平成15年4月に高槻市議会議員選挙に落選するや、
さっさと東大阪市に転居し、その年の9月に東大阪市議会議員選挙に
覆面レスラー姿で出馬し、落選
したという事実をひた隠す北岡隆浩(たかひろ)市議。
「高槻ご意見番」と称して、あたかも正義の味方であるかのように
振る舞う北岡隆浩(たかひろ)市議ですが、東大阪市議会議員選挙に
覆面レスラー姿で出馬したという事実、ひた隠そうとしているその所作
に疑問が浮かび、その経歴の奥の奥まで調べてみました。
高槻市議会議員選挙に落選してすぐに東大阪市に転居して
東大阪市議会議員選挙に立候補するという節操のない行動からも
尋常ではない、議員になりたいという出世欲、権力欲が感じられます。
また、高槻市政を良くしようなどという意欲がないことを示しています。
「高槻ご意見番」を自認する、北岡隆浩(たかひろ)市議ですが、
何と高槻市に対して執拗に情報公開を求めているのですから、驚きます。
市議会といえ政治家です。本来は議会活動で解決をしていかなければ
いけない問題を「高槻のご意見番」は司法の場へ持ち込みます。
当然、被告となった高槻市は相応の裁判費用を税金からねん出します。
本末転倒では無いでしょうか?
ここまでで、我々の感じた違和感。
①とにかく議員になりたいというその権力欲
②覆面レスラー姿になってでも目立ちたい自己顕示欲
③争いの中で注目を集めようとする独善性
④自ら「高槻のご意見番」と自称する羞恥心の無さ
我々日本人にはおおよそかけ離れた4つの習性を
持つ「高槻のご意見番」北岡隆浩(たかひろ)市議の
経歴を調べると違和感の基がどこから来るものなのか
ようやく理解をする事となりました。
北岡隆浩(たかひろ)市議は、帰化して日本国籍を取得したのち、
今まで5回以上も転出や転居を繰り返し、また本籍地を移動させたり、
姓を変えたりしていることが判明しました。具体的には以下のとおりです。
- 昭和56年10月17日 帰化(大山隆浩)本籍地(高槻市)
- 平成元年12月10日 転居(宮田二丁目から若松町)
- 平成6年7月30日 転出(山梨県高根町清里)
- 平成6年10月3日 分籍(高槻市から上記場所に)
- 平成8年 転出(山梨県から大阪市平野区加美鞍作)
- 同年 転出(上記住所から大阪市平野区平野西)
- 平成9年5月24日 北岡姓の女性と婚姻、北岡隆浩に改称
- 平成13年7月 参議院大阪選挙区落選
- 平成14年10月 衆議院大阪10区補選落選
- 平成15年4月 高槻市議選挙落選
- 同年 転出(高槻市から東大阪市)
- 平成15年9月 東大阪市議選挙落選(覆面姿)
- 平成19年4月 高槻市議選挙当選
本籍地を移動したり、姓を変えたりすれば、その人物が以前に行ったことが、
容易に判明しないので、他人に知られたくない過去を持つ人物が、
そのような行為を繰り返すことがあります。
北岡隆浩(たかひろ)市議も、隠したい過去があったから
本籍地を移動したり、姓を変えたりしたのかもしれません。
東大阪市議会選挙に覆面姿で立候補したことを隠す北岡隆浩(たかひろ)市議であれば、
それも十分にあり得ます。
北岡隆浩(たかひろ)市議は、高槻市議としての資質を備えていると主張するのであれば、
なぜこれほどまでに転出や転居、本籍地の移動や姓の変更等をしているのか、
選挙民に対して説明すべきです。
以上
高槻市政を真によくする会
失敗にもメゲす頑張ってるって感じしますが。。。海外でテロった日本赤軍に政府から巻き上げた金でピースボートつくってもらい、後援会幹部が匿った重信房子らに在日中国国防動員法作らせ、小林よしのり氏通じて皇太子としょっちゅうあって退位実現時に日本占領させ国境壊し実現させる辻元氏の、最近捕まった生コン幹部が市長とぐるで1977築と隠蔽?するブロック塀の訴訟に持ち込めるなんてイエローハットの北岡さん位では?生コンとの癒着指摘できたら辻元引きずり下ろして目標だった国会議員になれるかも!!!
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