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舊新約聖書を買う。 - 風海庵TopPage
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舊新約聖書を買う。


以前も書いたように風海庵はキリスト教徒ではないが、小学校からキリスト教系の学校に通っていたので、聖書は馴染みの深い書物である。聖書は旧約と新約の二つ大きな2部になっていて、信徒の方のお叱りを覚悟で浅学が簡潔に解説すると、有名な創世記から始まる旧約聖書はユダヤ教の聖典で、新約聖書はイエス誕生以降のキリスト教徒が書いた聖典だ。キリスト教では旧新約両方が聖典であり、イスラム教も旧新約の一部を聖典としている。

聖書は言葉の珠玉がページからあふれ出すような書物だが、文語訳聖書は格調高い名翻訳といわれ、日本語に荘厳さと迫力があり、短く締まっている。日本語が持つリズムと美しさが味わえる名作古典だ。『声に出して読みたい日本語』の齋藤明大教授も、「聖書は文語訳で読め!」とおっしゃっている。その文語訳聖書で一般的に手に入るのが日本聖書協会が出版する『舊新約聖書』だ。舊は旧のことね。

例えば、新約聖書の『ヨハネによる福音書』にある有名な一節を、現在もっとも普及している日本語聖書である『新共同訳』(平ったく言うとカトリックとプロテスタントが一緒に訳した聖書)では、

「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらず成ったものは何一つなかった。」

と、名文(なんでしょうね?たとえば原文がヘブライ語だとして、それの名凡なんて分かりようがないんだけど)、まあ分かりやすい口語体で書かれておる。それが『舊新約聖書』では、『ヨハネ傳音書』となり、

「初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在(あ)り、萬(よろづ)の物これに由(よ)りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし」 

と、実に締まった日本語になるのだ。マタイ伝(一番文学的に優れているらしい)に載っている超有名な一節が典型的な例。
「求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。」
が、新共同訳では、
「求めなさい、そうすれば与えられる。探しなさい、そうすれば見つかる。」
「空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に収めず、然るに汝ら天の父は、これを養いたまふ。」
「空の鳥を見なさい。種も蒔(ま)かず、刈り入れもしないけど、神様が養い育てて下さっているでしょう。」
うーむ。分かりやすく書くのが現代の聖典の使命だとは言え、こうして較べると、なんか有り難味がちがうような...。

創世記第一章、かたちなく混沌として闇が覆っている世界に、神が天地を創る件(くだり)だ。神は6日間で天地を創り7日目にお休みしたので、安息日、すなわち7日に1日はお休みとなったのだ。
その第一日。

「神光あれと言給ければ光あり 神光を善(よし)と觀たまへり神光と暗(やみ)を分かち給へり 神光を晝(ひる)と名け暗を夜と名け給へり夕あり朝ありき是首(はじめ)の日なり」

創世神話として、実に荘厳である。
人類史上最大の国家である蒙古帝国の祖チンギス・ハーンの生涯を描く『元朝秘史』。彼の祖先が彼の地に現われる。本書の冒頭である。

「上天(あまつかみ)より命(みこと)ありて生まれたる
蒼き狼ありき 
その妻なる惨(なま)白き女鹿ありき。
大いなる湖を渡りて来ぬ」

おお、草原を駆け抜けた英雄の壮大な物語の始まりとして相応しい名調子ではないか。これを、
「天の神の命令により生まれた蒼い狼がいた。その妻となる色白の女鹿がいた。バイカル湖を渡って来た。」
って書いちゃうと、まるで安物のRPGだ。創世神話や聖典、秘伝書・古典的活劇は文語調でなければいかん。

でも、昔の人の色恋・生活の話は、現代語・口語で訳して近似値的表現をしてもらわないと、考え方や生活習慣が全く変わっているからピンと来ない。例えば源氏物語。1人の女をめぐって2人の男が争う。男の1人がある日、自分より前にもう1人の方が来ていたらしいと疑い、女をなじる。

「また人に馴れける袖の移り香をわが身にしめてうらみつるかな」

身を焦がすような恋いの歌なんだろうけど、想いが今一伝わってこない。それを訳す俵万智。

「俺じゃない奴の匂いがする君の匂いが俺に移る悔しさ」

うーむ。そうだったのかぁー。そりゃあ頭にくるよな~。源氏物語をこういうふうに現代語・口語訳できるって、もの凄い才能である。

あれ?今日は何の話だったっけ 長かったな...随分と
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