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[教訓 群大手術死](下)「患者のため」見失う…正当化「最後の砦だから」
地域医療の最後の
「人手が少ないのに手術したのが悪いと言われればそうかもしれない。ではやめようとなった時に、誰が引き受けるんですか」
群馬大病院幹部はそう漏らした。
第三者調査委員会の委託で日本外科学会が行った死亡例の検証では、病状や体調から手術は無理な例や、手術の妥当性に疑問が残る例が半数を占めた。
検証にかかわった医師は「患者の希望とか最後の砦とかいうことで正当化して、本来やってはいけない手術まで『やるしかない』という考えは、間違っているのではないか」と指摘する。
リスクの高い手術を行うからには、人員確保はもちろん、外科医の技量、術前術後の診療レベルも十分でなければならない。患者に説明し、納得してもらうことも不可欠だ。群馬大では、いずれも不足があった。
「手術が『できるか、できないか』ではなく、患者にとって『やったほうがいいか、やらないほうがいいか』と考えるべきだ」
進行がん患者の抗がん剤治療を担う虎の門病院(東京)の高野利実・臨床腫瘍科部長は説く。手術できないと言われ絶望する患者は多く、中にはメリットがあるかどうかより、「手術さえしてくれれば」と思い詰める人もいる。そうした中、「実際には手術を行うメリットが小さくても、『できる』と言って手術してしまう医師もいる」という。
「手術をしない選択肢を示すと、患者が『見捨てられた』と感じて落胆する」
第三者調査委員会の調査によると、群馬大旧第二外科の執刀医・須納瀬豊医師も、手術以外の選択肢を示さなかった理由をそう説明している。
死亡した患者の遺族には、須納瀬医師に「今なら手術できると言われた」という証言が目立つ。
「今を逃したら治らないんだ」。ある遺族の女性は、そんな思いに駆られ手術を即決した。しかし、患者は術後、腹部の出血が止まらず、1か月もたたず亡くなった。最期の苦しみようは、
「手術しなければ、あんなに苦しんで死ぬことはなかったと、ずっと後悔して自分を責めてきました」
遺族たちは、愛する家族の死を悲しむだけでなく、自分が同意した手術の後、変わり果てた姿で苦しむ様子を見守るしかなかった経験に、深く傷ついている。
<医療は医師のためにあるのではなく、患者の幸せのためにある。リスクの高い医療は、その医療が本当に有益であるか、患者が幸せになれるかを考えて提供しなければいけない>
千葉市内の病院で起きた医療事故の調査報告書が今年5月、公表された。その最終章に、こんな一節があった。心臓手術を受けた患者8人が死亡したこの事例は、無理な手術や、リスクを過小評価した手術が多く、群馬大病院と似ていた。
調査委員長を務めた三井記念病院の高本真一院長は「患者のために最良の方策は何か考えるのが医師の使命。それが今、見失われていないか」と語る。
群馬大病院の手術死問題は、医療の原点を問い直す出来事でもあった。
(この連載は高梨ゆき子、染木彩が担当しました)