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『青空どろぼう』
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18 東海テレビ 「ドキメンタリー 四日市公害の半世紀:記録人澤井余志朗」で四日市
底泥の調査報告の取材で出演、2010 年 11 月 7 日放送、なお、ドキメンタリー映画として
も上映中。日本民間放送連盟 中部・北陸地区審査会で教養部門1位獲得。
青空どろぼう映画道
青空どろぼう
2011 年日本映画 94 分
監督・プロデューサー:阿武野勝彦 監督:鈴木祐司
撮影:塩屋久夫 編集:奥田繁 音楽:本多俊之
ナレーション:宮本信子
出演:澤井余志郎(記録人)、野田之一(元原告)、野田綾子(妻)、田中俊行
四日市市市長)、八木明彦(愛知工業大学教授)、野呂汎[映像出演](弁
護士)
高度経済成長期、石油化学コンビナートの煤煙で多くのぜんそく患者が発
生した。苦しさの余り自殺者まで出した日本四大公害の 1 つ「四日市ぜんそ
く」――公害防止法の法制化のきっかけとなったその裁判の判決から 38 年
が経つ。三重県四日市市――公害裁判に立ち上がった人々と、彼らを支え
続けた男がいる。原告の一人、四日市市磯津の野田之一(78 歳)。コンビナ
ート対岸の漁港で 3 代続く漁師だったが、30 代でぜんそくに蝕まれた。38 年
前、裁判に勝訴した時、支援者を前に野田はマイクで、こう呼びかけた。「ま
だ、ありがとうとは言えない。この町に、ほんとうの青空が戻った時、お礼を

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言います」と。そして、公害発生当初から患者たちを写真と文字で記録し続
け、原告たちを支え続けた男がいる。公害記録人・澤井余志郎(82 歳)。彼
が発行した公害文集は 60 冊、その活動は 40 年を超える。澤井は、「公害は
まだ終わっていない…」と話す。判決から 38 年たった現在もコンビナートか
ら目を離そうとしない。事実の記録と真実の究明をたゆみなく継続すること
こそが、本当の青空を取り戻すことにつながると信じているのだ。彼らは、い
まも、問い続けている。この町の青く美しかったあの空は、一体誰に奪われ
たのか。そして、いま、誰が何をしなくてはならないのか。【公式サイトより】
『平成ジレンマ』に続く東海テレビ制作によるドキュメンタリー映画。
四日市公害裁判の判決が出たのが、ちょうど 39 年前の今日(7 月 24 日)。
原告側勝訴を受けて本作の主人公の一人、野田之一さんは支援者に対し
四日市に青空が戻ってきたときにありがとうと言いたい」とメッセージを発し
たが、行政も企業も四日市ぜんそくは既に過去のものとなってしまったらし
い。
1987年に公害健康被害補償法が改正され、新規の公害病患者認定が廃止
されて以降も発病して苦しんでいる人が何人もいる。四日市市の市長はそ
の話は初めて聞いたなどとお粗末な限り。
企業側も世代交代が進み、当時のことを知らない社員ばかり。不法投棄だ
の許可されていない薬品の製造だのデータ改竄だのといった不祥事が相次
ぐのも、そういったことをきちんと継承していっていない会社の体質によるも
のだろう。
そういった意味では、澤井余志郎さんの長年にわたる膨大な記録というもの
は非常に貴重。物腰は柔らかで温厚そうな澤井さんだけど、これだけの年
月を公害の記録に捧げてきたその信念には頭が下がる。
1 年前の集会には市の職員や企業の人間も出席していたが、公害について
正しく認識し、同じ過ちを繰り返さないことが経済成長の名目の下、青空を
奪い、海から魚を奪った者の最低限の責務であろう。
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