小◎元首相の父 小◎純也は、朝鮮人です 

2007年度 辞書より転載


『小泉純也』 (小泉純一郎の父)

鹿児島県川辺郡東加世田村小湊字小松原(現・南さつま市)出身。
実父は在日朝鮮人。
家が貧しかったため、小学校を出ると鹿児島市内に出て、山形屋百貨店の丁稚となり、夜は鹿児島実業に通った。代議士岩切茂雄の書生となって、日本大学法学部政治学科の夜学に通わせてもらい、1930年に卒業。岩切の紹介で立憲民政党の職員となり、当時民政党の幹事長を務めていた小泉又次郎のもとに出入りし、それが縁となり小泉家の家族と接するようになった。やがて小泉家に出入りするうちに又次郎の長女・芳江と恋仲になる。二人の恋愛に又次郎は反対だったが、純也と芳江は又次郎の反対を押し切り駆け落ち同然に家を出て、東京・青山の同潤会アパートで同棲。結局、又次郎のほうが折れて純也が代議士になれたら一緒になることを許すとして認めることになった。 

 娘、芳江が朝鮮人の純也とかけ落ちしたときの話
又次郎(小泉の母方祖父)は『帰って来い』と、新聞の尋ね人欄に広告までだしている(梅田功 『変革者 小泉家の3人の男たち』87頁)。
純也と芳江の結婚について、又次郎の養女だった近藤壽子は 

「本当に大変だったんです。 なにしろ駆け落ち同然の結婚でしたからね。 芳江さんはハンサム好みで、ハンサムな男性を見るとイチコロなんです。 又次郎さんはもっと立派なところから婿を欲しいと思っていたんでしょう、すごく反対して怒ってました。」

と述べている(佐野眞一著『小泉純一郎-血脈の王朝』148頁)。


小泉純也をよく知る人の本
歳川さんは、小泉首相の父親である純也氏が、1930年代に朝鮮総督府で事務官として働いたこともあったと述べた。純也氏は、総督府に勤務していた当時、小泉又次郎郵政長官と知り合いになり、その後小泉逓信(郵政)大臣の娘婿になって選挙区まで受け継いだ。

日本の小泉純一郎首相の父親で自民党所属の国会議員だった小泉純也氏(1969年死去)が1950年代末、在日朝鮮人の北朝鮮送還事業に中心的な役割を果たしていたことがわかった

小泉首相の父親のこのような過去は、2002年の小泉首相の訪朝以後、日本の会員制雑誌である『インサイドライン』の発行人、歳川隆雄さん(58)の追跡取材によって明らかになった。

歳川さんは20日、本社の記者に会い「小泉首相の父親が、在日朝鮮人の北朝鮮送還の中心人物だったことは、小泉首相にとって最大のタブー」とし、「靖国神社参拜にこだわる小泉首相の姿勢と一見、矛盾するかのように見えるが、日朝国交正常化にこだわっている理由も父親の政治的背景と決して無縁ではない」と主張した。

 歳川さんによると、在日朝鮮人帰国協力会は、共産党と社会党の影響力が強かった「日朝協会」の主導によって結成され、日朝協会の山口熊一会長、自民党の小泉純也議員、岩本信行議員の3人が代表委員を務めた。

以上が、父親のことです
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以下は、母方(小泉)の祖父のことです

小泉元首相の祖父です(母方の父親、小泉家です)

トビ職人の次男で、貧しかった。全身に刺青をしていた
その理由は、当時、とび職人は、裸で仕事をしていて、みんな刺青を全身のほって、ふんどし一丁で、仕事をしていた
ので、彼もあとつぐために、全身に刺青をしていた
それが、大臣までなり、いれずみのxx大臣 と呼ばれていたそうです

祖父小泉又次郎は武蔵国久良岐郡六浦荘村大道(現在の神奈川県横浜市金沢区大道)に「とび職人」由兵衛の二男として生まれた。由兵衛はのちに横須賀に移って、海軍に労務者、砲弾や石炭、食糧などを送り込む請負師となった。
又次郎は明治41年(1908年)衆議院議員に当選、浜口雄幸内閣、第2次若槻禮次郎内閣で逓信大臣を務めた。

神一行著『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』236 - 237頁に

 「さてその小泉の閨閥であるが名門といわれるほどのものではない。むしろ小泉の性格は三代続く政治家家系の血筋とみてよい。」 とある。
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小泉元首相が実施した政策は朝鮮よりのものが多かったのはそのためのようです。

韓国人へのピザ免除した
 
国民間に表れた悲惨なまでの『所得格差』なんぞには、ナ ンの痛痒も感じなかった

北に多額の送金の末、偽装破綻?した朝鮮銀行に1兆4000億円もの血税使って助けた

朝鮮総連の総会で祝辞述べた

金正日と面会

北朝鮮に食料など、多大の支援をした


写真
(民族研究の専門家より)
当然小泉さんが朝鮮系の人だというのは顔を見ればすぐ判ります。韓国にいるこちらの方も彼に遺伝子的にとても近いかも知れません。

続き その2、その3 その4 もお読みください

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