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国宝「合掌土偶」が教えてくれたもの
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in 青森②…是川縄文館
1
 思い起こせば、1 年前の 2013 年 2 月
23 日。
 縄文プランツウォーク一行は記録的
豪雪に見舞われた青森市内にいた。
 今年同様、日本列島各地に大きな被
害をもたらした豪雪が、このときも青
森を直撃。それでも県庁スタッフの獅
子奮迅の案内のおかげで、一面深雪に
覆われた三内丸山遺跡を見学すること
ができた。
柳生「あのプランツ・ウォークは忘れ
られないなあ。こういってはなんだけ
ど、かえって雪でなにも見えないとい
うのもいいんだよね」
いとう「そう、想像することが大事だ
から。縄文の人たちはこの遺跡のなか
で暮らしていたんだというのがむしろ
リアルに理解できた」
 雪の中に「プランツ」はあるのか…
という素朴な周囲からの疑問はさてお
き、おおいに一行はプランツ・ウォー
クを楽しませていただいた。
 また、そのような悪天候にも関わら
ず、樹木医の斎藤嘉次雄氏ほか大勢の
青森県の方々にお世話になった。
 そして。
 今度こそはと、リアルな「プラン
ツ」を求めての旅。
 前回ご紹介したとおり、八戸の種差
海岸を皮切りに、「合掌ポーズ」で名
高い土偶のいる是川縄文館、ストーン
サークルの小牧野遺跡、そして前回雪
のため広大な雪原にしかみえなかった
三内丸山遺跡を経巡った。
 今回は是川縄文館でのプランツ・
ウォークをレポート。
遺跡の第一発見者は、
地元の篤志家兄弟
 2011 年にオープンし、まだ新館の
香漂う、八戸市埋蔵文化財センター是
川縄文館に一行を乗せたバスは向かっ
た。
 一行を出迎えてくれたのは、同館学
芸員の市川健夫さん。
いとう柳生「こんにちはー」
市川「こんにちは、ようこそいらっ
しゃいました。さっそくですが、是川
遺跡の位置関係などを…」
いとう(ロビーの胸像をみて)「これは
in 青森……第 2 回
国宝「合掌土偶」が教えてくれたもの
種差海岸を後にした一行のつぎなる目的地は、合掌土偶で有名な是川縄文館。ほかにも偶
然から理想的な保存状態の泥炭層が形成されたことによって、当時のままのまっ赤な漆器
が出土したり、高い工芸技術の装身具が多数発見されたりした。東日本大震災の影響によ
りオープン延期も検討されたが、復興の祈りもこめて同年 7 月に開館を迎えた。
写真/柳生真吾・石月康雄 取材・文/西澤 明
プランツ・ウォークとは……
いとうせいこう氏と柳生真吾氏が提唱
し、企画活動している植物散歩。2010
年には東京都内十数カ所をめぐって「見
るだけ園芸」を展開。
その模様は
(講談社)として本にまと
められた。また
では、
一般の投稿も大募集。その後は単なる植
物散歩にとどまらず、震災後の宮城県沿
岸部や、九州・博多の街なかの最新緑化
事情、江戸東京博物館の「花開く 江戸の
園芸」展などを歩き、植物を軸に現在・
未来・過去をダイナミックに考察。昨年
は青森県各地の縄文遺跡群を中心に散歩
を展開した。
是川遺跡の立役者・泉山兄弟。泉山家は八戸
発展の基礎を築いた資産家。その長女の婿が
岩次郎(左)で、次女の婿が斐次郎(右)。両
氏が保存してきた出土品は八戸市にすべて寄
贈された。
プランツ・ウォーク

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 2014. Mar.
遺跡じゃないよね」
柳生(爆笑)
市川「こちらは是川遺跡を発掘した泉
山兄弟です」
いとう「えーっ! 岩次郎と斐次郎(あ
やじろう)さんが」
市川「泉山家といえば、県内でも有数
の資産家で、岩次郎さんは銀行家で斐
次郎さんは農業を営んでおられまし
た。その斐次郎さんの土地から縄文遺
跡が出土したことに端を発します。斐
次郎さんの実のお兄さんが遺跡にくわ
しく、大学の研究者などとも交流の
あった方でしたのでそのような影響も
あり、発掘してみようということに
なったようです」
いとう「これだ! と思ったんだろう
ね、斐次郎も」
市川(笑)「最終的に 5000 点ほどの出
土品があり、すべてを八戸市にご寄贈
いただきました」
(八戸市の遺跡地図を見ながら)
いとう「こんなにあるってこと! 八
戸市には遺跡が?」
柳生「すごい!」
市川「八戸市だけで 487 遺跡といわれ
ています」
いとう「八戸そのものが遺跡なんじゃ
ない」
柳生「八戸遺跡だ」(笑)
いとう「種差海岸にも遺跡があるよ!」
市川「海岸線にひじょうに古い遺跡が
あるんです。蕪島(かぶしま)には行
かれましたか」
柳生「ええ、ウミネコの繁殖地で有名
な。ここに来る前に通ってきました」
市川「あそこは記念すべき、遺跡登録
第一号なんです。8000 年くらい前のも
ので、三内丸山遺跡よりも古いようで
す」
いとう「えー! ということは、一貫
してここは聖地か。ミステリースポッ
トじゃん。そこをウミネコたちがタマ
ゴを生む場所としてるなんて」
柳生「なんか神秘的だ。鳥たちもなに
かを感じて守っているんだね」
上 | 八戸市内の遺跡を示す地図(数字を記し
赤線で囲った部分)。ごく一部しか掲載できな
いが、市内にまんべんなく遺跡群が広がる様
子がわかる。
下 | 是川遺跡から出土した遺物は 2 階の常設
展示室で見学できる。

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in 青森②…是川縄文館
3
いまも変わらぬ、縄文の技術
 是川遺跡は、縄文ファンならご承知
のとおり、中居遺跡、一王寺遺跡、堀
田遺跡の 3 遺跡の総称。また、是川縄
文館の魅力については、たっぷり同館
の HP にある動画「じょうもん発見!
是川縄文館」により楽しめるように
なっているので、そちらに譲ること
に。
 さて、市川さんに誘われて一行はい
よいよ 2 階展示室へ。
柳生「縄文時代にも刀があったんだ。
縄文晩期だって」
市川「飾り太刀といわれ、木製です。
まだ是川でしかみつかっていません。
刀のかたちをしていますが、刀として
使われたかどうかはわかりません。柄
の部分に翡翠などを埋め込んでいたの
ではないかと」
いとう「そうなんだ」
柳生「祈りというか、なにか儀式の道
具だったのかな……」
 ほかにも、竹などで編んだかごにう
るしを塗って仕上げた籃胎漆器(らん
たいしっき)や土器にうるしを塗った
彩膝土器など、いまでも使われている
技術による遺物が展示されている。
いとう「すでにこの頃からの技術だっ
たんだ」
柳生「縄文の漆技術はすごく発達して
いたんだね。おお、この器かっこい
い」
いとう「こんなの家にあってごらん。
おれは底に穴をあけて植えちゃう」
柳生「縄文晩期に穴あけて植えちゃい
ますか(笑)。こっちの入れ物はなん
だろう」
市川「こちらは樹皮製容器とよばれる
もので、ケヤキの樹皮をはいで丸くか
たちづくってからうるしを塗ったもの
です。秋田の曲げわっぱを想像しても
らえれば」
柳生「縄文の植物でケヤキはいままで
聞いたことがなかったですね」
いとう「クリとかクルミはあったけどね」
上 | 市川学芸員から飾り太刀の説明を受け
る。国内ではほかに例をみない、赤漆塗りの
仕上げ。
下 | 時代の変遷にともない、土器の形状が少
しずつ変化していくのがわかる。
縄文のことならすぐにわかる、
館内データベース
 こうしたパネル展示のほかにも同館
1階には、大きなモニターで写真と解
説が楽しみながら閲覧できる全国の遺
跡のデータベース「是川羅針盤」があ
る。さっそく操作をしてみるいとうさ
ん。
いとう「明日は小牧野遺跡にストーン
サークルを見に行くよ。(検索ボタン
を押す)おお、出た。はやっ! 縄文
後期なんだ」
市川「ちょうどイギリスなどでストー
ンヘンジがつくられた年代とほぼ同じ
ころです」
いとう「なぜ同年代? 種差のビーチ
もイギリスみたいだったし。なにか繋
がっているよね」
市川「飛行機で何時間もかかる距離な
のに、なぜか同時期に同じようなモ
ニュメントがつくられているんです」
いとう「人類ってなんだろうって話だ
よね。もちろん、そう、わかってます
よ。市川さん。是川遺跡を見ましょう
よ、ピコン」
柳生「特徴はウルシなんだ!」
いとう「さっき海岸にあったもんね、
ウルシ。しかも 8000 年前からだよ!」

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 2014. Mar.
 縄文の人びとは材としての樹木を知
り尽くしていたのだろうと市川さん。
 装身具と思しき櫛形の遺物はムラサ
キシキブから。また、弓はニシキギの
木が使われている。これは現在でも変
わらない。材質がなんであるかの調査
は、微細な破片を採集して顕微鏡で細
胞を観察し、慎重に同定していく。
 日本の土壌はおもに酸性であるた
め、たいていの木材は分解されて土に
還ってしまう場合が多い。ところがこ
れだけの植物素材の遺物が時を隔てて
ほとんど変わらぬ姿で出土したのに
は、理由があった。
市川是川遺跡の場合は、小さな沢を
ごみ捨て場として利用していたようで
す。その水脈が現代でも残っていたた
め、保存されたと考えられます」
いとう「泥炭層だったということか」
市川「そのとおりです。ただ、湖沼地
帯など通常の自然にできる泥炭層にく
らべて、是川遺跡の場合はトチやクル
ミなどいわゆる廃棄物が泥炭をなして
いた、つまり人工的なある意味特殊な
泥炭層だったといえます」
おしゃれ最先端の集落
是川遺跡
 用途不明のカチューシャのようなも
のや勾玉が目をひく。
いとう「是川はおしゃれゾーンだ。み
んなおしゃれして歩いてたんだね」
柳生「なるほど、ミラノ的なね(笑)」
 国内の土偶は 1 万数千点にのぼる。
そのうちの 9 割が乳房がありお腹の膨
らんだヴィーナス像だ。とくに縄文時
代末期は、大きな目が特徴となってい
く。これについては諸説あるが、生ま
れたての赤ちゃんの目を模したもので
はないか、とする研究者もいるよう
だ。
いとう「仏像も童子の顔をしたものと
か割と多い。それは結局、生命力とい
うことなのではと、みうらじゅんさん
と話していた。土偶はほとんどが意図
的に割ったのではという壊れ方をして
いると聞いたけど。願いをこめて壊し
たとか?」
市川「そのいっぽうで、壊れた土偶
天然のアスファルトを接着剤として
使って直したと思われる形跡もあるん
です」
柳生「ええー すごいね!
 おお、きた! ほおづえをつく土
偶」
いとう「まるで考える人だ(笑)。でも
腕がくるりと蛇みたいでもあるし」
柳生「これは足が壊れていなければ国
宝ですよねー」
スワロフスキーや
ルイヴィトンも影響された?
いとう「この土器は、きらきらしてい
るけど、おれが以前買った土器もこう
なっていた。ケイ素かなにか練り込ん
でいるんですか」
市川「おそらく金雲母や石英などを土
に混ぜて焼いているのでしょう。実際
にただ粘土だけですと、焼き上げたと
きに温度の急な上昇で収縮の途中で壊
れてしまいます。そこで砂などを混ぜ
て収縮に耐えるようにしていたようで
す」
いとう「じゃあ、このキラキラは実用
的でもあったと」
市川「そうかもしれないですね」
いとう「このあたりのはスワロフスキー
感覚があるね」
柳生「数珠みたいだけど、おしゃれだ
なあ」
いとう「そう、これのほうが先だもん
ね。仏教がまだ起こってないわけだか
ら、数珠以前」
柳生「超チャーミング!」
いとう「きっとさ、これをつくったひ
とに私もつくってほしい、と大勢女性
たちが殺到しただろうね」
柳生「新作ができたらしいよ、とか噂
になってね」(笑)
いとう「買い付けにもきてただろうね。
広く交易もあったようだから。こっち
のモノグラムみたいな文様はまるでル
合掌土偶は、あらゆる人びとを縄文のとりこ
にしてしまう不思議な魅力にあふれている。
通称「頬杖土偶」。1997 年に重要文化財(国
指定)。

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in 青森②…是川縄文館
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イヴィトンだよ」
 縄文後期ころから、関東あたりでは
金雲母を練り込んだ土器などが出てく
る。また、仏像の螺髪(らほつ)のよ
うに、ぼつぼつとした装飾をまるで取
り憑かれたように無数に土器表面につ
けたものも多数出ている。これも縄文
後期の東北エリアの特徴だ。
柳生「文様じゃなくなっていくんだ」
いとう「いったいなんなんだろうね」
柳生「やっぱりデザイナーがいたので
は。それが流行を生み出していく、こ
こはそういう文化の発信地だったん
じゃないかなあ」
 隣の展示室は、是川遺跡でのさまざ
まな研究成果を体験しながら理解でき
るように展示されている。発掘現場の
様子をフロアに実物大で模写してある
ほか、トチの実の水晒し(あく抜き)
の復元、縄文土器がどのように焼かれ
ていたか、合掌土偶が住居跡のどのあ
たりに飾られていたか……。
いとう合掌土偶はどのあたりから出
たんですか」
市川「住居のいちばん奥からです」
柳生「床の間だ」
市川「おっしゃるとおり、研究者に
よっては、おそらく祭壇のような棚が
壁際にあり、住居が役割を終えて処分
されるときに土偶もいっしょに捨てら
れたのではないかと、ということでし
た。ただし、合掌土偶の壊れた左足は
本体から 2.5 メートル離れたところで
見つかったんです」
いとう「ミステリーだね。松本清張だっ
たら一篇書いているところだね」
念願の対面
 さて、いよいよお待ちかねの合掌
偶がおわす、国宝展示室へ。
 「2009 年 7 月 10 日、国宝指定」と記
した指定書の写しも額装展示されてい
る。
柳生「キターっ セクシーだ」
いとう「人の身体のバランスをよく理
解して作られているね。そして女性器
があるんだ。身分が高そう。装身具が
ほかと違う気がする」
 市川さんによれば、土偶の多くはな
ぜか手足の指は 3 本だったり 6 本だっ
たり。人をかたどってはいるが、人を
表したものではない、とする説もある
ようだ。
いとう「アタマのマゲに穴があいてい
るね、ペンダントみたいにつるしたの
かな」
市川「糸をとおした形跡はないんです
ね」
柳生「なにか別のかんざしのような細
い石とか、骨とかを指していたのかも
しれないね」
 よくよく見ると、赤い顔料が残って
いる。もしかしたら全身まっ赤な土偶
だったのかもしれない。
いとう「これが赤かったらすごいパワー
だよ」
柳生「神の領域との交信手段だったと
か」
 顔面の文様は入れ墨のようでもあ
り、体育座りのような姿勢は、その名
のとおり、祈りの偶像のようでもあ
る。出土当時の状況や形状を知れば知
るほど謎は深まる。
 私たちはいま 1 万年も続いた縄文か
ら「サステイナブル」の思想を見習う
ときに来ている。
 次回は小牧野遺跡と三内丸山遺跡のレポー
トです。
是川縄文館が世界に誇る、合掌土偶
目の表現などは頬杖土偶と共通するものがある。
下は、発掘当時を伝える館内のパネル