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【いじめの構造】 第1回 いじめの定義と変化 - 論文・レポート

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【いじめの構造】 第1回 いじめの定義と変化

要旨:

いじめが子どもにはつきものだという、おおらかな認識から、いじめは絶対にいけないもので、根絶すべきだ、という現在の世論に変化した背景には、いくつもの痛ましいいじめ自殺事件が存在する。特に、1986年の都内の中学2年生による自殺と、1994年の愛知県の中学2年生による自殺は、世論と文部科学省の対応に大きな変化をもたらした。それとともに、いじめのスタイルも、特定の個人が長期間いじめられるパターンから、不特定の個人が順番に短期間いじめられるパターンへの変化や、集団ベースから個人ベースへの変化が見られる。
English
いじめの定義と変遷

いじめは悪いことで、絶対的にあってはいけないという認識が今日の世論の主流でしょう。しかしずっと以前からそうだったわけではなく、1980年代の後半くらいまでは、子どもにはいじめがつきものとして是認する世論が、むしろ一般的でした。裏を返せば、この頃までは、いじめがさほど深刻な社会問題にはなっていなかったともいえるでしょう。日本のいじめ世論が今のような認識に転換するのに影響した事件はいくつかあります。

今の学生の中には知らない人も多いと思いますので少し説明しますが、1986年2月に、都内の中学二年生の鹿川君が、いじめにより自殺した事件は、その最初にあたるでしょう。彼は、仲間内でも使い走りをさせられたり、殴られたりすることなどが、日常的に続いていたそうです。彼の父親もいじめに気づき、いじめている子や親などに苦情を言うなどの努力をして、ある程度の効果も見られました。

しかしそれでもいじめが進行してしまい、とうとう「鹿川君がもういないことにするいじめをしよう」と考えたいじめっ子たちが、1985年11月のある朝、鹿川君のお葬式ごっこを、クラスをも巻き込んで行いました。担任を含む4人の先生達までも、単なるおふざけと思い、乞われるままに色紙に弔辞を書いたそうです。本人は、どれほど学校で自分の存在を消すような理不尽な仕打ちを受けたと感じたことでしょう。その後もいじめはエスカレートしていき、ついにその三ヶ月ほど後の2月1日に、岩手県の盛岡駅のトイレで、鹿川君が首を吊って息絶えているのが発見されました。その場に遺書が残されており、彼をいじめた同級生の名前があげられ、「このままでは生きジゴクだから、自分は死ぬけれど、いじめが続いたら、自分が死んだ意味がなくなってしまうから、君たちも、もうこんな馬鹿なことは止めてほしい」という趣旨のことが書かれていました。

この事件の前年にもいじめ自殺が頻発したことをうけて、当時の文部省は、すでに1985年にいじめを定義し、対策を講じるなどしていましたが、いじめを否定する世論は、まだ強くはありませんでした。しかし鹿川君のいじめ自殺が社会に与えた衝撃は大きく、いじめは、いじめを強く否定する世論形成の土台作りに大きく影響しました。

いじめが絶対に悪いという世論が決定づけられたといえるのは、そのほぼ10年後の1994年に愛知県の中学2年生の大河内君が、仲間内から日常的に多額の金銭を脅し取られたことを苦にして自殺した事件でしょう。いじめによる自殺については、1985年、1995年と2005年と、ほぼ10年おきに大きなピークがあります。なぜ10年おきなのかは不明ですが、その都度文部科学省もいじめの定義を変えてきています(表1参照)。

基本的には、1985年から1994年までは、「力の非対等性」、「継続性」、「深刻な苦痛」の3要素がないと、いじめとは認めなかったのですが、2007年には「精神的苦痛」さえあれば、「力の非対等性」と「継続性」が不問になりました。つまり、2007年の定義から、「いじめられたという認識があれば、いじめである」と認めることにより、いじめの範囲が広げられたことになります。

表1 文部省/文部科学省によるいじめの定義の変遷
report_02_143_1.jpg

ところで鹿川君のように1985年当時の中学二年生は、すでに41歳になっていますが、鹿川君の頃から、いじめの実態は変化したのでしょうか。

いじめのタイプの変化

鹿川君のお葬式ごっこが行われた1985年前後を境に、いじめの特徴には次第に変化が見られました。1985年以前の時期は、特定の子が比較的長い期間いじめられ、新聞などのマスコミを含めた世論も、いじめられる側に問題がある、という論調が多かったといえます。鹿川君は、このような状況にいました。当時はまだ、第二次世界大戦という暴力・欠乏・忍耐の時代の記憶がある人もまだ多かったので、「昔のほうがいじめがひどかった」、「いじめられるのは、いじめられるだけの理由があるからだ」と思う人も決して少なくはなかったのです。一方、1985年以降は、不特定の子が短期間ずつ順番にいじめられ、世論もいじめるほうがよくないという論調に変わりました。

それほど、いじめにより子どもが自殺にいたる、しかも何件も起こるということは、ショッキングだったわけです。 子どもは成長過程の遊びの一種として、じゃれあったり、ぶつかりあったりしますが、手加減して限度を守るので、大人も安心して見ているところがあります。さらに、小中学生になれば、動物よりも賢い人間で、それまでの集団遊びなどを通して、限度をわきまえているから、たとえいじめがあっても限度を守るだろう、という認識もあったわけです。ですから、いじめ自殺が社会に与えた衝撃は、全国で子どもに深刻な変化が起こっていると社会に感じさせ、子ども観をも揺さぶるほど大きなものでした。

特定の子が長期間いじめられる状態から、短期間に順番にいじめられるようになった変化の背景には、様々な要因があるでしょう。いじめに対する世論が変わり、特定個人を長期間いじめることが困難になったこともあるかもしれません。また、平等教育が導入されて、かけっこのゴールも一緒に行い、順位をつけないなど、本来人間がもっている多様性を直視させない教育の中で、いじめられる異質な存在を順に作り出すことで、異質性や多様性を確認するかたちで子どもが反応している可能性もあるかもしれません。さらには、人間関係が希薄化する中で、特定の個人を長期間ターゲットにすることの前提となる、「人間関係が濃密な集団」が形成されにくくなっていることを反映しているのかもしれません。

さらに1995年頃を境に、集団ベースから個人ベースへの変化も顕著になりました。非行タイプも衝動的な「いきなり型」といわれるものが増加し、個人間の暴力も増えました。集団ベースのいじめは、無視や仲間外れなど人間関係を用いた攻撃である関係性攻撃が特徴で、男子よりも女子に多く見られます。1995年のデータを見ると、男子は持ち物を壊すなど、直接的な攻撃が多いのに対して、女子は仲間外れや無視などの、外部からは容易に判別できないいじめが多い傾向があります。しかし、2003年ごろには集団ベースである関係性攻撃(無視や仲間外れ)が、それまでよりも男女ともに減少(とくに男子で大きく減少)して、直接的な攻撃が多くみられるようになりました。 そのような意味で、いじめが集団ベースから個人ベースへ移行する傾向が見られました。

以上、いじめに関する世間の認識の変化と、それに呼応した文部科学省による定義の変遷、いじめのタイプの変化を概観しました。次回は、いじめの文化間比較などを中心に述べたいと思います。


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筆者プロフィール
report_sugimori_shinkichi.jpg杉森 伸吉 (すぎもり・しんきち)

東京学芸大学准教授(社会心理学)。個人と集団の関係をめぐる文化社会心理学の観点から、集団心理学(チームワーク力の測定、裁判員制度の心理学、体験活動の効果)、リスク心理学などの研究を行っている。法と心理学会理事、野外文化教育学会常任理事、社団法人青少年交友協会理事、社団法人日本アウトワードバウンド協会評議員、NPO法人教育テスト研究センター研究員、NPO法人学芸大こども未来研究所理事、社団法人教育支援人材認証協会認証評価委員会委員長など。

※肩書は執筆時のものです

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