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上対馬町 殿崎の日本海々戦記念碑
対馬町の観光名所案内(西泊 殿崎の日本 海戦記念碑)

殿崎の日本々戦記念碑

比田勝港より車で約 5分~7分

ルート案内図→ ①比田勝~  ②古里~  西泊

建立 明治44年

 明治38年(1905)5月27日から翌28日、祖国の興廃をかけ、この対馬沖で繰り広げられた日本々戦を記念し、地区住人により建立された。

 この海戦の際、撃沈されたロシアバルチック艦隊のウラジミル・モノマフ号の水兵143名は、4隻のボートに分乗し、この地に上陸した。戦況を見守る傍ら農作業をしていた農婦は、命からがら逃げ延びてきたこの水兵達を水の湧き出す泉へ案内し、夜は西泊の民家へ分宿させるなど、手厚く持て成した。

 題字の恩義喬(めぐみのうみ、ぎはたかし)は、この話を聞き心を動かされた東郷平八郎連合艦隊司令長官の書によるものである。

               上 対 馬 町               

以上の説明は、設置された説明版から

 

【日露友好の丘】


2005年5月27日 除幕式と日露合同慰霊祭を迎える日露慰霊の碑・・・「平和と友好の碑」

日露・対馬海戦100周年にあたり、ロシア政府の理解と協力を得て実現されました。

従来あった地元住民によって建立された記念碑に並んでロシア政府によって建立された記念碑(中央右)

 

左の画像中央から降りる道が記念碑へ手前側がヘリポート
右の画像、中央に見える島は、小島で右の国民宿舎(上対馬荘)
の下の磯場から潮が引いた時渡られる

 
西泊湾入り口に細長く出ている岬が殿崎

 
岩海苔(アマ海苔)


海岸から見上げた記念碑側。小・中学生のころの遠足の場所の定番だった。
急斜面を利用して草スキーを良くしていた記憶がある。


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