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理事長室から -学問の自由は、これを保障する-Message from President – Academic Freedom in the Constitution of Japan – - SPring-8/SACLA 利用者情報
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Volume 21, No.2 Page 77

理事長室から -学問の自由は、これを保障する-
Message from President – Academic Freedom in the Constitution of Japan –

土肥 義治 DOI Yoshiharu

(公財)高輝度光科学研究センター 理事長 President of JASRI

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 日本国憲法の第23条には、「学問の自由は、これを保障する」と記されている。大日本帝国憲法には、学問の自由や言論の自由を保障する規定は存在しなかった。そのために、戦前において軍部や政府と対立する意見を表明した学者らが大学から追放される事件が頻繁に起こった。学問の自由が憲法上明記された戦後は、大学の自治が制度的に保障され、研究の自由、研究発表の自由、教授の自由が確保された。しかし、科学が急速に進歩し、その知識が社会の発展に応用される現代社会においては、学問の自由にかかわる問題は多面化し複雑化している。ここでは、この問題に触れずに日本国憲法の成立過程を簡単に紹介したい。
 日本国憲法の原案は、戦後の昭和21年2月4日から12日までの9日間という短い期間に、連合国総司令部民政局の25人のメンバーによって書き上げられた。民政局のなかに、天皇、人権、立法権、行政権、司法権、財政、地方自治に関する7つの小委員会が設置され、それらを束ねる運営委員会で全体のまとめを行った。しかしながら、原案の準備作業は、米国において太平洋戦争開戦の直後から始まっていた。米国国務省内に知日派の専門家9人からなる極東班を昭和17年8月に置き、日本の戦後処理を実施するための研究が始まった。その思想的基盤は自由主義であり、前年にルーズベルト大統領の宣言した「4つの自由」すなわち言論の自由、信仰の自由、恐怖からの自由、欠乏からの自由を戦後日本に実現する政策を探るという使命をもっていた。彼らの研究成果をもとに、ポツダム宣言や日本国憲法の骨格作成などの重要な対日政策が戦略的に準備された。終戦直後の昭和20年9月には、マッカーサー元帥は膨大な対日政策資料を持参し、わが国に赴任した。
 民政局における9日間の憲法草案作成作業は、米国における3年間にわたる長い準備を経て、自由主義に基づく民主国家を戦後日本に実現しようとする理想と情熱をもった25人によって短期決戦でなされたのである。マッカーサーは、昭和20年10月には憲法の自由主義化を含む5大改革を日本政府に指令した。11月以降、政府、各政党、民間で憲法改正の議論が進み、多くの案が発表された。しかし、政府からの案は保守的であり、マッカーサーは受け取りを拒否した。昭和21年2月13日に民政局長は、彼らの草案を政府に手渡した。日本政府は、2月22日の閣議において民政局草案に沿う憲法改正の方針を決め、3月6日に政府の憲法改正草案要綱を発表した。その後、ひらがな口語体の条文化が進められ、4月17日に憲法改正草案が公表された。修正した憲法改正案は、8月24日に衆議院本会議において賛成421票、反対8票の圧倒的多数で可決された。その後、貴族院、枢密院において可決され、天皇の裁可を経て、昭和21年11月3日に日本国憲法として公布され、翌年の5月3日に施行された。
 最後に第23条の成立過程を追ってみたい。民政局人権小委員会の案は、「大学における教育および研究の自由ならびに合法的な調査研究の自由を保障する」であった。しかし、連合国軍は理化学研究所などに設置されていた加速器研究施設を戦後処理として破壊した。この破壊に対して米国の学術界から野蛮と厳しい非難が挙がり、研究の自由にかかわる文言を最終案から削除した。民政局案は、「学究の自由および職業の選択は、保障される」となった。日本国憲法では、最終的に「学問の自由は、これを保障する」と明快な名文となった。学問の自由を明記する憲法をもつ国は、ドイツなど欧州の一部の国と日本に限られている。米国では、学問の自由が憲法に明記されておらず、言論の自由の一部と理解されている。このように、第23条はわが国における科学の進歩の礎となっているのである。

 

 

Print ISSN 1341-9668
[ - Vol.15 No.4(2010)]
Online ISSN 2187-4794