遠藤盛遠(文覚上人)と袈裟御前の逸話、「人形劇平家物語」を元に記事にしてみた
私は今でこそNHKの報道及び歴史ドラマの制作姿勢に
疑問を持ち、オカシイと思うところを弾劾するような
記事を書いておりますが、頭がお花畑であった
ちょっと前までは完全にNHK信者の一員でありました。
今回紹介する人形劇の平家物語は全5部での構成に
なっており、1993年~1995年にかけて放映されました。
最近で言えば「坂の上の雲」が足掛け3年に渡って
放映されましたが、あんな感じでの放送でした。
私はリアルタイムでは飛び飛びでしか観てませんでした。
それでもその映像美に惹かれ、4年程前にちょっと
臨時収入があった際に、DVD-BOXを購入したのです。
この人形劇の原作は、吉川英治の「新平家物語」です。
参考資料 人形歴史スペクタクル 平家物語Wiki
DVD-BOXの紹介ページ
吉川英治の「新平家物語」は私も10年近く前に読みましたが、
文庫本で全16巻もある超大作
確か半年くらいかかって読んだ記憶があります。
その原作を映像化した「人形劇平家物語」より、
遠藤盛遠(文覚上人)と袈裟御前の逸話を、
人形劇の映像と台詞を素材にして
紹介記事にしてみました。
今回素材にしたのは、
「人形劇平家物語 第一部青雲」の
第一話「我が父は誰ぞ」及び第二話「めぐりあい」になります。
※ツイッター上で指摘を受け、
「文覚は清盛&西行と20歳近く年が離れている」
ということに気付きました。
人形劇や新平家物語で遠藤盛遠(文覚)と清盛が
友人なのは、作家吉川英治の創作であると思われます。
なので、記事の内容は一部改変いたしました。
原作同様、白河院の落し胤という噂に悩むものの、
それが事実であると特定はされていません。
大河ドラマでは10代の頃グレてヤンチャばかりしてましたが、
人形劇では第一話の時点で既に二十歳の青年でした。
こちらがこの記事のキーパーソンである遠藤盛遠。
彼は後に出家し、文覚上人となります。
文覚上人は破天荒な人物であり、都を追放されて
伊豆に流されます。そして同じく伊豆に流されていた
頼朝と知り合い、後に強く挙兵を勧めたとされています。
史実では清盛より20歳くらい年下ですので、実は
重盛と同世代と思われます。清盛と友人とされている
のは、作家吉川英治の創作と思われます。
参考資料 文覚Wiki
吉川英治以外でも、芥川龍之介や菊池寛を始め
多くの作家によって文覚の話は書かれてきました。
今回紹介する盛遠と袈裟御前の逸話の元ネタは、
「源平盛衰記」であるようです。
左の女性が、今回の記事のヒロインである袈裟御前。
右は袈裟御前の夫である源渡(みなもとのわたる)です。
この袈裟御前に盛遠が横恋慕してしまい、
親友である清盛に「恋の橋渡し」を依頼。
清盛は袈裟御前を呼び出すことに成功。
盛遠は袈裟御前に「夫と別れて俺と一緒になってくれ!」
と詰め寄ります。その場面から見てみましょう。
※史実の清盛は盛遠より20歳くらい年上なので、
現実には有り得ないシーンであることを断っておきます
「(夫である)渡殿と別れてくれ!
今ここで返事をくれとは言わぬ
袈裟殿、ようく考えてくれ!
三日後の同じ時刻、ここで待っている!」
「夫と別れるなど、私には出来ません!」
「俺は諦めん!
そなたが色よい返事をくれるまで、
金輪際諦めんぞ!」
「盛遠様、ご無体はおやめくださいまし!」
「なぜ分かってくれぬ?
この俺の気持ちを何故分かってくれぬ?」
「分かりました。仰るとおりにしますから、
どうかその手をお離しください。
その代わりひとつだけお願いがございます。
夫を、源渡を殺してくださいまし!
あなた様を受け入れるにはそれしか手立てがございません!
明日の夜、夫の寝屋に忍び、
その太刀で首を打ち落として
くださいませ!」
翌日の晩、盛遠は源渡を殺すべく、屋敷に忍び入ります
「渡殿、許せ!」
切り落とした首を確かめる盛遠。
「ん?」
「袈裟殿!」
恋敵源渡の首を取ったハズが...
実は愛しい女である袈裟御前だった!
ここで、ナレーションが入ります。
「一夫多妻が当たり前だった男社会で、
命をかけて操を守り通した
袈裟御前のこの死は、当時の世間に
大変な衝撃をあたえました!」
昔の日本は、性に対してかなり開放的であったといわれています。
そんな時代において、夫の身代わりとなって殺された袈裟御前。
この逸話に心揺さぶられる日本人は非常に多いと思いますし、
私などはまさにその一人です。
話を人形劇平家物語に戻します。
清盛の弟である家盛が、盛遠が袈裟御前を殺した
知らせを伝えに来るシーンです。
「兄上~!、一大事でございます!
あの盛遠が源渡様の妻袈裟御前を殺し、
逐電したそうでございます!」
清盛
「何だと!」
ナレーション
「平清盛二十歳の春の出来事です」
ここで第一話「我が父は誰ぞ」は終了です。
続いて第二話「めぐりあい」に入ります。
親友である盛遠の捕縛を、上司に自ら申し出る清盛
「ハッハッハッ!盛遠は武勇を持って聞こえた男じゃ。
そなたの手に余ろう?」
清盛の上司である藤原綾麿は、清盛のことを侮辱します
場面変わって、嘆き悲しむ盛遠の様子です。
「袈裟! 愚かな俺を許してくれ!
俺はうつけ者だった!
大うつけ者だった!」
(号泣)
中略
「そなたは命をかけて、
武士の妻の誇りをみせてくれた!」
「袈裟殿、袈裟殿!
俺は恥ずかしい 恥ずかしいっ!」
そこへ清盛が入ってきます。
「盛遠」
「清盛。そうか、お前は俺を斬りに来たのだな。
清盛、手向かいはせぬ。
斬れ、斬ってくれぇ」
「斬るつもりだった。
だが、たった今考えが変わった。
盛遠、お前の言うとおりだ。
袈裟御前は、見事武士の妻の意地を通した!
これほど武士があなどられたこの世で!」
「その意地のためにも盛遠、
お前は死んではならん。
生きるのだ!
生きて苦しむがいい!
袈裟殿と残された
渡殿のためにもな!」
盛遠は、ただ清盛の言葉に従うしか無かった...
「生き恥をさらせというのか?清盛」
「そうだ!それがお前の贖罪だ!」
盛遠の長い旅は、こうして始まった...。
「和子、良いことをされましたな。
殺すばかりが人の道ではございません。
恐らく、盛遠様は立派に立ち直られましょう!」
清盛の腹心の部下である木工助は、
主君清盛を褒めますが...
「盛遠を取り逃がした」と上司綾麿に報告する清盛。
綾麿からは、罵声を浴びせられます。
清盛は、親友盛遠のために侮辱に耐えます。
一度は都を離れた盛遠ですが、袈裟御前の夫である
源渡に一言詫びを入れるべく、渡の屋敷を訪れます。
そこで盛遠がみたものは、盗賊に襲われてる源渡でした。
ちょうどそこに駆けつけた盛遠が盗賊を撃退するも、
渡は妻の敵の腕で息絶えます。
思わず盛遠は、その場から逃げ出してしまいます。
己をひたすら鞭打ちました 夜叉のように」
「俺の道が獣の道しかないのなら、
最後まで獣として生きてやる!
獣の悟りを開いてやる!」
Wikiから転載した文覚上人の肖像画
(文覚上人画像 神護寺蔵 東京国立博物館寄託)
こうして、後に荒法師として知られる文覚上人は誕生したのです。
文覚出家の経緯は、「源平盛衰記」が元ネタとなっています。
※何度も注を入れていますが、遠藤盛遠と平清盛は生年が
20年近く離れています(盛遠=文覚の方が年下)。
ですから清盛の子である重盛と文覚が同世代になります。
よって、新平家物語や今回紹介した人形劇平家物語のような
話の展開は史実では絶対ありえません
私自身このあたりを勘違いしておりましたので、重ねて※注を
入れておく次第です。
佐藤義清(西行)が登場します。
別記事で扱う予定ですが、
大河ドラマ「平清盛」では
『「佐藤義清(西行)が待賢門院に懸想し、
相手が己の意のままにならぬと知るや首を締めた!」
それらの不祥事が発覚し、鳥羽院の配慮で
罪には問われませんでしたが、出家してしまう』
という展開になっていました。
実際義清が高貴な女性にかなわぬ恋をし、
それを儚んで出家したという説は存在します。
ですが、実際のところは謎です!
だからこそ作家や脚本家にとっては腕の見せ所なのですが、
「その結果があれか!」
としか思えないドラマの展開でありました。
まるで遠藤盛遠(文覚)が犯した過ちが、佐藤義清(西行)に
投影されてしまったかのような、西行の汚れまくりな出家事情と
なっていたと私は感じてしまいました。
こうしてみると、大河ドラマ「平清盛」に連動して
「人形劇平家物語」の再放送もしないのは、
「それをしてしまうとNHKにとって不都合であるからでは?」
等と考えてしまうわけです。
下手にあれこれ院政及び源平時代の説明番組を
放映するより、「人形劇平家物語」を再放送して予習し、
その上で大河ドラマ「平清盛」を観た方が、
視聴者にとってずっと有益でありますし、
NHKとしても過去の素晴らしい遺産を活かせる道である
と、私には思えてなりませんが...。
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