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雅子さまは皇太子さまの妃で、実家が小和田家のご出身となります。もともとは外務省のキャリア官僚というエリートでしたが、皇太子さまとご結婚。2001年には愛子さまも生まれましたが、2004年に適応障害という病気であることが発表されました。
この記事では雅子さまの適応障害と現在の状態、皇太子さまとの馴れ初めから結婚、現在の仲までまとめています。
雅子さまのプロフィール
皇太子徳仁親王妃雅子(こうたいしなるひとしんのうひ まさこ)
続柄:小和田恆第一女子
全名:雅子
身位:皇太子妃・親王妃(皇太親王妃)
敬称:殿下
お印:ハマナス
生年月日:1963年12月9
雅子さまは皇太子徳仁親王の妃で、娘には敬宮 愛子内親王がいらっしゃいます。
雅子さまの家系図(小和田家・江頭家)
父親は元外交官・現国際司法裁判所判事の小和田恆さんで、母親は水俣病を引き起こしたチッソ元会長江頭豊・長女の優美子さんです。そのルーツを遡れば、海軍将官・南部藩士などもいます。
雅子さまは父親・小和田恆さんの仕事の関係で幼少期から海外生活が長く、だいたいですが、小・中学校時代は日本で、高校・大学は海外で過ごされています。
また学生時代から非常に優秀で、高校ではアメリカ政府から「ナショナル・オーナー・ソサイティー」(優秀な生徒に送られる)を、ハーバード大学では国際経済学を専攻しここでも優秀な生徒に送られる「マグナ・クム・ラウデ」を受賞しています。
帰国した1986年4月には東京大学法学部3年生に学士入学し、同年10月に外交官試験に合格し、1987年に大学を中退し入省。この際に女性初のキャリア官僚と話題になったそうです。
外交官として働き出した頃(1980年代後半)より、皇太子さまのお妃候補として名を取り上げられ始め、紆余曲折を経て1993年1月に妃に内定。
1993年2月には外務省を退職し、婚約を経て1993年6月9日に結婚されました。そして、その後2001年12月1日、雅子さま37歳のときに愛子さまが生まれています。
雅子さまの病気・適応障害について
雅子さまの病気…「適応障害」とは
雅子さまは、宮内庁より2004年7月30日に「適応障害」であることが公表されています。適応障害は、精神障害の一種です。
まず適応障害とは、以下のように定義づけられています。
適応障害とは、ICD-10(世界保健機構の診断ガイドライン)によると「ストレス因により引き起こされる情緒面や行動面の症状で、社会的機能が著しく障害されている状態」と定義されています。ストレスとは「重大な生活上の変化やストレスに満ちた生活上の出来事」です。ストレス因は、個人レベルから災害など地域社会を巻き込むようなレベルまで様々です。
引用:「適応障害」厚生労働省
言われる症状としては「抑うつ気分・怒り・焦り・不安」などの精神面や、強すぎるストレスを前にすると体の変調(動悸・多汗・めまい等)も現れるといいます。
適応障害を治すには、そのストレスから離れること、あるいは適応力をつけることが大切です。
ストレスとなる状況や出来事がはっきりしているので、その原因から離れると、症状は次第に改善します。でもストレス因から離れられない、取り除けない状況では、症状が慢性化することもあります。そういった場合は、カウンセリングを通して、ストレスフルな状況に適応する力をつけることも、有効な治療法です。
よくうつ病と似ていると言われる適応障害の症状ですが、その違いは明確です。適応障害の場合には、ストレスのもととなるものから離れると次第に体調が回復しますが、うつ病の場合は抑うつ状態など心身の不健康な状態がずっと続きます。
雅子さまの場合は、この適応障害であるとされ、2004年の発表以降も長らく治療が続いています。
雅子さまが適応障害に至るまで
2000年以降より徐々に変調が見られた雅子さま。
雅子さまは、病気が適応障害であると発表される以前から公務欠席などがありました。それが、2000年前後から始まっていると言われています。
背景としては、2001年12月1日に愛子さまを出産している雅子さまですが、実はそれ以前の1999年12月に一度流産されています。1999年12月の段階では、上旬に海外のベルギー訪問を行い妊娠の兆候が見られなかった中、12月10日に朝日新聞が妊娠であることをスクープ報道しメディアが過熱したのち、30日に流産が判明しました。そして2000年2月には公務に復帰。
しかし、その後2000年7月の香淳皇后(昭和天皇の正妃)の斂葬の儀(葬儀)を欠席し、以降療養に入られることも多くなりました。
そして、その4年後の2004年7月に「適応障害」であることが公表されています。
雅子さま病気の原因?皇太子さまの「人格否定発言」とは
ストレスが原因とされる「適応障害」、雅子さまの場合はそれが何だったのでしょうか。最も具体的にそれに触れたとみられるのが、2004年5月10日の皇太子さまのお言葉です。
(※デンマーク・ポルトガル・スペインご訪問に際した皇太子さまの発言で、雅子さまが一緒に行けなかった理由や体調を聞かれた際の返答です。)
殊に雅子には,外交官としての仕事を断念して皇室に入り,国際親善を皇族として,大変な,重要な役目と思いながらも,外国訪問をなかなか許されなかったことに大変苦悩しておりました。今回は,体調が十分ではなく,皇太子妃としてご結婚式に出席できる貴重な機会を失ってしまうことを,本人も大変残念がっております。私も本当に残念で,出発に当たって,後ろ髪を引かれる思いです。
雅子にはこの10年,自分を一生懸命,皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが,私が見るところ,そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。それまでの雅子のキャリアや,そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。
それ以上の詳細を避けた皇太子さまでしたが、「夫婦ともに悩んでいた」とも言及。
細かいことはちょっと控えたいと思うんですけれど,外国訪問もできなかったということなども含めてですね,そのことで雅子もそうですけれど,私もとても悩んだということ,そのことを一言お伝えしようと思います。
皇太子さまのこれらの発言には、天皇陛下や秋篠宮さまも記者会見・文書で触れ、「何故そのような発言を」というような疑問を呈するような流れにもつながりました。(詳細は、「人格否定発言」wikiへ)
しかしその後、皇太子さまがそれ以上の詳細なコメントをすることはありませんでした。
雅子さまのストレスの原因は2つか
皇太子さまのお言葉からも、雅子さまと宮内庁もしくは保守的な勢力の間で軋轢があったことが見受けられます。
そしてその不和を生むに至った原因は、
・公務も含めた結婚後の生活
・皇太子妃ということでお世継ぎを生むプレッシャー
に起因するのではないかとする見方が多いです。(特に2004年当時は皇族男子が1965年に秋篠宮さまが生まれてから、約40年ほども生まれていませんでした。)
実際に2003年12月当時の湯浅利夫宮内庁長官の発言より。
「秋篠宮さまのお考えはあると思うが、皇室の将来を考えると3人目を強く希望したい」
男系継続のためということはわかりますが、公の場でも言うぐらいです。
また雅子さまもご自身の海外生活が長いことに触れ、結婚後のあり方に苦慮している様子が伺われます。
正直を申しまして私にとりまして,結婚以前の生活では私の育ってくる過程,そしてまた結婚前の生活の上でも,外国に参りますことが,頻繁にございまして,そういったことが私の生活の一部となっておりましたことから,6年間の間,外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は,正直申しまして私自身その状況に適応することになかなか大きな努力が要ったということがございます。
お世継ぎの問題を第一にして、海外公務が少なかったということも考えられそうですね。
以上のように、「適応障害」を引き起こすストレスの原因は様々ですが、雅子さまについても表に出ている情報を見る限り、それらしきものがいくつか存在します。
ただ皇室という環境の中、雅子さまにとっての心配事が他にあることも否定できません。
雅子さまの現在とは~別の病気という噂も?
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