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お寺で納棺師さんによる納棺体験からの気づき ① | 死は辛くて悲しいだけなの? 死から心の仕組みと魂生き方を知る/Greenhearts 三輪ひさ子 岐阜揖斐
お寺で納棺師さんによる納棺体験からの気づき ① | 死は辛くて悲しいだけなの? 死から心の仕組みと魂生き方を知る/Greenhearts 三輪ひさ子 岐阜揖斐

お寺で納棺師さんによる納棺体験からの気づき ①



今日はお寺で

納棺師さんによる
     人生が変わる納棺体験
                                に参加しました。


体験後の新鮮な気持ちのまま書きたかったから、
夕方Facebookに抽象的には感想を書きました。

が、ここからは具体的な感想を書いていきます。

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10月8.9日   
瀬戸市のお寺感應寺で開催されたイベント
【  この世まつり  】に

シータヒーリングのセッションで出店した帰り道。 看護師の友達が教えてくれたこの納棺体験。



申し込みから4ヶ月。
楽しみにしていたこの日が やっときた!


申し込んだ時にはまだ
「いきたひ」という映画があることすら知らずにいた。
自分がその上映会をすると決めた今、
この時期に体験できるなんて。






納棺体験。


いやもう深かった。
深い体験だった。


以前に葬儀社のイベントに出店されていた
雰囲気だけは知りたいと、棺に一瞬横たわったことはある。が、
その時のようなライトな、笑顔でニッコリという
軽い体験ではなかった今日の納棺体験。



患者の死と関わることがある看護師さんや医療福祉関係者に向けたみつばちナイチンゲールプロジェクトの納棺体験に参加しました。


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写真はみつばちナイチンゲールプロジェクトからお借りした以前の納棺体験の写真です。

お寺  という
「生」と「死」を感じる空間で

人として自己の本質に気づくきっかけづくり。




お寺で
      納棺体験をしてきました。



体験終了は12時。
その後個人的に納棺師さんのお話を聞かせていただき、
参加者の方ともお話をし、イベント関係者や主催者の方ともお話をさせていただきました。


納棺師、看護師、介護福祉士、親を看取った看護師。
実際に死と直面する現場で仕事をされている方達からいくつものお話を聞けた日でした。

体験終了後は
今日初めて会ったとは思えないような
参加者同士の交流時間になった。
この深い納棺体験を
6人で一緒にしたことが
そんな気持ちにさせてくれたのだろう。
なんだか不思議とご縁を感じるあと味の良い関係だった。



イベント会場のお寺を後にしたのは15時頃。

自分について考えながらの帰り道、
心のもっと奥深くから
(だから私はこれをするためにいるんだ)と自分が得意としていることを再認識し感謝の涙が溢れた。


帰宅20時。
玄関から真っ先に私が向かったのは夫の仏壇。
夫の写真を抱きしめた。
線香をあげ  おりんを鳴らした。


そんな行動をとった自分が意外だった。
帰り道に買ったスーパーの食材も
玄関から廊下の端に置いたまま
真っ先に仏壇の前に向かったのだから。



仏壇(夫)の前で私は何を考えていたかな。



仏壇脇に置いてある
当時の夫がかけていた眼鏡を
何年振りかにかけてみた。



初めは夫に感謝した。
(夫が亡くなったことが私へのギフトとなって
今の私があるからだ)

そして今日の体験に感謝。

その後は「これからの自分」を考えた。
じっと仏壇(夫)と向き合いながら。




(私はこれからどうなる? )
( 何がしたい?)
(私に出来ることって何だろう?)
(私は自分に正直に生きているか?)

今夜は今までに感じたことがないほど
どっしりと落ち着いた大きくて静かな気持ち。
グラウディングなんて言葉とは
比較にならないその何十倍もしっかりとした重み。うーん表現の仕方が分からない。



帰り道からずっと
(私は自分に正直に生きているか?)
(本当にこれでいいのか?)
と考えていたと思う。



しばらくすると仏壇の前で
頭の中が(よい意味で)真っ白になり
意識はハッキリとあるけど
何も考えていない状態になった。
何も考えつかないんです。真っ白で。
こんなの最近にはない感覚。


仏壇の中を見つめながら何も考えない状態。
じーっと自分を知る、
自分と向き合う時間のようだった。


しばらくして
最近の出来事が思い出された。




2週間ほど前、
石野さんとの3時間に及ぶ電話セッションで
2〜4歳頃の初めて知る私が出てきた。

石野さんに言われたその日のいくつかの言葉。
それからは毎日自問自答。


本当の  本当の  本当の自分  って?」

「私は本当は   どうしたい?」

「それ、 本当にそうしたいの私? 

「人の意見に流されてない?」
「誰かの言葉に影響されてない?」

何かを決めようとするたび、
決めたあとでも
違和感があれば極力そのままにせず
以前よりも自分の奥を見つめるようになった。




一週間ほど前より胃が不調。
弱ることなどない強じん健康な胃がなぜ?
この不調の原因は何?
身体が私に教えているメッセージがあるとしたらそれは何?     
この数日そんなことも思っている。
近々医者へ行くことにした。



それと同じ頃
Yちゃんとの会話からでてきた
私の中心にあるもの。
「今の自分のテーマ」とでも言うもの。

それがまたしてもこれだった。
自分に素直になる     自分に正直になる



このテーマ
      もう半年も前からやっている . . . . 。




そんな最近の出来事をいくつか思い出しながら
仏壇(夫)の前に座り
時々自分を客観視した。




どれくらい時間が経ったかな
息子が階段を駆け下りて来る音で
私は母親の顔に戻った。



夫の仏壇の前で
初めての自分と向き合うような
初めての自分を知るような
静かな静かな静かな時間。




長くなるから続きは次回へ。

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帰り道  、西へ車を走らせる17時過ぎの夕陽はまぶしすぎて。
信号の色なんて全く見えないから交差点を直進するのが怖かった。

まん丸なまぶしすぎる夕陽が
私を後押しているような立春の体験。