のではなく,ライオン「そのものに変身す
る(グイ/ガナ語でキュルと表現する)」という
のである。ヒーラーは,踊りながら爪とたてが
みが伸びてきて,人間とライオンが混ざり合っ
た姿になって邪悪なものをキャンプから追い払
うのだ。
 人々がブッシュで遭遇するライオンには,人

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名古屋学院大学論集
間が変身しているものも混じっているという。
 狩猟者であるサンは,ライオンに親しさと恐
れというアンビバレントな感情を持っている。
ライオンが倒した獲物を,横取りすることを専
らにして「ライオンは俺の友人だ」と嘯く人
が,今もグイやガナの中にいる。しかし,そう
やってライオンと接触しながら,最期はライオ
ンに襲われて人生を終えた人も大勢いるのであ
る。
 人間に肉を与えることもあれば,人間を殺し
てしまうライオンは,彼らが想像するガマその
ものである。ヒーラーはライオンに変身するこ
とで,ガマと対等になろうとするのだ。
5.考察
5―1 脱魂型憑依型
 シャーマンが超自然的存在に直接的に接触す
る仕方には大別して二つの型があるとされる。
一つはシャーマンの魂が身体外に出て天上,地
上,地下などを巡歴・飛翔する脱魂型であり,
他は地上や他界の神霊・精霊がシャーマンの身
体内に入り,これに憑依する憑依型である。二
つの型について,エリアーデ(1974(1951))は,
エクスタシーとポジェッションと呼んでいる。
 最近では,エクスタシーは魂の身体からの離
脱・移動を,ポゼッションは神霊・精霊の身体
への憑依・移動を意味する用語として対語的に
使用され,トランスは,エクスタシーとポゼッ
ションが生起する前提または生起しつつある過
程を指す用語として使用されることが多い。
 シャーマニズム研究の通説によれば,脱魂型
シャーマニズムは極北アジアの狩猟採集文に濃
厚に発達しており,栽培民文化では衰微してい
るという(佐々木,1984)。
 グイ/ガナのヒーラーは,失神している状態
において,ガマと掛け合うことができるといわ
れている。彼の意識は,ガマのところへ行き,
ガマと激しく口論する。ヒーラーとガマは対等
であり,ガマに「文句を言う」ことで,最終的
にガマの同意を得,病人を回復させる。
 ガマが病人の治癒に同意すると,ヒーラーの
痛みは解放される。彼が砂の上で痙攣するたび
に,身体の痛みは振り落とされて消えていくと
いう。
 ガマは,世界観のところで述べたように,カ
ミであり,悪霊である。病人を病から救うの
は,上方にいるガマで,これはカミに近い。し
かし,同時に病人の身体に取りついているもの
もガマだといい,これは地上にいる悪霊のよう
なものである。
 いったい,ガマはどこにいるのか,一人では
なく複数存在するのか,また,ヒーラーはガマ
に何といって口論するのか。私は,彼の説明を
聞いて,疑問が次々わいてきた。しかし,彼は
困惑の表情を浮かべて答えなかった。答えたく
ないようでもあり,自分の体験を言葉にできな
いようでもあった。
 私は同じ質問を,別のグイやガナのヒーラー
に尋ねてみたが,統一した見解は見いだせな
かった。
 グイ/ガナの例から,脱魂型憑依型という
分類が,シャーマニズム研究に意味をなさない
のではないかと考えられる。
5―2 シャーマンの身体技法
 ヒーラーは専門職ではないが,踊りが得意な
者が経験を重ねることで,次第に自他共に認め
る治療者に成長していく。修行期間中のヒー
ラーは数種類の動物の肉を食べない。ヒーラー
は病人に取りついた「悪霊」を自分に乗り移ら
せ,また「カミ」と語ることができるよう鍛錬

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アフリカ狩猟採集民のシャーマニズム
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を積む。
 私はある一人のヒーラーのダンスに何回も参
加し,また,彼自身の体験について数回質問す
ることができた。彼は普段はハンターであり,
また,親指ピアノの演奏が得意なミュージシャ
ンであり,親指ピアノを製作する楽器職人でも
ある。
 ヒーリング・ダンスの始まりのときの彼の呼
吸は独特である。彼は踊りの輪からはずれてし
ばらく一人で立っており,肋骨を一つずつ動か
してゆっくりと息を吸う。これは,「ブッシュ
の向こうから息を吸いこんでいるのだ」と彼は
いう。それから,女性たちの歌声に合わせてス
テップを踏み始めると,脛に巻きつけているガ
ラガラが,それ自体が一つの生き物であるかの
ように鳴り響く。そのガラガラの鳴動をきっか
けに,彼の足が勝手に震えだし,その震えが踵
から腰まで上がってくるという。さらに,背骨
を伝って脳底まで震えが上がると,彼はこの振
動を痛みとして感じるようになる。
 この状態で彼は病人を触る。彼は,自分の意
識を病人に集中させ,彼と病人が同じ人間であ
るかのように呼吸を同調させる。彼と病人が一
体になることで,病人の身体に取りついた「邪
悪なもの」を自分の身体にのり移らせる。病人
から刺すような痛みが入ってきて,彼はその痛
みに耐えながら吠えるように叫ぶ。「邪悪なも
のが身体に満ち満ちた」結果,彼の身体は死ん
だようにその場に倒れこんでしまう。
 そもそも,ヒーラーのトランス体験は,個々
人によって異なるようだ。
 トランス状態へ入るきっかけについて,先
述したヒーラーは「ガラガラの振動が踵から
上がってくる」といったが,別のヒーラーは,
「踊っているうちに,頭の方から痛みと熱さが
入ってくる」と表現した。
 ボツワナ北部からナミビアにかけて分布する
クン・サンの場合は,踊っているうちに「沸騰
するような熱いエネルギー」がヒーラーの身体
の中心に生じ,そのエネルギーを他のヒーラー
や病人と交換するという。また,ヒーラーは,
過度の熱さと痛みによって死の恐怖を感じる
が,これを克服しなければヒーラーになれない
(Katz, 1982)。
 さらに,グイ/ガナより南に住む別の言語グ
ループのサンの中には,「雷に打たれたような
痺れと光が自分の身体を通り,光によって,病
人の身体の中が透けて見える」と表現する人も
いる(Keeney, 1999)。
 ダンスによってトランスに入り,病人を治す
という粗筋は決まっていても,トランスに入る
きっかけや,治療している間の体験はさまざま
である。それぞれのヒーラーが独自の鍛錬に
よってトランス状態に自在に出入りし,カミや
悪霊と対峙できるような「治療へ至る身体技法」
を獲得するのである。
おわりに
 グイとガナは,人間の病気や災難という不幸
を,「汚れ」や「恨み」という人間側の問題と
して解決しようとしているが,同時にトラン
ス・ダンスによってカミと直接対峙する方法も
確立させてきた。彼らは,薬や手術もおこなわ
ずに,歌と踊りで病気を治すという独特の身体
技法を発達させている。
 彼らと一緒にブッシュを歩くと,草の色,鳥
の声,雨雲の匂いなどさまざまな自然の兆候
に,彼らがつねに気を配っていることがよくわ
かる。また,身体の状態を把握し病人を診断す
る際に嗅覚をよく使う。ヒーリング・ダンスの
場では,歌声とダンスによる聴覚と振動を感じ

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る皮膚感覚と深部感覚,また,焚火の光と暗闇
のコントラストによる幻惑的な視覚など,あら
ゆる感覚器官を総動員している。
 彼らは,超自然的存在と感応する回路を開い
ている。さらに,夢に代表されるような潜在意
識にまで想像力を広げている。感覚を鋭敏に
し,意識的な呼吸をおこなうことで,身体と意
識を拡張させる。彼らは,このようにして神と
出会い,神と対決し,災難や不幸を乗り越えて
きたのである。
付記:この論文は,2008年度名古屋学院大学
研究奨励金による研究成果の一部である。
引用文献
今村薫 2010『砂漠に生きる女たち―カラハリ狩猟
採集民の日常と儀礼』どうぶつ社
エリアーデ,M. 1974『シャーマニズム―古代的エ
クスタシー技術―』冬樹社(Eliade, M. 1951
Le Chamanisme et les technique archaiques de
l’extase, Paris: Libraire Payot)
佐々木宏幹 1984『シャーマニズムの人類学』弘文
菅原和孝 1993『身体の人類学―カラハリ狩猟採集
民のグゥイの日常行動』河出書房新社
菅原和孝 1996「狩猟採集民の宗教的世界と自然観
―アフリカ南部グイ・ブッシュマンの社会より」,
有福孝岳編『現代における人間と宗教―何故に
人間は宗教を求めるのか』京都大学学術出版会,
29―59頁
田中二郎 1971『ブッシュマン―生態人類学的研究』
思索社一
田中二郎 1978『砂漠の狩人―人類始源の姿を求め
て』中央公論社
田中二郎 1994『最後の狩猟採集民―歴史の流れと
ブッシュマン』どうぶつ社
Katz, R. 1982 Boiling Energy, Harvard University
Press
Keeney, B. 1999 Kalahari Bushmen Healers,
Ringing Rocks Press
Shirokogoroff, S. M. 1935 Pscychomental Complex
of Tungus, London: Kegan Paul, Trench
Trubner & Co.