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7-16.真実の古事記について
7-16.真実の古事記について



 大和民族は、旧約聖書の正当な末裔である。サタンの迫害を受けた旧約の民が、神の律法を実現するために新天地・日本を目指して二度渡来した。そして、原始キリスト教徒が天照大神に導かれて日本に二度渡来して、大和国を建国したのだ。この視点から古事記を読めば、これまで喧々諤々と論争されてきて神話だが、それが架空の物語ではないことが明らかになる。そして、この日本の地こそが、人類創生始まって以来の善と悪の闘いの決戦場でもあるのだ。このことを、古事記の記述から紹介してみたいと思う。
 私は古語の知識は無く、全くの素人です。参考にした文献は[古事記 上中下 講談社文庫][歴史書 古事記 全訳 東京出版]の現代文訳です。どうか、皆様方にも古事記を読んで頂き、大和民族の魂に触れて頂きたいと思う次第です。


1.真実の古代日本史を隠蔽した経緯

 太安万侶の古事記序文を読むと、私たちが知る日本神話のほとんどに言及がありません。では、稗田阿礼は日本神話を暗記していなかったのでしょうか。そうではないと思います。
 天智天皇のとき、白村江の戦に敗れた結果、日本は唐の支配を受け入れ、急速に漢字化とメシア・仏教化が進み、大和国の建国の歴史と伝統が失われつつあった。それにつれて、国内の治安や風俗が悪化し、それを危惧した天武天皇は、大和建国の歴史と伝統が消失してしまう前に、唐に見せるための国書を作るという名目で、稗田阿礼に古文書を読み聞かせ大和建国の真実を記憶させたのだ。唐末期において、原始キリスト教他の宗教が徹底的に弾圧を受け、迫害を受けた一団(除福と同族で、原始キリスト教・秦氏一族)が日本へ亡命してきたのだ。
 だから、最初の古事記では、唐の軍事力から大和国を守るために、大和が旧約の正当な末裔だと知られないように、ヘブライ語を隠蔽しながら、これを元にしてひらがなを発明し、最高神・天照大神を日本固有の神とし、日本神話の核心部分を記述しなかった。そして後に、徐々に日本神話の核心部分を加筆・編集していったのだが、海外の地名や人名については、あたかも日本での物語であるように改竄し、しかも大和国の基盤を強固にするため建国に貢献のある氏族の正当性を示すために登場させる必要があったのだ。

 ■大和国の由来
シナでは、高句麗から北九州一帯に倭人が住んでいたと云う。シナは「わ」という発音に侮辱的な「倭」を当てのだ。これら倭国の国々を統一すれば、大王と大倭国の誕生だが、それが大倭国=大和国の大王である。読み方は大和人の読みで「ヤマト」=「神の民」とした。

 ■漢と魏は九州王朝を最重要の同等な同盟国とした
 九州王朝は、二個の金印を漢と魏から貰っている。漢の時代前57年の「漢倭奴国王」、魏の時代239年の「親魏倭王」である。当時の金印は、漢・魏にとって、九州王朝は彼らと同等の同盟国という意味であった。ちなみに、新羅の地位は銅印で、九州王朝の植民地もしくは支配地と見なされていた。
 西方から来た秦氏一族(ユダヤ人)が、秦王朝を建国し、秦氏一族の技術者集団・除福が日本に渡来した。秦が滅んで、中原に土着した秦氏一族の残党から漢王朝が建国される。そして、魏は漢王朝の正統な後継者と自認する。つまり、漢・魏は九州王朝を同盟国とした秦の末裔だと考えれば、何故彼らが日本に金印をもたらしたのか、その理由が明らかになる。そして、天照大神(ヤハウエ)と七福神(七大天使)の日本渡来により、大和国=日本が正統なユダヤの末裔となる。

 ■除福とローマ帝国
 BC323年アレキサンダー対応の死後、帝国は四人の将軍により分割統治された。ペルシャ以東はセレウコス将軍が統治し、セレウコス朝ペルシャが誕生した。このとき、エジプトはクレオパトラの血統であるギリシャ人のプトレマイオス朝を立てた。約百年の後、バクトリアの知事であったディオドトスがクーデターを起こし、中国に秦を建国した。つまり秦の始皇帝は、ディオドトスである。彼は除福を日本に派遣し、近畿地方に秦王国をつくり、秦河勝の秦氏一族は、藤原氏となって皇室を補佐していくのである。


2.造化三神の真実

 造化三神について日本人は誰も真実を知らない。というのは、記紀には造化三神について、きちんとした説明を伏せ、あらかじめ予備知識のある人物にしか理解できないような書き方をしているからなのだ。
 造化三神は人類創生から始まるのだから、本来はアダムとイブの創造が最初のはずなのだ。そこで、ややっこしい説明は止めて、以下に結論だけを述べてみたい。
 ■一番古い旧約聖書:J資料(ヤハウエスト資料)
 本資料は、紀元前900年頃、あるいはそれ以前に南王国ユダで成立した。
 だから、紀元前700年頃に、日本に向かった神武天皇一族は「天地創造神話」を知らなかった。だから、古事記には天地創造神話が存在しないのです。(⇒[モーセ五書の編纂])
 ■初代・造化三神
 アダムとイブは彼らの守護神の元で、地球という新天地の開拓を始める。
 ニビル星代十代統一王・アヌの時、ニビル星の大気が薄れ、これを防ぐための鉱物を採掘するため、ビル星人は地球に飛来した。ニビル星人は、地球という新天地の開拓のために、アダムとイブを創造した。だから、アダムとイブの守護神は、アヌである。ここが、大切なところだが、天王アヌは、旧約聖書では初代ヤハウエである。
 ■二代目・造化三神
 古事記ではここから始まる。すなわち、天地の生まれた後に、高天原に“天の中心にいて天を治める神”“片寄りの無い正義の心を持つ神”という意味の「天御中主神」が出現する。次に“あらゆる生命を生み出し、すべての生命の繁栄を願い見守る神”という意味の一対の神(高御産巣日神、神産巣日神)が出現した。
 天御中主神は天を治める正義の神であり、二代目天王=二代目ヤハウエは、アヌの王位を継承したエンリルである。エンリルは、ノアの箱舟から地上に降りたノア一族を“うめや増やせや地に満てよ”と祝福し、虹の契約を約束した。どうだろう、ノア夫妻であれば、あらゆる生命を救い、繁栄を願った神(高御産巣日神、神産巣日神)にピッタリである。(⇒「旧約と日本神話の皇統の関係」参照)
 だから、アダムとイブの原罪も天地創造の神も全知全能の神という嘘っぱちは、日本神話には存在しない。日本人にとっては、聖書の天地創造の神と原罪はありもしない嘘っぱちだから、架空の物語としてしか受け取らない。しかし、旧約聖書と新約聖書が普及した以後の聖書の民は、原罪を十字架として背負い、しかも神イエスを殺した精神的重圧から、神の救いをあきらめ、悪魔に使える暗黒のキリスト教時代をもたらす。そして、神を憎み滅ぼそうとする悪魔教から、地球を悪魔の王国と化す手段として、共産主義が誕生するのだ。
 ■三代目・造化三神
 イザナギとイザナミは、「天の御柱」を立て、これの周囲を回りながら結婚した。その後、夫婦が協力して、新天地で国と天孫族を生む。だから、日本神話に聖書の原罪のような男尊女卑は存在せず、男女の和合が国と家庭の安定の基盤だと教えているのだ。そして、アザナギ夫妻が油のような水蛭子を生むと、夫妻は正常な国を生む方法について、祖先神に相談した。祖先神はいろいろ相談し合い、占いを行って返答する。だから、日本神話には全知全能の神は存在しないのだ。ニビル星人の神々でさえ、決定できない事柄については、占いに頼っていたの だから、その伝統を日本神話は正統に引き継いでいるのだ。そして、当時の占い(ウラナヒ)は、シュメル語「巫女術で神に祈願する」の意味でした。
 イザナギ夫妻は、ノア夫妻から数えると、アブラハムの父であるテラ夫妻(テラはウルの国王で神官だった。ウルはエンリルの長子・月神の都でした。尚、月神は後に第四代ヤハウエに就任し、天照大神として七福神を従え、船で日本に渡来する。)に対応する。
 イザナミ夫妻の守護神である「天の御柱」=第三代ヤハウエは、二代目ヤハウエ・エンリルの後継者であるマルドウク(マルドウクはエンリルの異母兄であるエンキの長子)である。
 イザナギ・イザナミ夫妻以前に出現する神々の多くが、男女の心を持ちながらも、夫婦神ではなく「独神」とされている。それは、皇室のY遺伝子から見ると、大和民族と直接の血統ではないからだ。聖書の血統は、アダムと・イブから記述されていますが、例えばモーセやイエスの時などに途切れており、その度に新たに神と契約を行っている。だから、日本の皇統は、シュメルから始まる男子男系を引き継ぎ、テラ・アブラハムから始まる正当な皇統だということだ。
 尚、書記では、伊弉諾伊弉冉が蛭子を生み、皇祖に問いあわせる。皇祖は太占をして、夫が妻にプロポーズすべきだと、夫婦神に伝えている。この「太占」がじつは、トーラであり、天祖命=ヤハウエだとの説がある。

  ※国産み神話について
 イザナミとイザナギにより日本の国が創造されるが、その様子は、もともと大陸の浅瀬だった日本が、ノアの大洪水のような天変地異により隆起し、複数の島々が集まり、日本を形成した事実を述べているのではないかと思われる。尚、オノゴロ島とは、テラが出発したウルだと思います。(尚、最初にオノゴロ島が出現する様は、大洪水以後、水が引いて島が出現する様子を暗喩したと思われる。2016/03/21追記)
  • 天の沼矛:七枝樹二神の神名「キ・ハル・キ・ハル」から創作された。
  • 塩コヲロ:七枝樹二神の神名「キ・ハル・キ・ハル」から創作された。
  • オノゴ・ロ:メソポタミアのウヌグ・キ(バビロニア語ではウルク市、現在ではワルカ)の倭人訛りである。
  • ティティカカ湖の神話伝承から、伊弉諾伊弉冉が渡来する以前に、日本列島を支配していた各地の神々を、伊弉諾伊弉冉が国生みすることにより、和合の形で統合されたことを表現しているのだと思います。つまり、神話伝承の形式が似ていることから、インカと太陽神・ビラコチャを起点とする神々は、二ビル星人に由来しているのでしょう。(2019/05/17追記)
     太陽の島はティティカカ湖の南端、ボリビア海域にある。長さ約11キロ、最大幅4キロ足らずの小さな島である。人口は約五〇〇〇人、その多くが北部の中心地チャッジャバンパに住む。だがこの島はまた伝説の島として有名である。ここにアンデスの創造神、ビラコチャは降りたのである。またインカの建設者、マンコーカパックとその妻ママ・オクーヨもまたこの島を生んだとされる。これはこの島が古代において極めて重要な聖地であったことを意味していると思われる。(※太陽の島が伊弉諾伊弉冉が最初に国生みした淡路島の物語にそっくり)
  ※水蛭子について
 イザナギとイザナミは、最初に水蛭子と淡路島を生むが、不完全なため子の中に入れなかった。ところが、水蛭子については“葦の茎を編んで作った葦舟に乗せて、海に流した”とあり、これは英雄モーセの物語とそっくりなのだ。ニビル星の第七代の王と王妃の間に子がなく、王宮の門の所に捨てられていた子を拾って王となした物語が、原型である。(⇒[失われたエンキの記憶序説]参照)

 ■四代目・造化三神
 第四代目の造化三神は、イザナギとイザナミの子である「天照大神・月読命・スサノオウ命」の三神であることは、聖書と記紀の最重要事項であるから、少し複雑だが説明しよう。(詳細は[隠蔽された天照大神の謎を解く]参照)
 天磐神話では、天照大神が天磐に隠れ、以前よりもより輝きを増した新しい天照大神が出現する。つまり、天照大神の代替わりを物語っているのだ。
 初代の天照大神である第三代ヤハウエ=マルドウクは、長子・月神に王権を引き継がせる。だから、天照大神・月神・スサノウの三神は、エル・ランティ、エル・ランティの長子太陽神シン、スサノオにヤハウエ王朝が代替わりしたのだ。だが、日本神話では神々の本名までは書いていないので、予備知識のある者しか王朝の代替わりに気がつかないのだ。(⇒[神々の歴史]参照)
 ここで、皆さんは、天照大神が女神ではなかったのかとおっしゃることでしょう。
 もし日本神話の天照大神が、ヤハウエだと唐に分かってしまえば、大和国は滅ぼされたことだろう。そこで、この神話にもう一つの史実を重ね合わせたのだ。それは、ユダヤ人が新バビロニアに捕囚される直前、イザヤの三兄弟が迫害を察知し、ヤハウエに導かれて脱出したのだ。つまり、姉と二人の弟が新天地日本を目指して、インド経由の海路のシルクロードを通じて日本に渡来した。しかも、姉のヘフジバは、太陽神ヤハウエの神託を告げる巫女であった。つまり、女神天照が大日孁尊(オオヒルメノミコト)と呼ばれているのは、姉のヘブジバが太陽神・天照大神の巫女のことであることを教えているのだ。だから、姉の女神天照と弟の月神はユダの地に残り、スサノオの子孫が日本に渡来したのだ([古代日本と七大天使])。その様子については、別途神武東征のところで述べます。
  ※八百神について
 古代シュメルでは、アヌの長子と長女などが地球を統治し、大神として君臨した。しばらくすると、地球生まれの神々が誕生し、子神として彼らの統治する領域が細分化されていった。そして、さまざまな役職ごとに細かく神々が統治した。そして、神々が亡くなると、彼らを精霊として祭ったのだ。例えば、衛生局長官であれば「便所の神」、農林の神であれば「樹木の紙」という具合である。この伝統を引き継いだのが、北欧の妖精伝説と、日本の八百神の神だと推断するのです。

 ◇ ◇ 日本神話はシュメル神話と旧約の民・イスラエルの二氏族の合作

 おそらく、古事記を編纂するに当たり、シュメル人の顔も立てつつ、旧訳民(イエスを救世主と認めていない … 原子キリスト教徒)が天照大神を主神とする神話に編纂し、イスラエルの二氏族(ユダ・レビ族、エフライム族)を中心とする天孫降臨への正当性を示したのだと思われます。尚、男神・天照大神をこ日本固有の女神とすることで、唐の支配と弾圧から逃れようとした為、天地創造部分はぼかして挿入したのだと推測されます。
 ここで、シュメル神話と日本神話を比較してみよう。
  ◆シュメルの神々と創世神話
 シュメル人の創世神話「エヌマ・エリシュ」には、原始の水の神として、川の水である「アブスー」と、海の水の「ティアマト」、そして雲の水である「ムソム」の三神が現れる。それぞれ、太陽、ティアマト、水星に相当する。また、マルドウクは彼方のアブスーから誕生すると書かれており、つまり太陽の双子・暗黒太陽から創造されたことを意味している。
 この三神が混じり合って、世の始まりとなる神々がつくり出される。まず天の神、宇宙の神アンである。つぎが天と地の間を支配するエソリル神(風神)で、のちにニプールの主神となる。第三が大地の神、水神であるエンキで、エリドゥの主神となる。第四が、月神ナンナルで、ウルの主神、第五が、太陽神のウトウ、第六が暁の明星=金星神である女神イナンナ、これに地母神ニンフルサグが続き、これら七神をもって、運命を定める七神神話が完成する。(※例えば、アラル王の裁判、マルドウクの裁判などを行う場合、必ず七神が登場し、裁判を行っている。裁判で決着が付かない場合には、アラル王とアヌのように一対一の決闘や、アヌとエンリルとエンキが地球とニビルの支配権を巡る決定には籤が引かれています。)
 
  ◆日本神話
 日本の神話をシュメル神話と比べると、実際に語り継がれた内容が文字となった年代は、かなり後になる。原典「古事記」の成立が、AD七一二年であり、各国の神話よりも内容は詳細にわたり、具体的になってくる。
 ところが驚くべきことは、「天地の初め」の章がシュメルの創世神話にどの国の神話よりも酷似していることである。若干、初めの部分に触れて見よう。
 天と地が分れ、高天の原に現れたアメノ・ミナカヌシ、タカミムスビ、カムムスビの三神を初めとする。次に国が幼くて、水に浮いた脂のようにただよっていたときに、葦の芽のように萌え上がったものによって出来た神の名が、ウマシ・アシカビヒコジと、アメノ・トコタチの二神である。(※初めの三神が、アプス、ティアマト、ムンムに対応する。次の二神は天御中主をノアとし、イザナギをテラとする旧約の皇統とつじつまを合わせる為に挿入されたと考えられる。)
 これらの五柱の神々は、独身であり、コト・アマツカミ=別天神という。(※二ビル星人が地球に飛来した当初、アプス、ティアマト、ムンムは、双子で誕生していない。太陽系の他の惑星は、双子で誕生し、夫婦神とされています。だから、独身なのです。)
 つぎに現れた神の名はクニノトコタチ、トヨクモノの二神である。この二柱の神もまた、独身であった。(※地球飛来時にエンリルは独身だった。)
 これから後に現れる神々は夫婦神である。まずウヒジニと妻スヒジニの神、次がツノダイと妻イクグイの神、オオトノジと妻オオトノべの神、オモダルと妻アヤカシコネの神、このあとにイザナギと妻イザナミの神が現れる。
 最初の神々である先代の五神のあとに現れた、クエノトコタチの神からイザナギ・イザナミの神までを、神世七代という。(※シュメルの運命を定める七神に対応する)
 時代の変遷と国柄や宗教観の適いが、そのまま創世神話の違いとなっていることに気づく。それにしても、シュメルが創出した神々たちは、何と自然界や人間との結びつきを中心に据えた、素朴な形態をそなえて現れたことであろうか。
 川と海と雲の水と太陽、月と惑星、大いなる大地、そして夫婦神。おそらく、シュメールの信仰心の根源にあったものは、きわめて人間的な崇拝の心であったに適いない。(※地球生まれの二ビル星人が増えるに従い、様々な自然と対応した神々が生れました。つまり、八百万の神というわけです。)
 このように、シュメールの「エヌマ・エリシュ」を起点として、古代人の宇宙観を分析してみると、信仰上の理念から「唯一絶対の神が、天地、万物を創出した」とする旧約聖書以外の創世神話には、すべて共通した大自然と人との調和を基本に据える、という思想が流れていることに気づくのである。(※尚、地球でのニビル王家の争乱があり、これに終止符を打つ為に、マルドウク様が天王に就任されたときに絶対神という概念を、その長子ナブーがこれに対抗して全知全能の神を名乗りました。)
 
  ◆旧約聖書
 BC五〇〇年ごろに書かれたといわれる「旧約聖書」の創世記には、天地創造、生命創造のことが次のように善かれている(※天地創造、人類創生などは、後のように挿入されている。『バベルの謎』参照)。
「初めに神は天地を創造された。地は混沌として閻が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。光あれ…第一日の目である。そして創造の日の六日目に、神は、それぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土をはうものを造られた。我々にかたどり我々に似せて、人を造ろう。神は、御自分にかたどって人を創造された」
 
  ◆出雲大社はバビルの塔なのか!?
 バベルはヘブライ語で「混乱」の意味なので、神が言葉を乱されたとなる。しかし、本来は「バビル」で「天の門」の意味です。元々、天に届くほど高い塔を建てるという意味なら「天の門」の方が正しい原文だと思います。現実には、濡れ衣で王位を剥奪されたマルドウクが自分の力で二ビル星へ行ける「天の門」=「宇宙港」を建設しようとした物語です。
 ジグラトという建築の本質的な建築概念は、ジグラトはビラミッドでもなく、塔でもない。それは天と地を結び合わせるものという、独特の建築理念である。
 このことは、メソポタミア各地のジグラトにつけられた名によってもまた、はつきりと示されている。バビロンのジグラッドににつけられた「エ・テメソ・アン・キ」という名は、アッカド語で「天と地の礎の家」という意味であるし、ボルシッパのジグラトの「エ・ウル・メ・イミン・アン・キ」といふ名は「天と地の七つの案内者の家」という意味である。また、ラルサのジグラトには、「天と地のあひだのつながりの家」という意味の名がつけられていた。
 さらに、ここから、あの 「エ・テメソ・アン・キ」再興にあたつてのナボポラッサル王の言葉をふりかへつてみると、そこで語られていたマルドウク神の命令が、あらためて重要な意味をもつたものとして浮かび上つてくるのである。それは出雲大社の建築理念にそっくりなのです。つまり、出雲大社は日本における古代の航空基地だったのかもしれません。
 「その基礎を地下深くかため、その頂上を天にとどかせよ。

3.善神ヤハウエと大サタンの闘い

            ~ 第四代ヤハウエと聖書に出現する大サタン

 初代の天照大神である第三代ヤハウエ=マルドウクの時代、彼の実子で長子のナブーはマルドウクの王権を狙い、父を暗殺して天(ニビル星と天上界)と地(地球)を支配しようとした。その野望を見抜いたマルドウクは正義の人・月神(エンリルの長子)を長子として養子に取り、天王ヤハウエを継がせる。ところが、王権の野望を捨てきれないエンキとナブーは、死後初代大サタンと二代目大サタンに化身し、聖書に出現する数値40として己を暗示し、また天地創造の神・全知全能の神・呪う神・復讐する神・妬む神として、慈愛の神ヤハウエを詐称した。そして、天上界の人類を善導しようとする計画を、天上界に居ながら次々に邪魔をした。例えば、旧約聖書に天地創造の神・原罪・申命記をなどを書かせた。そしてイエスを残忍な方法で殺害し、再臨のイエス(1999年に出現する恐怖の大王)に化身して人類を支配しようと、メシア・キリスト教を利用してキリスト教の暗黒時代をもたらし、共産主義を人類に与えて世界大戦を勃発させて、人類と天上界を滅ぼそうとしたのだ。
 つまり、善神ヤハウエとサタンの詐称する偽ヤハウエが、旧約聖書と新約聖書に出現し、これを読む人類は、善神と偽神を区別できないがゆえに、何が善で何が悪なのかが、分からなくなってしまうのだ。この過ちを正そうとして、旧約聖書の後継者として日本神話が大和民族を通じて人類にもたらされたのです。だが、唐の支配を受けた大和国は、残念なことに、この神の歴史を隠蔽しなければならなかった。
 そしてこの大サタンを滅ぼし、人類を新しい文明へと導くために、第五代ヤハウエとして、エル・ランティ王の長子であるミカエルが、ダニエル書の預言どおりに妻と共に日本に降臨した。ついに、善と悪の死闘が行われたが決着がつかず、ついに2006年に大サタンは滅ぼされ、預言どおりに新しい天が出現しました。(⇒[天国の証 LR出版][ダニエル最終章はすでに完結している]参照)


4.イザナギの冥界下り

 造化三神の代替わりと共に、新天地へ移動して行く。不思議なことに、死者の向かう死後の国の名前がつど違っているのだ。イザナギ夫妻の時には、泉の国と呼び、イザナミが黄泉の女王に化身する。次に、天照大神・月読・スサノオの時には、常世国と呼ぶ。さらに、スサノウの出雲時代には根国と呼んで、新天地ごとに区別し、死後の世界もまた別々に統治されていたのです。

 さて、イザナギ夫妻の物語に戻ろう。
 イザナミは迦具土神を産んで、火傷をしてなくなった。悲しむイザナギは、十拳の剣で、火の神の首を切り落とすと、六柱の雷神と二中の水神が、次に山の神々が出現する。
この物語は、人が死んで様々な神々や、草木などが出現する日本神話の特徴の一つであり、ここで説明しておきたいと思う。
 十拳の剣は、十個の拳(握り)があるのだが、このような剣は人を切るための剣ではない。人に見せるための飾りか、神事で使う神器なのだ。迦具土神から、火→雷→水→山の順番で創造されたのだから、迦具土神=噴火とみなせば納得がいくのだ。つまり、大噴火では、雷が発生し、雨が降り、隆起して山ができるからだ。

 次に、イザナギは黄泉に下り、イザナミに戻ってほしいと嘆願する。しかし、黄泉の国の食べ物を食べたので、現世に戻れないというのだ。この部分はギリシャ神話(オルフォイスとユーリダイスの物語、ハーデスとペルセポネ物語)と同じだ。そして、イザナギがイザナミの腐敗した死体を見て、恐ろしくなり逃げ帰ろうとする。それに怒ったイザナミは雷神や黄泉女鬼を使って、イザナギを追う。イザナギは、黄泉の出口に立ち、入り口を大岩で塞いでしまう。追いかけてきたイザナミは、イザナギに一日千人を殺すと怒りの言葉を掛ける。対してイザナギは一日千五百人を産むようにすると返答する。他にも、スサノウが天照の支配する高天原に向かうとき、姉の天照はスサノオが攻めて来たと勘違いし、千本の矢を背中に、五百本の矢を脇に背負ったとあり、合計千五という数値が出現しており、天照が心正しいことを意味している。
 この物語は、生者の国と黄泉の国は、切断されており、一度黄泉の国に行けば戻って来られないことを教えているのです。そして、[パウロの黙示録]を読むと、千は再臨のイエスを、五百は聖母マリアを表していることが分かる(⇒[古事記に出てくる秘数]参照)。つまり千は死者を、男女を合わせた千五百は生命の誕生を意味しているのだ。


5.イザナギの禊と三貴神

 イザナギは神武東征の出発地点「日向」に出かけ、黄泉の国の穢れを落とそうと禊を行った。イザナギが黄泉の国への往復を守る神々、病気や災いから守る神々、それから水軍の神々(住吉大社に祀られている)が、出現する。つまり、イザナギの黄泉の国下りは、軍隊を引き連れての戦だったことを述べている。おそらく、テラはロトとアブラハム及び軍隊を含む一族を引き連れて、神の指示するところへ旅に出たが、途中で噴火に会ったり、賊に出会ったりした苦難の旅立ったということだ。
 穢れを落とした後、イザナギ一人から、三貴神が誕生するのだが、当然イザナミの子である。それは、スサノオが母イザナミを恋しがり、母の居る黄泉の国へ行きたいと嘆いていることからも、三貴神の母はイザナミなのだ。
 では、何故イザナギの冥界下りという物語に変わったのか、それは、第二代ヤハウエ・エンリルの長女が冥界の女王であることに関係している。地球の司令官に就任したエンリルは、ニビル星人の女性・ニンリルを見初め、犯してしまう。ニビル星の法により、王位は剥奪され、冥界落ちを命じられる。ところが、ニンリルはエンリルの慕って冥界まで追いかけ、結婚することで、無事エンリルは地球司令官に復帰する。だが、冥界のルールとして、冥界から出るには、身代わりを冥界に残しておく必要がある。そこで、王位継承者の長子・月神ではなく、長女を冥界に残した。この長女が第二代の冥界の女王として君臨する。第一代の冥界の女王は、エンリルの異母妹で、エンキと共に人類を創造したニンフルサグである。冥界は女王が支配する女王国であることを、この物語は教えているのだ。そして、エンキとニンフルサグは初代サタン夫妻である。(⇒[冥界の支配者、君臨する女王]参照)


6.スサノオと姉天照の誓約

 スサノオは姉に別れを告げるために、高天原に向かう。そこで、二人は誓約を行い夫婦として、子を産む。男子五柱の神は、稲穂神や原野神や出雲の国造の祖先である。女神三柱は、宗像大社の三神で航海の神である。これは、イザナギが妻の居る冥界に出向き、禊を行うと自分を守る豪族たちと、後継者としての三貴神が誕生するのだが、まったく同じ構造である。違うのは、スサノオ夫妻からは新たに造化三神は誕生せず、代わりに、天照はニニギ命が中つ国へ天下るときに、三種の神器を与える。鏡は神の正義で天御中主神、剣は命を守る男神、勾玉は思いやりで女神に相当し、造化三神そのものである。そして、三種の神器の象徴するるところが、大和魂である。(⇒[ツィッターと神武精神の2012/12/02]参照)
 尚、旧約聖書には、人知の介入を許さぬ神との契約・律法が明確に記されており、それ故に契約=正義として宗教集団や国家が成立してきた。一方、日本神話には、聖書に見るような男尊女卑、全知全能の神、神との契約・律法といった教義は、存在しない。しかし、相手との信頼を前提とする誓約(うけい)、男女が補完しあう協力関係が、日本神話の原点にある。それゆえ、日本神話を生活に取り入れることで、日本人の美徳が培われてきた。だからこそ、大和民族とユダヤに共通の言語や習慣が実在するにもかかわらず、別民族と見なされてきた由縁でも在ると思います。しかし、この違いこそが、神々が人類に与える契約もまた、人類の精神の発達と共に、変わるのだということを証明しているのです。

 ■日本神話は、神と皇室は血縁で結ばれている
 出雲族も大和族も、スサノウから始める血統の子孫である。皇室を遡れば、スサノウや天照に行き着く。ところが、聖書の民を遡れば、アダムとイブに行き着くが、彼らは神に創造された者で有り、神との血縁関係は無い。人類と神とは隔絶の違いがあるのだ。だから、日本人と聖書の民では、神についての観念が大きく違っており、これが社会通念でも理解し合えない原因でもある。一方、ギリシャ神話やゲルマン神話は、日本神話同様に人類は神の血縁である。しかし、キリスト教がこれらの宗教を無残にも滅ぼしてしまったのです。


7.スサノウの高天原での乱暴の真実

 スサノオは死んだ斑馬の皮を剥ぎ、袋を作ろうとします。そして、死体を天照の神聖な機織の職場に投げ込み、そのため機織娘が死んでしまう。これが原因で、天照は天磐にお隠れになるのだ。
 さて、古代日本に斑馬は居ないし、馬の皮を剥いで袋にする習慣も無い。だから、この物語が海外であり、バビロニアや中東やアフリカなのだ。つまり、スサの王(キュロス2世の時代で、BC550年頃)の時に、兄弟間で王位争奪の争いが起こったということだ。機織娘は天照大神・マルドウクの巫女を意味し、これをスサノオ(マルドウクの長子)が殺してしまった。この為、マルドウクは月神に王位を譲ったのだ。月神がマルドウクの養子に迎えられる時期とぴったり重なる。(⇒[神々の暦の前555年]参照)
 尚、機織は秦氏一族がシルクロードで富を築き、天照大神と共に、日本に渡来している。この物語は、秦氏一族の正当性をも証言している。
 次に、機織娘を殺したスサノオは、高天原から追放されるが、その前に食料を確保しようと、オオゲツヒメ神の所に連れて行かれる。オオゲツヒメは体の汚い所からも様々な食べ物を取り出し、スサノオに差し出した。スサノオはその様子を見て、オオゲツヒメを切り殺したところ、死体から蚕や稲・粟・小豆・大豆麦が生じた。神産巣日神は人類にこれら五穀の種を与え、人類は穀物を育て収穫し、蚕を育てて生糸を作った。
 この物語は、オオゲツヒメの一族は五穀を育て調理していたのだが、不潔な環境で食料を調理していたので、こんな非衛生的な調理は資材に値するほど、罪深いのだということを教えている。
日巫女を女王と間違えた理由の推測
 欧米人が天皇(=君民一体の共同統治)の存在を理解できないので、蒋介石夫婦のプロパガンダに騙され、中国の皇帝と同じものだとみなしてしまった。唯一神を信じる欧米人からすれば、日本人は神を偽称する独裁者天皇に騙され、その元で狂信的に戦争を強いられたと考えた。だから、彼らは悪魔教である天皇制を滅ぼし、日本をキリスト教化した民主制へ移行して、助けてあげようという気持もあった。同じく、皇帝性の中国には、太陽神の神妻=日巫女を中心とした神権国家の理念を理解できなかったから、卑弥呼=日巫女を女王と間違えたのだと思います。
 

※スサノウと卑弥呼=日巫女の婚姻 『サンカ社会の研究』P195

 このことについてはセブリに詳細な伝承がのこってゐる。日向日女天皇が、第二回目の御治世のとき、摂政スサノヲノミコトが出雲で、勅令をもって穴居の人民を地上に出されて家を建てさせられた。このことの勅命を受けたのが、大山見命であった。命は、この大業を、草木根国(攝津・和泉・紀伊)からはじめて、一柱国(壹岐)を最後に一年で途行した。
 

※スサノウとサンカ、氷川神社 『サンカ社会の研究』P196

 上記の伝承は穴居民が、いつごろ地上に出て生活したかを、考察するには得がたい素材である。
 かくして、地上に天幕生活をはじめ、農村をめぐつて歩く箕作は、当時出雲で、農耕に精勤されてゐたスサノヲノミコトのねんごろな撫育を受けた。今でも日本全国に祭られてゐる氷川神社の秋の祭典を、大鳥さまと呼び、箕の市が立つ。俗に百姓祭ともいふが、関東では特に農家の尊信するところである。祭神はスサノヲノミコトである。
 オゲツエビラは、蠶(かいこ)を飼育する蠶床のことで、これを箔(えびら)といふ。オゲツは、蠶をはじめて日向日女天皇に献じた豊日国の中津のオホゲツヒメノミコト(大食作姫命)であるこの姫は蠶の卵と一緒に、十四種の穀物を献上した。これから養蠶が天下に及ぼされることになる。また、一切の穀物をトヨタナツモノと呼ばれる語源も、十四(とよ)の十四種から起きた呼称だといふ

 日本は早くから衛生観念が発達していた。例えば、人糞他を大切にして畑の肥料として使い、人と動物の居住空間をはっきり分け、体を衛生的にしていた。汚い便所のことを、お便所といい、汚いところだが便所の神が見ているとして、できるだけ大切に扱っていた。だから、欧米やシナのように人糞が町のあちこちに垂れ流しで、ペストなどの大発生をもたらす非衛生的な生活環境ではなかった。日本人が衛生的なのは、日本神話の教えのおかげである。


8.スサノオの出雲支配と神武東征の真実

 スサノオは五つの名前を持つ大神で、ヤマタノオロチを退治し、草薙剣を手に入れ、出雲の地で櫛名田姫と結婚し、神殿を建てる。その時、結婚の喜びを和歌で歌った始めての皇統である。さて、ヤマタノオロチを退治したのは十拳剣で、赤い腹のヤマタノオロチから出てきた草薙剣は鉄剣である。つまり、鉄山に住む製鉄の民を、銅剣の出雲が武力で支配したことを伝えた物語だろう。日本で言えば、銅の出雲国と鉄の吉備国との関係である。
 さて、スサノオの七代後の大国主命は、兄弟に二度殺された後、スサノウの宮殿を訪ね、スサノウの宝物とスゼリ姫を連れ去り、出雲王国を建国した。つまり、スサノウの王国と出雲王国は別の土地にあるのだ。
 さて、イザナギは妻を追いかけて冥界に下り、その後三貴神が誕生する物語と、スサノウの根の国に下り、スゼリ姫と王国を建国する物語は、同じ構造だ。つまり、新天地出雲の造化三神は、大国主命夫妻とその守護神スサノウである。
 さらにここからが重要なところだ。
 大国主命はスサノウの七世の孫とあるが、じつは二度死んでいるので、初代の大国主命は、アブラハムから5世の孫は、神武天皇に当たるのだ。これは一体どういうことなのだろうか!それをこれから説明しよう。
 ニニギ(ヤコブ)→山幸彦(ヨセフ)→ウガヤフキアエズ(エフライム)→神武天皇(ベリア)にそうとうする。この旧約と皇室の皇統についての対比は、日本神話と旧約の個人についての物語がそっくりなことからも、正しいことが頷けるのだ。
 そうなると、エフライム族のベリア=神武天皇であれば、神武天皇の時代は紀元前15~16世紀あたりとなり、神武天皇の即位を紀元前660年と年代が合致しない。だとすれば、エフラム族のベリアの子孫がシルクロードを経由して、銅文明の殷王国を建国したと考えれば時代もぴったり合致する。さらに、殷王国は製鉄の王国を従えていたのだ。
つまり、エフライム族のスサノウ(ベリア)がシルクロードを通じて殷王国を建国し、その子孫大国主命が、日本の出雲に王国を建国したのが、スサノウから大国主命の日本神話の真実だと思う。だから、エフラム族は聖書の正統な皇統であり、出雲王国はその子孫だった。
その後、聖書の皇統はエフライム族から、ダビデ王のユダ族に移る。そして、神武天皇の即位の頃、北イスラエルが滅亡し、新バビロニアによる迫害を逃れて、インド経由で新天地日本の日向に渡来したユダ族が居た。それが、「■四代目・造化三神」で述べたイザヤの三兄弟(姉と二人の弟)だった。だからこそ、出雲は正統な皇統であるユダ族に、政権を禅譲したのだ(⇒[神武天皇を即位させた物部氏]参照)。このエフライムの皇統にユダの皇統を束ねて大和国が建国されるのは、じつは旧約聖書・エゼキエル書の預言「エフライムの手にあるヨセフの杖(王権)と、それにつくイスラエル諸部族とを取り、それらをユダの杖(王権)に合わせて、一本の杖とし、わたしの手の中で一つとする。」に明記されている。その印として、神社の入り口にある一対の狛犬をよく見ると、片方は一角獣で、もう一方はライオン(古代日本ではライオンを犬としていた)である。ご存知だろうか、一角獣はエフライム族、ライオンはユダ族のシンボルだということを。つまり、神社はイスラエル十二支族のうちのユダとエフライムの正統な皇統だということだ。だから、日本人=大和民族は神の民なのである。尚、ユダ族と一緒に、ヤハウエの司祭であるレビ族も一緒に日本に渡来しており、天磐神話に出てくる中臣氏や忌部氏である。
 そして、神武東征の物語は、イザヤの子孫がユダの地からインド経由で日向に渡来するまでの物語である。神武の建国した土地はおそらく、インドだろう。そして、崇神天皇が日本に大和国を建国した天皇である。おそらく、天照を最高神に位置づけたユダ族である原始キリスト教の一族は、エフライム族の日本への渡来をスサノウと大国主命の物語として、天孫族と明確に別皇統として区分けしてしまったのだと思う。

 ■『古事記』因幡の白ウサギ伝説 [日本ユダヤ王朝の謎 p16~p24]
 むかしむかし、大物主命の兄弟たちが、イナバのヤガミ姫を妻にしようと出かけていった。兄弟たちは荷物を入れた重い袋を大物主命にかつがせた。一行がケタの岬に着いたところ、ワニをだましたために丸はだかにされた兎が泣き叫んでいた。兄神たちが兎をいじめようとして「海水を浴びて風に当たれ」と教えた。兎がそのとおりにするとますます痛くなってしまった。
 後からやって来た大物主命がそれを見て、「どうして泣いているのか」と聞く。兎は、「オキの島からここへ渡ろうとしたのです。それでワニに、一族の数がどちらが多いか比べてみよう。この島からケタの岬まで並んでみたま、え。その上を踏んで数えてみるから、と言ったのです。ワニはまんまとだせされて並んだので、数えるふりをして首尾よく岬に着いたのです。それで、もう大丈夫と思い、『おまえたちはオレにだまされたんだ』と言ったら、ワニは追いかけてきてかみついたのです。そこで、先に行った神様たちのいうとおりに傷を手当したら、ますます痛くなったのです」と言う。
 これを聞いた大物主命は、「すぐ河口へ行って淡水で体を洗い、蒲の花粉の上で浸ころべ」と教えた。そのとおりにすると兎はもとのとおりに治り、喜んで、「あなたはきっとヤガミ姫を得るでしょう」と言った……。
 ところで、日本にもワニがいたのだろうか?
 従来、ワニというのは王仁氏という人物だとか、ワニ鮫のことだ、とか説明していたが、この説明は戦時中、いわゆる皇国史家によってあみ出されたものである。オオクニヌシ(大物主命)は古来民衆に人気のある神様で、戦前はたいてい商人の家にエビスサマと一緒に祭られていたが、実際二人の神様はワニの国からセットになってやって釆たのである。
 『日本書紀』にワニだまし説話がないことから、『古事記』を作った目的はオオクニヌシ一族の祖先顕彰にあったという説すらある。
 因幡の白ウサギ神話は中国と朝鮮がルーツではない。マレー半島にはワニだまし神話の原型があるから、逆に、日本から中国朝鮮へ伝承されたのもだろう。
 西村真次は、次のように述べる(『南方民族誌』)。
 ジャワの伝説によると、ネズミジカはかねがね河を渡ろうと思っていたが、洪水で水嵩が増してとても泳ぎきれそうにない。そこで、岸に立ってワニを呼んで「私は今度王様の命令で、お前さん達の頭数を調べにきました」といった。ワニは一列に並んで、こちらの岸からむこうの岸まで続いた。ネズミジカは「一つ、二つ、三つ」とかぞえながら、ワニの背中を踏んで対岸に渡り終わると、ワニののろまさを嘲った。この話はイナバの白兎がワニをだました話と少しも異っていない。スマトラやジャワやボルネオやマレー半島では兎がネズミジカになっているが、安南やカンボジアでは猿になっている。こういうふうに神話伝説が似ていることは、遠い昔に一つの元から出た神話伝説を携えて、インドネシア人やメラネシア人が、海上に出たということを証明するものである。
 イナバの国にワニが生存せぬものとすれば、この伝説は他より渡来したものに相違ない。これと全く同一な伝説がマレイ地方にある。それは、有名なる『鹿の物語』に出てくるワニに関する一説である。それは次の如くである。鹿は、かくて或る川の岸に達した。その向かいの岸に一本の木があって、たくさんの果物があかあかと熟して、いかにもおいしそうに見えた。その果物は猫目のようなものであった。そこで鹿はその果物を食べたいと思い、どういうふうにして川の向こう側に行くかということを考案した。
 そこでしばらく考えていたが、椰子の実を手にとり、一本の杭の上にのぼって次のように叫んだ「お前達、ワニどもよ。川面に浮かんでこい。そしてここから向こう側まで一列に並んでくれ。自分はソロモン王から命令を受けて、お前達皆を数えに来たのだ」
 その言葉を聞いて水中のワニ達は全部、浮き上がった。小さいのも、大きいのも、男も女も、皆浮かび上がって、こちら側から向こう岸まで一ばいになった。そこで鹿はワニの頭上に乗り、一ツニツ三ツ…ボンボンと椰子の実で打った。これは大きい、これは小さい、といってまた打った。男だ、女だ、といってまた打った。
 こうして鹿は向こう岸に達すると、すぐ岸に飛び上がってワニたちに、「お前達はおれにだまされたのだ。なぜならば、自分はこちら側に移り、このマタタロン(果物)を食べたいためにソロモン王がお前達を数えろと命じたといってあざむいたのだ。お前達は頭をなぐられた。自分は非常に満足した。これから自分は、おいしい果物を充分に食べられる。チェッ、お前達は馬鹿だ」
 鹿は、その果物を満足して食べたが、鹿のこの言葉を聞いて全てのワニは皆大変憤慨して、次のようにいった。「よし、鹿よ。まさかお前は、今後水を飲みに川へおりて来るようなことはなかろうな。もし来れば、そのときこそ充分におまえをいじめてやるぞ」
 鹿はこれに答えていった。「そうか。よろしい。もしおれをつかまえられるものならば、ほんとにやってみてくれ、ワニ達よ」
 マレー半島におけるこのワニだまし説話は、明らかに『竹書紀年』や『親書』よりも『古事記』に近い。というより全く同じである。なるほど、マレー地方ならば、海を埋めるほどのワニもいる。
 ワニだましとその周辺の説話の分布は、マレー海域から中国大陸、朝鮮半島、日本列島への広範で大規模な人間の移動を示すものである。
 また、天照の弟であり、大物主命の養親でもあるスサノオが大蛇を殺したとき、彼の剣が刃こぼれしたという『古事記』の説話にしても、石の剣ならば刃こぼれでなく、欠けてしまうから、刃こぼれした剣は青銅または鉄製の剣であったはずだ。だからスサノオは金属時代の神であるが、それもまた年代が合わない。スサノオの時代を前一千年より以前として、日本列島は土器文化だったが、オリエントではすでに青銅と鉄の文化がさかえていた。だからスサノオの国家はオリエント以外にはないではないか。
 二つの神話を比較すると、マレー神話の「ソロモンの命令を受けた鹿」は『古事記』の「大物主命に助けられた兎」に対応すから、ソロモン・イコール・大物主命という図式が成立するのである。なるほど、大物→オーモン→ソロモンと考えれば、謎はとけてしまうのだ。ちなみに、『古事記』が「スサノオの子大物主命」というのは、『旧約聖書』が「ダビデの子イエス・キリスト」というのと同じょうに象徴的な意味である。


9.天照大神の日本渡来

 イエスの真実を知る原始キリスト教は、イエスは人類の救世主では無く、母マリアと大司祭ガブリエルの子とし、洗礼者ヨハネの弟子として、その教えを伝えた人間の一人天としていた。一つのユダヤ教の一分派だった。しかし、イエスを人類の救世主に、葉はマリアを処女受胎した聖母と祭り上げるメシア・キリスト教は、キリスト教以外の宗教を弾圧した。特に、イエスの真実を知る原始キリスト教を徹底的に弾圧し、滅ぼしてしまったのだが、その一派がシルクロードを通じて紀元200年頃、日本に渡来する。その後、原始キリスト教の秦氏が迫害を逃れキリスト教の神々と共に船に乗り海を渡って日本に渡来し、天照大神を最高神に位置づけたのである。つまり、七福神が渡来したのだ。(⇒[古代日本と流浪のユダヤ人]参照)(⇒「秦氏と日本神道」参照)
 だが、日本の皇統がじつは、ユダヤの皇統である事が大陸に知れると、日本自身が滅ぼされ、朝鮮のように植民地化され、大和文明が破壊されてしまう危険があった。だから、原始キリスト教の日本渡来を隠蔽してしまった。それゆえ、古事記を読むのが非常に難解なのだ。しかも、第二次世界大戦に敗れ、ユダヤ系財閥から日本政府に対しモーセの三種の神器を返せと要求されたが、日本には漢字以前の神代文字は存在せず、だから三種の神器も存在しないと返答せざるを得なかった。それ以来、日本には神代文字は存在せず、天照大神は日本固有の神だと言う考えが定着してしまったのだ。しかし、イザヤの時代に三種の神器は日本に持ち込まれ封印された可能性が大だと、個人的にも思っています。
 また、皇室の十六菊花門の由来は、アメンラー・マルドウクとエンリルの末子アダトとの協定により誕生した。太陽神アメンラーは数値6で、アダトは数値10をシンボルとしていたので、合計して16なのだ。(⇒[皇室とフセイン大統領、十六菊花門の由来]参照)


10.葛城王朝9代の謎

 日本神話の事実を分かりにくくしてしまったのだが、神武天皇をベリアに位置づけることで、神武天皇~開化天皇までの皇統を追記した。ヤハウエの皇統と比較すると、何と驚くことに、各天皇の物語と人物像が、モーセ、ヨシュア、ダビデ、ソロモン、サウルの特徴に符合してしまうのです。つまり、古事記の中に暗喩としてユダヤ民族の皇統が綴られていることが、明らかとなった。(⇒詳細は[葛城王朝9代の謎]参照)
  • 孝霊天皇 ⇒ モーセを暗喩で表している。
  • 孝元天皇 ⇒ ヨシュアを暗喩で表している。
  • 崇神天皇 ⇒ ダビデ王を暗喩で表している。
  • 垂仁天皇 ⇒ ソロモン王を暗喩で表している。


11.大化の改新はヤマト(ヤハウエの民)の復活だった

 大化の改新は、シナの官僚制を導入したとされているが、これは明らかに誤りである。[古代日本と流浪のユダヤ人]で説明したが、古代シュメルにの生活は、現代の日本とほとんど変わりなし。就職を心配する若者、教育ママと受験に苦しむ子供、離婚訴訟、恋の歌などがあり、王国を統治する神殿には官僚制度が整っていたのだ。シュメルやバビロンの高度な知識を持つ一族が、政変のたびに、シルクロードを通じて、シナ大陸に王国を形成していった。そして、シルクロードの大陸での終着点である中原の富と財を求めて、周囲の王国が次々に王朝を建国して支配した。その蓄積が儒教(儒=ユダのことで、ユダヤ教)、漢字、他の文明、科挙や官僚制をもたらしたのだ。だから漢民族独自の文明や発明ほとんど存在しない。
 だから中東から新天地を求めてきた民族は、日本に取らしたときに試験制度と官僚制度を知っていたのだが、日本ではモーセの民のような部族制度を保っていた。しかし、大和国では、ユダ王国とも異なるが、祭祀と政治を分離し、天皇の下に、祭祀と政治を置く、日本式の官僚制度が整えられた。画期的な政教分離の体制が整えられ、政治の部分が、藤原氏や武家や明治政府や日本国憲法に置き換わったが、天皇制は変わらず現代でも生きているのだ。
そして、大化の改新の中身を見ると、それはモーセの立法の復活でしかない。(⇒[大化の改新はヤマト(ヤハウエの民)の復活]参照)

 ■ニビル星の皇統の第一継承者は、異母妹との間の長子
 旧約聖書では妻の子とを妹と呼んでいるが、同じ習慣が日本にもある。また、旧約も日本も同じ男子男系である。これは、ニビル星神の皇統の形式をそのまま引き継いだものである。
 ■ニビル星では、寡婦は独身親族が妻とするのが伝統
 イナンナの夫が亡くなった時の記述から、夫の男兄弟の独身者、独身者が居なければ兄弟の誰かの子種をもらうのが習慣だった。ユダヤにも同じ伝統があり、それは身寄りの無い寡婦の社会的な保護にもなる。例えば日本では、神武天皇が亡くなると、神武と他の皇后との長子が、大后を妻に迎えている。

 ■本HPでの聖徳太子関連
 4-6.大和朝廷と九州王朝
聖徳太子の出自には、九州王朝が深く関与している。仲哀天皇が亡くなり、神功皇后は住吉大伸の子を生む。この海神こそは九州王朝そのものと言ってもよい。だから、応神天皇の血統から、強引に男大迹王の血統に王朝を切り替えたのだ。尚、神功皇后が行った神降ろしの弾琴巫女術はシュメルが起源です。
 4-7.太子の出自と謎解き
太子は河勝と共に、天皇(当時は大王)の元で中央集権的な政治改革を断行し、軍事的にも強力な独立国家を目指した。太子の母親は蘇我氏だというのに、蘇我氏はなぜ即位させなかったのか?そこには太子の出自にまつわる隠蔽された謎があったのだ。
 4-8.聖徳太子の偶像と古代日本の隠蔽
イエス、モーセと同様に聖徳太子が偶像化・神格化されてしまった。その背景には、白村江での敗北により、唐GHQ軍が九州に駐留したからだ。強大な唐軍の弾圧を避けるために、古代日本史の真実と母国語と出自を隠蔽した。その謎を付く解く。
 4-9.太子革命とサタンの跳梁
太子を弥勒菩薩の化身、さらにはイエスの化身と偶像化・聖人化した。そこに、聖書に出現する呪う神・復讐する神が、革命を起こし、ヤハウエに導かれた皇室を滅ぼそうとする謀略があった。ローマのキリスト教革命と同じやり口だった。
 4-10.隠蔽された天照大御神の謎を解く
隠蔽された天照の謎を、天照神話から解く。同時に、三貴紳の出自とルーツを紹介し、猿田彦夫妻と秦氏の関係を述べる。驚くことに、神話の中に太子一族の死因までもが暗示されている。また、スサノオが斑馬の皮をはぎ、機織り娘を殺したのは理由はなんだったのか・・・
 4-11.十七条憲法と日本の国体
太子当時の有力氏族は渡来人で、目には目、十戒、皇帝思想しか知らない。だから、互いを思いやる和の精神を以て国造りを行うことは、何と厳しく困難なことだったことでしょう。それゆえ、守屋一族と太子一族は亡ぼされ、河勝は迫害を受け、稗田阿礼は咎無くして殺されたのです。


12.物言わぬホムチワケ命

 古代日本では、口がきけない原因は病気ではなく、魂の一部の欠落だと考えられていた。そのため、船に乗せて体を揺らすことで魂を活性化させたり、魂を運ぶとされる白鳥と遊ぶことで、本来の魂を呼び戻そうとした。だから、ホムチワケ命が出雲大社に詣でて、口がきけるようになるのは、大国主命の魂を受け入れたということだ。つまり、日本の皇統は、常にエフライムとユダの結合だということを言いたいのだ。


13.名前を交換した応神天皇

 応神天皇はホムタワケ命と云うのだが、不思議なことにこの名は「タ」と「チ」の違いはあるが、物言わぬホムチワケ命と同じ名前だ。
 さて、応神天皇は九州で生まれ、計略を用いて大和にて王位につくのだが、不思議なことに、武内宿禰に福井(越前)にある気比大社に禊に連れてゆかれる。そこで、気比大社のイザサワケ大神が、ホムタワケ命と名を交換したいと申し出て、そのお礼に大量の鼻に傷のあるイルカを応神天皇にプレゼントする。以後、応神天皇はイザサワケ命と名乗るようになる。
 応神天皇が名を交換したことにより、海神である気比大伸を従えたことになる。つまり、ホムチワケ命は出雲の魂を受け入れることで口がきけるようになったのだが、名を交換することで、越国を支配する神の守護を受けるようになったのだ。福岡には秦王国があり、越の国もまた秦王国であった。つまり、応神天皇は天照大神を最高神とした秦氏の全面的なバックアップを受けていたのだ。そして、越の国出身の継体天皇は応神天皇の血統である。だから、現在の皇室もまた応神天皇・秦氏一族の血統である。
 秦帝国から除福が日本に渡来しますが、当時では大秦とはローマのことで、そこから来たので「秦」と云うのです。除福一族の技術集団は、北陸の越国を建国した旧約の民・秦氏一族だったと思います。そして、薩摩の秦王国は原始キリスト教の秦氏一族で、応神天皇により、北と南の秦一族が結合し、男子男系はユダの血統だということです。
 尚、応神天皇父である仲哀天皇は福岡で政治を行ったが、神宮皇后に乗り移った神の言葉を信じずに、この神に殺されてしまう。些細なことで人を殺してしまうような妬む神・呪う神・復讐する神は邪心、すなわちサタンである。皇室は天照大神に導かれながらも、旧約聖書や新約聖書同様に、少なからず邪心の影響を受けているのが事実である。尚、ダビデ王やソロモン王や十二使途に関する聖書の記述には、頻繁に40が出現しているが、この40の暗示するところは、彼らがサタンの支配下にあったことを物語っているのだ。(⇒[使徒行伝とサタン]参照)
 ■応神天皇は九州王朝と畿内王朝との統一をもたらした
 応神天皇の母神功皇后は、九州王朝を従え、三韓征伐を行う。仁徳天皇の父である応神天皇は、食事をもたらす神を意味する気比神宮の主神と名を交換した。この時、倭=和の諸国は、応神天皇により統一され、大和朝廷に至った。この血統が越前の大王・継体天皇として復活し、現在の皇室にまで繋がる。
 ■記紀では目立たない仲哀天皇だが、本当は神の人で有り、大和を救った。
 神は肥沃で資源豊かな新羅を与えようと、仲哀天皇に告げる。だが、天皇は新羅は貧しく、資源も無いと正直に返答する。ところが、神は正直者の天皇を殺してしまうのだ。正直者を理由も無く殺してしまうのは、常識的にも慈愛溢れる神では無い。この嘘つきで残忍な神を偽証する悪魔は、大陸の内乱に大和を巻き込もうとしたが、仲哀天皇と皇后により阻止された。即ち三韓征伐は行ったが、植民地支配はせず、軍隊を直ぐに引き上げた。
 天智天皇は朝鮮半島の内乱に巻き込まれて、白村江の戦いに敗れ、漢字化・仏教化を受け入れざる得なかったが、神道は残った。そして、天武天皇により、国号を日本と定め、記紀の編纂により日本文化の存続に努め、唐滅亡の内乱には巻き込まれなかった。
 秀吉は、キリスト教を利用したスペイン・ポルトガルの残忍な植民地支配を跳ね返すため、朝鮮を通路として、明王朝を滅ぼそうとした。彼は大陸の内乱に巻き込まれる前に亡くなり、半島から兵を引き上げ、明滅亡後の内乱に巻き込まれずに済んだ。
 しかし、天皇を頂く左翼思想の軍部が、昭和天皇の言葉を聞かず、欧米は日本を滅ぼそうと経済封鎖と人種差別を断行した。結果、日本はシナの内乱に巻き込まれてしまった。しかし、大東亜戦争により、欧米諸国の植民地は独立を勝ち得た。シナ・ベトナム・カンボジアは共産主義による辛苦をなめ、内モンゴル・チベット・ウイグルは未だに弾圧が続いている。
 このように古代から、日本をシナの内乱に巻き込み、神道の国・日本を腐敗した皇帝思想の国へ移行しようとしたのは、旧約新約聖書に出現するサタンだ。だから、歴代天皇は大和民族を滅ぼそうとするサタンとの闘いにおいて、神に守護された日本を救ってこられたのだ。

 ■仲哀天皇とサタン・ダビデの謀略 2013/03/18
 神託は間違っており、新羅は、沃地でもなければ、貴重な鉱産物が出る国でもない。だから、仲哀天皇の利に惑わされない神の申し出を断ったのは、正しかったのだ。その点、大東亜戦争直前、朝鮮併合に反対派の伊藤博文が朝鮮人暗殺され、朝鮮人からの申し出により併合したが、朝鮮には鉱物も農産物も文明も無く、日本が莫大な投資を行うことになる。その後、シナ大陸の内乱へと誘導されてしまうのです。では、この神功皇后に憑依した自称神は何故、仲哀天皇を無慈悲にも殺し、新羅を攻めさせたのだろうか。先生から、仲哀天皇を殺した神は、サタン・ダビデだとメッセージがありました。確かに、正しいことを述べた者を殺してしまうのですから、悪魔に違いない。
 秦帝国が出現する以前は、長江河口から九州に掛けて倭国(九州王朝)だった。秦帝国により、シルクロードが封鎖され、イスラエル人・秦氏・月氏諸々が、日本に亡命してくる端緒となる。そこで、畿内王朝は故郷の情報を得ようと、朝鮮半島に基盤を持とうとした。一方、それまで朝鮮半島を支配していた和国は、秦帝国に圧迫され、九州を本拠地とするようになり、朝鮮半島は資源も無く、ただの通路として放置された。ただ、鉄鉱石採集のために任那を本格的な植民地としたのでしょう。
 そして、三韓は倭国から徐々に離反するようになった。そこで、神功皇后が新羅を含む三韓を征伐したが、賢明にもこの地を併合したり植民地化しなかった。このため、大和朝廷は高句麗と秦帝国と直接対峙せず、秦帝国滅亡の内乱に巻き込まれることは無かった。倭国=和国で、その統一王朝が大和朝廷なのだ。そして、九州王朝と畿内王朝の本当の統一王朝が、応神天皇により実現した。ただ、新羅は高句麗の属国となり、倭国から完全に離反するようになる。そして、白村江の戦いで、天智天皇軍は敗北するのです。
 だから、サタン・ダビデの神託に従い、三韓征伐を行い、大和が本格的に軍を駐留させれば、大東亜戦争の二の舞になっただろう。軍を引き上げたのだが、新羅は大陸側に寝返ってしまい、それが白村江の敗北につながり、大和は漢字化や仏教化を強制されてしまった。そして大和民族=ヤハウエの民がシナ文明に飲み込まれようとした。その時、日本を救ったのは唐の滅亡と、天武天皇だった。
 ■斉明天皇と白村江の戦い
 斉明天皇は、すぐに博多で亡くなる。『日本書紀』の「斉明天皇紀」には、朝倉社の木を切り払って宮殿を作ったので、神が怒って宮殿の建物を壊したり、宮中に鬼火が現われ、天皇の側近に病死する者が多かったりしたこと、また天皇の死後、朝倉山の上に大笠を着た鬼がいて、喪列を見物していたことを記していて、当時の異常な精神的状況がうかがえる。
 斉明天皇が百済の復興を果たさずに亡くなった後、皇太子だった天智天皇が遺志を継いで、百済の救援を指揮するが、二年後の六六三年、白村江(現在の錦江)の河口で、倭人の艦隊は唐の艦隊に大打撃を受けて全滅する。それを境にして、倭人は韓半島から追い出されて、日本列島だけに閉じこめられてしまった。


14.日本の武士道について

 皇室を守ることを聖戦だとしたのは、楠木正成でした。日本武尊や源義経から始まる武士の歴史は、彼により精神的にも論理的にも戦略的にも武士道へと進化して行きます。この基盤の上に、信長・秀吉・家康、そして皇軍と日米安保を見据えよう。(⇒[日本神話に刻まれた神々の叡智]参照)


15.太安万侶の古事記序文

 [歴史書 古事記全訳]から抜粋しました。これを読んで驚いたのは、古事記が数代にわたり加筆改編されたことを物語っていたからです。暗喩ながらも大和民族の出自を伝える古代日本神話ですら、初版古事記には掲載されていなかったのだと思うほど、当時の日本は混乱していたのかも知れます。その一つが、稗田阿礼と柿本人麻呂が、古事記編纂に貢献したが、稗田阿礼が藤原一族であり、柿本の人麻呂が立派な文章にしたとされている。だから古事記の真実を知る柿本の人麻呂が“とがなくして死す”を残しているからです。つまり、彼らは己の命を賭して、日本神話の真実を守り抜いたのです。
 しかし、日本神話の秘密は、日本歌謡の中に天照大神のメッセージを封じ込めて、つまりヘブライ語聖書に神々のメッセージが暗号化されていたように、日本では歌として今日まで伝承されてきたのです。それは、善と悪の最終決戦がここ日本で行われること、第五代ヤハウエ夫妻の出現がダニエル書で預言された人類の救世主であること、大サタンは第四代ヤハウエの義理の弟であること、最後の審判ではこの大サタンを天上界が正義の剣で滅ぼすことを告げていたのです。そして、天上界が数度の聖戦で、大サタン軍団を滅ぼし、新生天上界の出現を現すエノクの虹の預言も成就されました。(⇒[古代日本歌謡:人類の救世主][古代日本歌謡:悪魔の謀略][古代日本歌謡:モーセの苦悩][古代日本歌謡:ブッダの苦悩][古代日本歌謡:正法再建の時]参照)
 つまり、古代の大和民族や日本人は大サタンの魔手から正法=神に仕える掟を、死を賭して守り抜いてきた。そして先の大戦では、英霊が悪魔の共産主義やメシア・キリスト教から、日本の国体を守り抜いたのです。これが大和民族日本の本当の姿なのだと思います。
 現在の日本は反日勢力・反日国家、左翼勢力により、皇統までもが滅ぼさされようとする危機に直面しています。人類創世から続く神々と共に闘い守り続けてきた皇統・正義の原点に立ち返り、現代の日本人が日本を滅ぼそうとする悪魔の軍団と闘い、これを正義の剣で滅ぼす時なのだと思います。


『古事記』序文

 臣太安万侶が申し上げます。
 そもそも宇宙の初めのころのことは、明らかにしようがありません。すべてが混じり合った中に世界の根元がすでに固まっていても、まだ生成力も形も現れていなかったからです。
 しかし天と地とが初めて分かれると、天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神という男性と女性の力を共に持つ三神がお生まれになりました。また陰と陽の二気に分かれて、男性と女性の違いが出来ると、伊邪那岐命・伊邪那美命の二神が万物を生み出す祖神となられました。
 そして伊邪那岐命が、黄泉国を訪れた後、現世に帰って、楔ぎをされて目を洗われました。この時に日と月の神がお生まれになりました。さらに伊邪那岐命が海水に浮き沈みして身を洗われた時にも、多くの神々が出現されました。
 神代からの古伝承によって、神様が国土を生まれ島々を生まれた時のことが明らかになるのです。
 天地の分かれる前の元始のころのことは、はるかに遠い太古のことで、明らかに出来ません。しかし、古代の賢人のおかげで、神々がお生まれになり、神様が人間を生み出したころのことを知ることができるのです。
 神々が天の岩屋の神事で、賢人(さかき)の枝に鏡を懸けられました。天の真名井の誓約で、須佐之男命が玉を噛んで吐かれました。こういったことのおかげで代々の天皇が相続くことになりました。
 天照大御神が剣を噛まれ、須佐之男命が大蛇を退治された後に、多くの神々が繁栄されました。
 このあと天の安河の河原で神々が相談されて、建御雷神が伊那佐(いざさ)の小浜に降らせ、大国主神と交渉して葦原中国を平定することが出来ました。
 かくして適適芸命(ににぎのみこと)が、初めて高千穂峯に天降られ、神武天皇が大和に入り永く続く皇統を開かれました。
 ある時は、熊の荒らぶる神に悩まされ、天つ神の降された霊剣を高倉下から献られて助けられました。ある時は、尾を付けた毛皮の服の人に道で遭い、八爬烏の導きで吉野に入りました。忍坂では歌舞を合図に八十建を討ち、賊を従えました。
 崇神天皇は夢に神のさとしを受けて、天神地祀を崇敬したので、賢君と称えられています。仁徳天皇は民家の煙を見て民を慈しんだので、今に聖帝と伝えられています。
 成務天皇は近江の高穴穂宮で国郡の境を定め地方を開発し、允恭天皇は飛鳥宮で氏・姓を正しく制定しました。このように歴代天皇の政治には、それぞれ緩急の差があり、派手なものと地味なものとの違いはあります。けれども、道徳(※神に仕える掟。登録者)のすでに衰えているのを正すためには、古代のことを明らかにして、過去の天皇のことを知るのがよいのです。それによって現今の姿を考えて、道徳の絶えようとするのを防ぐのです

(2)

 飛鳥の浄御原宮で大八島国を御統治した天武天皇の御代のことです。先帝である天智天皇の治世に、大海人皇子は皇太子ながら、すでに天皇としての徳を具えていました。そのために天武天皇は、即位の時機が到来してその徳を発揮して朝廷を大きく発展させることになりました。
 天皇は夢の中で聞いた童謡を皇位を継ぐ意味と判断し、夜半に横河で黒雲の広がるのを見て、やがて皇位を継承されることを予知しました。
 しかしながら天運がまだ到来するに至らず、大海人皇子が皇太子の地位を去って出家のため吉野山にこもったことがありました。このあと大海人皇子は兵を集める手筈を整えて、東国に勇ましく進出しました。
 さらに皇子は輿(こし)を進めて山を越え川を渡り、雷電のような凄まじい勢いで進撃しました。矛が威力を示し、勇士が煙のように四方から起こり、赤い旗が兵器を輝かしました。
 近江の軍勢は、瓦の崩れるように敗れ去りました。こうしてまだ十二日もたたないうちに、邪気はおのずから清められました。
 そこで大海人皇子は戦に用いた牛や馬を放って休息させて、心安らかに大和に帰りました。旗を巻き矛を収めて、戦勝を喜んで歌い踊り、飛鳥の都に凱旋されたのです。
 かくして酉の年(六七三年)の二月に、大海人皇子は浄御原宮で即位しました。新たな天皇の政治は、古代中国の黄帝(中国の聖帝)に勝り、御聖徳は周の文王(中国の賢人。※尚、周=ジュでユダヤ人の王国です。登録者)より優れていました。
 天武天皇は三種の神器を承け継いで天下を統治し、皇統を承けて天の下を隈なく統合して良い政治を行ないました。そのために、陰と陽の二気が正しく作用し、また木火土金水の五行が順序正しく循環しました。
 天皇は神祀を崇敬して良俗を奨励し、すぐれた徳政を国内に広めました。
 それのみならず、天皇の知識は海のように広く、はるか昔の事まで探究されました。天皇の心は鏡のように明るく、先代の事をはっきり見きわめました。
 このような天武天皇がこう仰せられました。
 「諸家に伝わっている『帝紀』および『本辞』には、真実と違う虚偽を加えたものがはなはだ多いということです。そうだとすると、その誤りを改めておかねばなりません。そうしなければ今後幾年もたたないうちに、正しい歴史が失われてしまうにちがいありません
 そもそも『帝紀』と『本辞』は、国家の原理を示し、天皇政治の基本となるものです。それ故、正しい『帝紀』を選び、『旧辞』をよく検討して、偽りを削除したうえで正しいものを定めて、後世に伝えようと思います
 そのころ氏は稗田、名は阿礼という、二十八歳になる舎人が天皇のお側に仕えていました。この人は生まれつき聡明でした。かれは文章を一目見ただけで口に出して音読することが出来、一度耳にしたことは記憶して忘れなかったといわれました。
 そこで天皇は阿礼に命じて、『帝皇の日継』と『先代の旧辞』とを繰り返し涌み習わせました。しかしながら天皇が亡くなり、時世が移り変わったので、その御計画が実行されるに至りませんでした。

(3)

 今上天皇(元明天皇)が即位した後、天皇の聖徳が天下に満ちわたり、万民は安心して生活しています。天皇が皇居にあっても、その御徳は馬の蹄の止まる遠い地の果て、また船の舳先の止まる海原の果てまでも及んでいます。
 朝廷の書記官は太陽が空にあって光を重ねる瑞祥(めでたい出来事を予言するもの)、雲でもない煙でもないものが空に現れる珍しい瑞祥、連理の枝(一本の木の枝が他の木の幹や枝とつながったもの)や一本の茎に多くの穂の出る瑞祥などを絶えず記録しています。また次々に蜂火をあげて知らせるような遠い国や、幾度も通訳を重ねるような遠い国から送られる献上品が、いつも宮廷の倉に満ちています。
 このような聖徳の高いいまの天皇は、夏の萬王や、殷の湯王といった中国の優れた君主にもまさっています。
 天皇は、『旧辞』に誤りや間違いのあるのを惜しまれて、『帝紀』の誤り乱れているのを正そうとしました。そのため和銅四年九月十八日に臣安万侶に詔を下しました。
 「稗田阿礼が天武天皇の勅命によって涌み習った『旧辞』を書き記し、書物として献上しなさい」
 と仰せられたのです。そこで私は、謹んで命令に従って事こまやかに採録しました。
 しかしながら昔は、言葉もその内容もともに素朴でした。そのためそれを文章に書き表すとなると、漢字の用い方に困難が生じます。
 すべて漢字の訓を用いて記した場合には、漢字の意味と言葉の意味とが姦しない事態が多く生じます。また全部漢字の音を用いて記すと、記述がたいへん長くなります。
 そこである場合は、一句の中に音と訓とを混用しました。そしてある場合は一事を記すのに、すべて訓を用いて記すこととしました。言葉の意味のわかりにくいものには、注を加えてわかりやすくし、意味のわかりやすいものには、注は加えずにおきました。
 また氏の名の「日下」をクサカと読み、名の「帯」の字をタラシと読む。このような類は、慣用のままに記し、改めずにおきました。
 この本に書き記したところは、天地の開聞から推古天皇の御代までの歴史です。
 天之御中主神から鵜茸草茸不合命(うがやふきあえずのみこと)までを上巻とし、神武天皇から応神天皇の御代までを中巻とし、仁徳天皇から推古天皇までを下巻としました。
 合わせて三巻に記して、謹んで献上いたします。臣安万侶、畏れ謹んで申し上げます。
  和銅五年(七一二)正月二十八日
                     正五位上勲五等太朝臣安万侶


■新選姓氏録と宮下文書に残された神武東征

 神武東征はインド・デカン高原経由の海路シルクロードを経て、日向に到着した。その民族移動が、新選姓氏録と宮下文書に記録されているというのだ。そのことを証明しているのが、高橋良典の[謎の新撰姓氏録]である。
 これまでの考察から、天之御中主はノアで、伊弉諾伊弉冉はロトに当たる。その間の皇統の意味が、専門科ですらお手上げで、全く理解できないというのだ。高橋氏はアナグラムでこれを解読し、実は印度に移住した地域と命の名前を記述していることを発見した。実に興味深い。つまり、ユダ民族が、中東→インド→海路→日向へと移動した歴史を、日本占領軍である唐軍に対して隠蔽し、古代日本の歴史を守ったのだ。
   


■シャカ族はイスラエル人

 前660年頃、イスラエルの地をインドに向けて、旅だった。
 前555年頃に、ヤハウエが第三代ヤハウエ・マルドウク様から、第四代ヤハウエ・エルランティ様に代替わりをする。エル・ランティ様はイスラエルの末裔であるシャカ族のシッダルターに、人は生まれながらに人生が決まるのではなく、努力と人格により決まるのだと教え、人格を磨く方法として八正道を教えた。このシッダルターの原始仏教は、人々の精神性を向上させ、硬直化したカースト制度の下で苦しむ民に希望を与える個人の信仰・道徳教えだった。だから、原始仏教は政治システムとしては相応しい思想では無いのだ。
 この時代、インドに神武族は様々な都市文化をインドにもたらし、その思想的な臆面として、原始仏教がもたらされたのです。

                         2013/01/27、2013/04/29 北


16.ヤマト(大和)に込められた真意

 ヤマト(大和)に込められた真意について、思うところを述べてみました。信じられないと思う方も多いと思いますが、興味のある方は参考資料にも目を通していただければ幸いです。
 日本国内では自覚がないのですが、諸外国から見れば日本の正式名称は、「日本帝国」です。それは、皇帝(日本国内では天皇のこと)が、国体の象徴だからです。
 欧米での皇帝は支配という意味合いが強いのですが、天皇制は君臣一体の統治のことで、欧米の政治区分には当てはまりません。それでもお取り敢えず「日本帝国」が正式名称です。
 だから、明治時代は欧米の流儀に従い、日本のことを「日本帝国」と呼び、憲法を帝国憲法として、世界に知らめました。そして、日本の領土以外の国々を植民地としてではなく、日本と同等に併合したり、共治したので、「大日本帝国」と呼んだんです。現在地上の「帝国」は日本のみで有り、この伝統と歴史を世界中が羨望のまなざしで見ており、自国の伝統と文化に誇りを持てずにいるのは、日本人だけのようです。
 さて、ヤマトを漢字で書けば「大和」なのですが、明らかに当て字で、当時の人たちは、きっと自らの出自なり、自民族の誇りを込めて、“ヤマト”と呼び習わしたに違いないと思います。
 シナ人は「ヒミコ」について、手前勝手に「卑弥呼」と漢字を当て、蛮族のように表現しました。しかし、巫女であった彼女は「日巫女」、太陽神の巫女の可能性が大なのだと思います。
 同じように、シナ人は「ワ人」についても「倭人」と漢字を当て、蛮族扱いしているのだと思います。
 当時の日本において「倭」=「和」であり、和の小国を束ねた統一国家なので「大和」であり、トップは大王でした。「天皇」と呼び出したのは、聖徳太子以降のことで、それ以前は大王と呼んでいたのです。
 だから、「大和」の呼び名として、大日本帝国のように「だいわ」なりが、当然なんです。しかし、当時の人々は漢字で表現できない当時の言葉で、自民族の誇りを込めて「ヤマト」と、呼び習わしました。
 「大日本帝国」から大を取ると本当の国名が分かるように、「ヤマト」は「YAMATO」ですから、頭の「Y」を取ると、「AMATO」になります。これが本当の彼らの母国の呼称だとすれば、「アマト」は何を意味し、どこに由来ているのでしょうか?
 天照大神が「天の磐戸」にお隠れになり、地上が闇に覆われ、アメノウズメ等神々が祭りを執り行い、天照大神は「天の磐戸」から出てこられて、地上に再び光が戻ります。
 この「磐」の字は、石の上に船ですから、石の上にある港を意味し、つまり「天の浮船」などの港、即ち現代風に云えば、空港を意味したのだと思います。
 「天の磐戸」とそっくりの物語があります。
 古代エジプトの神・マルドウクは、太陽神ラーとし崇拝されていました。彼は濡れ衣の罪によりピラミッドに幽閉されます。弟の協力によりピラミッドから解放されますが、その後も神々とは交わらず、世界中を彷徨します。この彷徨時代の彼のことは「アメン・ラー(隠れた太陽神)」(⇒(エンキの記憶)(神々の暦)]と呼ばれています。そして、様々なことが有り、彼は神々の核戦争後、第三代ヤハウエ・太陽神として、復活しました。これが、「天の磐戸(=ピラミッドのこと)」神話の原型なのだと思います。
 さて、ラー・マルドウクは、自分の国に天高くそびえる塔を建てようとします。それは「バビル」(ヘブライ語では「乱す」の意味)の塔の物語として聖書には描かれています。
 しかし、本来の意味はシュメル語での「バベル」で、「天の門」の意味です。シッチン氏によれば、彼は二ビル星への宇宙港を建設しようとしていたと説明しています。だから「天の門」であり、「バビル」は後代による悪意のある改竄です(⇒[サタンとモーセ五書])。
 さらに、彼は第三代ヤハウエとして、神々の都市を建国します。それが古代「バビロニア」です。バビロニアの意味も「バベル」と似ており、シュメル語では「神の門」です。
 従って、「AMATO」=「天の戸(もしくは扉、門)」と解釈すれば、当時の大和民族は自国名を「バビロニア」の再来としたのです。思い出すのは、聖書には「バビロニア」を淫婦として描かれて、悪口をたたかれていますが、それは史実ではありません。
 加えて「Y」もしくは「YA」は、ヤハウエの意味ですから、「YAMA」は天神の意味とすれば、まさに「神の門(扉)」という意味になります。ですから、天国シリーズの最初を「天国の扉」とされたのは、まさに「ヤマト」そのものを意味していたのだと思います。
 そして、大和民族をヘブル語音では「神の民」と読めるそうなので、まさにその通りだと思います。また、皇室を守る二体の狛犬は「エフラム族」と「ユダ族(レビ族を含む)」を意味しており、ヤハウエから授けられた王権を持つイスラエル十二支族の正当な後裔(血統を同じくする)として、その代表が皇室なのです。
 関連して、「古事記(⇒[古事記の真実][世界最古の文字と日本の神々]参照)」には「天御中主」をノアとし、伊弉諾伊弉冉の夫婦神をアブラハムの両親であるテラ(シュメルの神官=国王)としているので、旧約の民である大和民族は古代バビロニアからの正当な王権と神話をここ日本にもたらしたのだと、考えられます。(2016/08/25 北)