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狼信仰 詳細解説 ~犬飼のお仕事~

宇佐美
「秩父には狼神社が多いですが、犬飼さんたちも多かったのでしょうか?」
田ノ貫
「秩父の十文字峠を越えた信州側の川上村は、狼の血を引く川上犬の産地じゃが、川上村の家々は三峯神社の氏子らしいな。家々の門や玄関に三峯神社のお札が貼ってあったよ。」
宇佐美
「あ、やっぱり三峯の氏子の犬飼さんたちが狼犬を飼っていたのですか。」
田ノ貫
「それに秩父・長瀞の石上神社の地内に犬塚が残っておるが、鉢形城の小田原北条氏に連絡係として使われていた犬たちを慰霊するためのものじゃ。」
宇佐美
「秩父ではあちこちに犬飼さんたちの集落があったのですねえ。」
田ノ貫
「そうじゃな。で、前九年の役、源頼義、義家が奥州安倍一族討伐の戦勝を三峯神社に祈願しておる。それで奥州平泉に勧進したのが衣川三峯神社じゃ。つまり秩父の犬飼衆を連れて行ったらしいのお。」
宇佐美
「源頼義さんといえば、福島県の山津見神社でも名前が出て来ましたよね。頼義さんが橘墨虎を退治した時それを助けたのが山津見神社の白狼だったとか。」
田ノ貫
「それも前九年の役の話じゃな。橘墨虎は安倍氏の武将だったという話だのう。山の中のゲリラ戦に悩まされた頼義が山津見神社に協力を求めた、というトコロか。」
宇佐美
「山津見神社も犬飼さんの氏神だったのでしょうか?」
田ノ貫
「山津見神社のある相馬郡の主、相馬氏は、奥州に落ち延びた将門の血族を祖としておるのじゃ。源氏に協力して所領を安堵してもらったのじゃろう。」
宇佐美
「じゃあ、平さんたちといっしょに入植した、県犬養氏系の犬飼さんたちだったんですね。でも、橘氏も県犬養氏の親戚だったんじゃありませんか?」
田ノ貫
「そうじゃが、中央の宮廷で藤原氏との抗争に破れた橘氏は地方に追いやられたのじゃな。秋田方面には古くから橘氏が入植していたが、その関係で安倍氏の家臣になったのじゃろう。秋田犬も狼の血を受けているという話だ。その関係で秋田の橘氏も犬飼衆を傘下にしていたと思われるが詳しくは分からんのう。」
宇佐美
「どっちらも、落ちぶれて雇われ人になったわけですね。うう、シビアな話。」
田ノ貫
「栄枯盛衰は世の習いじゃよ。甲斐の国に国司として赴任した橘氏も犬飼を連れて来たらしいし。」
宇佐美
「甲斐犬ですね。確か河口浅間神社を勧進したのは甲斐の国司・橘末茂さん。末寺の善応寺には狼塚がありましたものね。」
田ノ貫
「それで、王朝時代の衰退とともに、犬飼たちといっしょに橘氏も、台頭して来た甲斐源氏の郎党になったのじゃな。」
宇佐美
「ありゃりゃ。やっぱ使用人になったですか。」
田ノ貫
「で、鎌倉幕府の奥州支配とともに、甲斐源氏の任地である山形に入植したのじゃ。山形県には犬の宮があったじゃろう。」
宇佐美
「あ、甲斐の国から犬を連れて来て、ムジナ退治をしたのですよね。」
田ノ貫
「南北朝の戦乱期には、南朝側の新田氏の家臣、畑時能が犬獅子と呼ばれる犬を使い、城攻めをしておったのじゃ。」
宇佐美
「前にもその話出ましたよね。ほとんど忍者マンガの忍犬みたいだって。」
田ノ貫
「調べてみたがそれは順序が逆で、犬飼が忍者になったという方が当たっているようじゃ。」
宇佐美
「ええ?そうなんですか?」
田ノ貫
「時能は犬使いの術を信州で習ったとされておるが、信州といえば、…。」
宇佐美
「おお、海犬養氏が入植した所ですよね!」
田ノ貫
「そう。そして信州出身の武将真田幸村には真田忍群と呼ばれる忍者集団が付き従っていたのじゃ。」
宇佐美
「おっ、真田十勇士ですね。」
田ノ貫
「真田氏は信州修験道集団のバックアップを受けておったというが、信州の修験といえば戸隠じゃ。」
宇佐美
「おおおお!」