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相馬順胤 - Wikipedia

相馬 順胤(そうま ありたね、1863年11月10日文久3年9月29日) - 1919年大正8年)2月13日)は、旧陸奥中村藩主の相馬子爵家第30代当主。

相馬順胤

経歴編集

相馬中村藩の藩主(大名)である相馬充胤の四男。幼名は亀五郎。慶應義塾卒業。妻は有馬道純の娘硯子。子に孟胤

明治維新にともなう士族授産については、全家禄を償却した。

1885年(明治18年)、異母兄の相馬誠胤を不当に監禁したとして、旧・相馬中村藩士錦織剛清により告発された。一方、相馬家側も錦織を誣告罪として告訴した。(1892年(明治25年))3月、誠胤の死去により、家督を相続した。翌年、誠胤を毒殺したとして錦織により告訴されたものの、無罪となった。1895年、相馬家側は錦織を訴え、誣告罪で有罪とされた。

大正初期(1910年代)近衛家より邸宅の西側の敷地1万5千坪を購入。1915年(大正4年)その地に邸宅を建て、内幸町より転居した。

参考文献編集

関連項目編集

日本の爵位
先代
相馬誠胤
子爵
中村相馬家第2代
1892年 - 1919年
次代
相馬孟胤