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招き猫文化考(前): 蝉の唄
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2013年07月26日

招き猫文化考(前)




招き猫って……



実は色々派閥(笑)があるわけですが……




これを発祥地別に検討してみる……



豪徳寺系………
伏見系ベースで模様もなければ小判もない前掛けもない真っ白でシンプルなデザイン。
こちらの招き猫は基本的には全部右手上げなのも特徴(客商売向けは左手だそうですが)

……で、後述しますがこの姿は実は近年になってからのもの。



続いて、今戸神社系……

こちらも伏見系ベースで招き猫が二匹並んだデザイン。
一匹単品での特徴は豪徳寺系と凄くそっくり。
見分けるポイントとしては豪徳寺系と違って完全に真っ白というわけでなく模様つきなところでしょうか……

で。
ここで今戸人形の歴史を見てみる……





豪徳寺と今戸神社、招き猫の発祥の歴史はどっちが古いという話題を聞きますが、豪徳寺の場合由来(伝説)は古いですがその時代に遡る招き猫の実物とかがないですね。
戦前既に門前の店で招き猫を売っているという記事があり、売られていた猫の写真も残っていますが現在の形のものと全く違います。
豪徳寺オリジナル型ではなく瀬戸や京都辺りから送られたものや今戸焼で作られた招き猫もあったようです。
では今戸神社のほうが歴史が招き猫の歴史は古いかといえば、今戸神社で招き猫云々という記録は昭和50年代以降のことで縁結びもその頃からの歴史です。

現在の豪徳寺の白い招き猫と今戸神社の2対くっついている招き猫はもとをたどると兄弟なんです。
戦後、今戸焼の白井さんが豪徳寺向けに作った猫が現在の豪徳寺の猫の基礎になったのですが、豪徳寺の猫はその後独立して白井さん作ではなくなりました。
その後白井さんはもともと一匹だった白招き猫を今戸神社の縁結びPRのために2匹でひとつにしたのが現在の今戸神社のものでこれも平成の産物で江戸からあるものではありません。

白井さんは今戸焼屋さんとしては古い家柄ですが、もともと人形とか作る家ではなくて生活道具とか楽焼を作る家でした。
戦前までは人形専門の今戸焼屋さんがいましたが、絶えてしまったので、戦後趣味家のすすめで白井さんが人形を作りはじめた。というのが実際で型は戦後起こされたものだというのが事実です。

ひとつだけ気になる古い豪徳寺の招き猫の画像というのが本に載っていますが、それは戦前以前の今戸焼き製だということです。


…………というわけで、

今戸人形の歴史は
 明治に入って廃絶⇒大正期に復興⇒戦中戦後に再廃絶⇒戦後に今戸焼の白井さんが再復興
という変遷を辿っているわけで……

要するに、(現在の)豪徳寺系も(現在の)今戸神社系も生みの親は今戸焼の白井さんで戦後生まれの三代目
この三代目兄弟は伏見系の流れであって、
冒頭で引用させて頂いた系統図でいう今戸系とは全く特徴が一致しない完全な別物
(言ってしまえば今戸系ではなくて白井系豪徳寺派・白井系今戸神社派……)

で、それじゃあ白井系以前の、戦前の豪徳寺・今戸神社の招き猫はというと……



通説では、招き猫は今戸人形に始まり、伏見人形を通じて全国に広がったといわれます。それでは、なぜ伏見人形の招き猫が、各地の招き猫が横座りをしていないのでしょうか?
更に、今戸招き猫の中でも丸〆猫が最も優れているといいますが、そのポイントである背中の丸〆マークが今戸以外に伝わっていないのはなぜでしょうか?
今戸から伏見まで東海道を上ったといいますが、その途上の三河地方に横座りの招き猫が存在しません。

 〔涎掛けをする招き猫〕で見たように、今戸招き猫は丸〆猫が手を上げたものと思われます。招き猫が流行っているのを知った今戸人形の生産者が、丸〆猫に上げた手を着けたのではないでしょうか。今戸人形の招き猫は、伏見人形の方を模倣した三河地方や東北地方などとは違った経過をたどって生まれたものと思うのです。

 今戸人形の招き猫が招き猫の元祖であるならば、全国各地に横座りの招き猫が存在し、丸〆のマークもあってもいいと思うのです。
事実、今戸人形の影響を受けたといわれる芝原土人形や近隣の土鈴、張り子などには横座りのものが多く見られます。
江戸に近接する北関東以外で横座りの招き猫が見られないことを考えると、どうしても今戸人形が招き猫の元祖とは思えないのです。


 ……要点をまとめると、

 正面座りの猫≒伏見系≒招き猫
 横座りの猫≒今戸系≒丸〆猫

 白井家=今戸焼きの窯元
 白井系招き猫≒伏見系
 今戸神社の招き猫≠今戸系


……で、白井系が台頭する前の豪徳寺の招き猫は



 猫の写真も残っていますが現在の形のものと全く違います。豪徳寺オリジナル型ではなく瀬戸や京都辺りから送られたものや今戸焼で作られた招き猫もあったようです


色んな種が混在している状態で統一規格みたいなものはなかった、と……
 
ちなみにこちらは戦前の豪徳寺招き猫を復元したらしい姿↓



 尖った大きな耳。
 大きな涎掛け。
 大きな頭。

 というわけで、恐らく戦前でも既に今戸系(横座り)ではなく伏見系(正面座り)が主流だったのではないかと……

……では豪徳寺ではなく今戸の方の招き猫はどうか?






嘉永5年ぐらいからの数年間、今戸の猫が評判となった

嘉永5年の猫は招き猫ではなかった








……つまり、今戸の猫は現在の招き猫とは本来別系統の種ってことですネ……
ではその、現在の招き猫とは違う種の今戸の猫とは……(長いので続く)


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posted by 白田 正宗 at 17:55 | 日記

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